「ああ、雨が降るね」
束の間、体が震えた。
体の芯が凍えるような、心の
真奥が凍りついたような、内からくる無意識の震えだ。相手の笑みが、
怖気をふるった。底の知れない笑みだ。
「気をつけたほうがいい。雨は、あやかしを呼ぶ」
「……なぜ」
「彼岸と
此岸を結ぶからさ。水の圧力は、人の思考を鈍らせる」
この町は閉ざされている。
前方に山。後方にも山。旅人はあきらめ、また頓挫する。
閉ざされた町に人々は閉じ込められたように生きている。
「町で、死体を狙った盗人が出ているのを知っているか」
「そう、変な噂話が流れてるよ」
「人を食う鬼が出るって」
泣に涙なく叫ぶに声なく、
後に心神みだれ、
其肉の腐り爛れるを吝みて、
肉を吸、骨を嘗て、はた喫ひつくしぬ。
少年たちは名家の檻に閉ざされていた。
蔑み、好奇の目にさらされていた。
どちらが長男の子なのか。あるいはどちらもそうなのか、違うのか。
不義の子なのか。泥の血はどちらか。
それでも、互いだけを支えに生きていた。
他には何もなかった。
他には何もいらない。
二人きりで生きてきた。
いつか、自由になる日を待っていた。その先に広がる日々を待ちわびていた。
血に潜む病を抱えながら。
唐突に変わってしまった半身に嘆きながら。
「いつか、一緒に、外国に行こうな」
二人で痛みを分け合って、先の楽しみを語ることでしか、歩んでこれなかった。
だがそれは、何にも勝る楽しみだった。現実になることが難くない、絵空事ではない物事のはずだから。今さえ耐え抜けば。
「うん」
「たくさん、色んなものを見て、色んなことをして、お前は、色んな絵を描くんだ」
それが俺の楽しみでもあるから、と綾都は笑う。
閉ざされた町で、人々の感情は澱のように沈んでいる。
そうして自分たちを取り囲んでいる。
暗い淵の中に自ら。
そして旅人もまた、自ら巻き込まれた。
さらさらと、雨が彼らの表面を浅く撫でている。空に雲は薄く、細くさえぎられた月の光が、水に濡れた人の肌を照らしている。瓦斯灯は、利に濁る人の目を隠しはしない。
「奏が面倒ごとに首を突っ込みたがるのは、重々承知だけど。いい加減、ぼくは菩薩にもなれると思うけど、どうかな」
「悟りを開けそうか」
言われた皮肉にも、奏はくつくつと笑った。その顔に蓮は眉をつりあげ、大仰に息を吐いて、腰に手を当てる。
何故彼に降りかかったのか。
何故自分ではなかったのか。
何故取り残されたのか。
「綾都」
呼びかける声が震えた。綾都の手を握る慎司の手が、大袈裟なほどに揺れていた。
「……ごめんね、綾都、ごめんねぇ」
病み衰えた細い肩に額を押しつけて、つぶやく。涙が、綾都の衣服に、透明な染みを広げていった。声が揺れて、悲しく響く。
本当は何がしたかったのか。
本当はどこに行きたかったのか。
ほしいものなど何もなかった。
たったひとつ以外は。
「あんたが持ってる、それは何だい」
「人の腕です」
実に鬼といふものは昔物がたりには聞もしつれど。
現にかくなり給ふを見て侍れ。