まがことのは




第二章













 学校から帰宅した都雅は、玄関で奇妙な物を見つけた。人が二人並んで立つのが精一杯の広さの場所、見慣れない靴が置かれている。
 都雅の足よりも小さいサイズのそれは、小学生くらいの子どものものだろう。埋め込まれたタイルの上に、きちんと揃えて、遠慮がちに隅の方に脱いである。玄関に靴があることも、子どもの靴自体も変だとは言わないが、それがここにあるのがおかしい。しかも上等な革の靴だ。子どもが遊びに履くような代物ではない。
 まさかなと思いながらも、少々不機嫌になる。信じられないしあり得ないと思うのだが、可能性も捨てきれない……あの子なら。
 靴を脱ぎ捨ててから、ずかずかと家に上がり込む。足音も高く縁側を通りかかると、案の定、彼女の祖母と少年が並んで座っていた。大小の背中は小さな庭の盆栽を眺めながら、お茶をすすっている。間に置かれた器の中には、昨日都雅がお使いで買いに行かされた煎餅が盛られていた。
 ――何呑気なことしてんだよ。
 肩に入っていた力が、一気に抜け落ちる。
「おや、お帰り都雅」
 ため息を吐いた彼女に気づいた祖母が、振り返ってのんびりと言った。
「はいはい、ただいま」
 出鼻をくじかれた都雅は、手をひらひらさせながら返事を返す。――いや、そんなことより。
 なんでそいつがここにいるんだ。
 何とか気を取り直して、祖母の隣に座る少年を見る。不機嫌と不審の入り混じった視線を受けて、子どもは祖母と同じように振り返って彼女を見た。それから、丁寧に頭を下げて挨拶をする。
「お久しぶりです。お邪魔してます」
 よくしつけられた、少年とは思えない上品な物腰。それから無邪気な笑顔。誰でも思わず微笑み返してしまうようなもの。
 本当にいい子だよなお前は、と心の中でぞんざいに反応を返す。満ちている苦い思いを消せない。そういう感情を隠すのが得意でないのは知っているから、表に出てしまっているだろうけれど、あえて口にしないだけましだと思った。いや、もしかしたら、生まれ持っての仏頂面のおかけで、分からないかもしれない。どうでもいいけれど。
 考えながら腰に片手をあてつつ、言った。
「お前、学校はどうした? 雅牙(まさき)」
 言われた途端、笑んでいた少年の顔が曇った。彼の学校からここまで来ようと思えば、急いでも一時間はかかる。徒歩の場合の話だったが、彼がひとりきりで来たのなら、当然歩いてきたはずだった。普段バスも電車も使わないお坊ちゃまが、ひとりでそういうものに乗れるとは思えない。だから都雅が帰るよりも早く、ここに座っているなんてありえない。実際、うな垂れた姿は、都雅の言葉を肯定していた。
「まあまあ、そんな怖い顔しなくてもいいじゃないか。まーくんだって、たまには学校に行きたくなくなるときもあるよねえ。まーくん、気にしなくていいからね、都雅姉ちゃんなんか、学校さぼってばっかりだから」
 口を挟まれて、都雅はあからさまに顔をしかめた。
「あたしとこいつじゃ、話が違うだろ」
「お黙り。同じ義務教育者だろう。文句言ってないで、都雅も一緒にお茶でもどうかね。嫌なんて言わないよねえ、お姉ちゃん」
 祖母はわざとらしくにこやかな表情を向けてくる。つりあがった唇の端の辺りから、脅しの気配がぷんぷんしていた。後が怖いので、都雅は大きく息を吐いて不本意であることを強調してから、仕方なく雅牙の横に腰を下ろす。。
 けれども、都雅の分が用意されているわけがない。誘ってきた相手も、用意してきてくれる気配などない。せっかく座ったのにまた立ち上がっていれてくるのも腹がたつので、おいしそうにお茶をすする祖母を恨めしく横目で見ながら、彼女はお茶を諦めて煎餅に手を伸ばした。
 何をするわけでもなく、三人並んで煎餅をかじりながら、盆栽の横で家庭菜園をやっている祖父を眺めてみたりする。
 しばらくそうしていると、祖父は居心地悪そうに手を止めて、彼女たちを見た。別に祖父に注目しているわけではなかったが、彼は照れているらしい。苦笑してしまう。
 このままでいても仕様がないので、重たい口を無理矢理にも開いた。出来れば何も聞きたくなかったが。
「で? お前、あたしに何か用か」
 都雅が話し始めると、祖母が、よっこらしょっ、と呑気な声を上げながら立ち上がった。自分の湯飲みを持って、どこかに行ってしまう。本人はさり気なく席を外したつもりなのだろうが、少しもさり気なくなどない。今頃どこかへ行くのなら、最初からさっさとお茶でも入れてくれれば良いものを。
 苦々しく思いながら目で追っていると、どこか必死の顔をした少年が、都雅の方に向き直って、勢いよく言葉を吐き出した。
「実は、あの、謝らなくてはいけないことが……!」
「あのなあ」
 都雅は、言いかけた雅牙の言葉を、遠慮なくさえぎる。片膝立てた上に肘を引っかけて頬杖をついた。スカートのままだったが。
 最初から決して機嫌良くはなかった都雅が、余計に剣呑な声を出したので、雅牙はびくりと体を縮めてしまっていた。
「お前、弟なんだから、そんなバカ丁寧な言葉遣いなんかしなくてもいいだろー? 別に、誰も怒る人間がいるわけでもないんだし。それとも、お前のとこみたいなお家は、家族にもそんなゆるゆるのろのろしたむず痒い話し方するのか? あたしはすごく、気持ち悪いんだけどなあ」
 ただ爺さんと婆さんとお孫さんが住んでるだけの、ボロい小さな家だ。お前のところとは違って、とついでに思う。堅苦しいのは気持ちが悪い。
 含まれた揶揄には気づかないのか、雅牙は、きょとんとした目を向ける。それから、嬉しそうに笑った。
「はい」
 はちきれんばかりの嬉しさが、悟りたくないと思っても分かってしまうような笑顔だった。けれどすぐに、姉に言わなくてはならないことを思い出したのか、しゅんとしてしまう。



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