まがことのは




第二章








「ぼくの友達が、大変なんだ」
「ほう」
 応えて都雅は、手にしたままだった煎餅をかじる。とりあえず話を聞くだけは聞いてやる、という緩慢な態度のままで。
「なんだか、変なものに狙われてるんだって。危ないし、すごく気にしていて、最近学校にも来れないみたいで。ずっと休んでるんだ」
 変なもの、ねえ。
「変質者にでも狙われてるのか? 誘拐犯か? ストーカーか? ……ガキのクセに」
「違うよ! ……そんなんじゃないんだ。はじめはその子のお父さんたちも信じてなかったみたいだけど、違うんだ。あいつ、嘘つくような奴じゃないもん。今はなんだかそれが大事になったみたいで、あいつの家大騒ぎになってる。いろいろガードとかも雇っているみたいだけど、ぼく心配で……」
「で? あたしにどうしろと?」
 都雅は白けきった目で、さらりと言った。両手を握りしめて、自分の膝を睨むように見つめて話していた雅牙は、冷たいとも取れる都雅の口調に肩をふるわせた。姉を見上げて、返ってくる冷めた目に、怯えたようにしてまたうつむいてしまった。
「あの……あの、迷惑だって分かってるんだ。でも、お姉ちゃんは、すごく強くて、用心棒みたいな仕事してるって聞いてたから……」
 その言葉に、都雅は思わず脱力した。少し剣呑だった目から、力が抜ける。
 用心棒とはまた、時代かかった言い方をする。
「お前、それ誰から聞いた?」
 雅牙が知っているわけはなかった。彼女自身が言ったことはないし、親が言う訳もない。何より、親だって詳しいことを知らないはずだ。思いつくのはただひとりだった。それも、その時代がかった言い方なら……。
「……おばあちゃん」
 予想通りの言葉に、都雅は再び脱力する。彼女たちの親が――正確には母親が、必死に都雅と雅牙を引き離そうとしているのに、それをいとも簡単に無駄にした祖母の行動に、笑ってしまった。さすがだと思わずにいられない。
「お姉ちゃんに、ぼくの友達を助けてほしいんだ。……て言おうと思って、ここに来たんだけど、やっぱりやめておく。お姉ちゃんが帰ってくるまでに考えてたんだけど、それだとお姉ちゃんまで危険に巻き込むことになっちゃうから。勝手なことしてごめんなさい。今日のこと忘れて下さい」
 誠実な少年は、立ち上がって靴下のまま庭におり、それから都雅に頭を下げた。友達を助けたくてここまで来たくせに、わざわざそれを自分で無駄にして。彼を過保護に溺愛する母親に、教師に、学校を抜け出したことをあれこれ詮索され叱られる事実や、ここまで子どもの足で長時間かけて歩いてきた苦労、それら全部。
 都雅は苦笑をしながら頬杖を外し、ついでに足も元に戻した。皮肉な思いが満ちてくる。あまりに可愛い弟で、不機嫌も消えてしまうよ、と。
「お前の友達だって言うんなら、金持ちだろ。悪いけど、あたしはそういう連中と関わるつもりはないんだ。どうせ頼まれたって断った」
 例えその家の方から正式に来た話だとしても、仕事を請け負うつもりは更々なかった。その理由を、まるで言い訳のように言ってしまってから、目の前の少年も、ご大層な家の跡継ぎだということを思い出す。まるで逆効果だと自分で思った。フォローするつもりが、逆に拒絶しているかのようになってしまった。
 自分でも、本心か不可抗力か、判断できないそのことを、雅牙はそれでも深く取らなかったようで――頭のいいこの子のことだから、もしかしたら気がついたのかもしれない。雅牙は、都雅がそういう、いわゆる上流階級の家を嫌っていることも、その理由もだいたい知っている。それでも彼は気にした様子がなかった。
「うん。おうちがデパートしているとこ。新藤くんて言う」
 そこまで言われてから、どこかで聞いたような話だと気がついた。つい最近、どこかで耳に挟んだばかりの話のような気がする。その話の内容。そしてその名は――最近ニュースなどで散々騒がれている家の名だ。
 辿り着いた不穏な考に、彼女は黙り込んでしまった。
「嫌な思いさせて、本当にごめんなさい」
 雅牙は、再び頭を下げる。彼は、都雅に比べて自分がずっと恵まれた境遇にいるのも知っているし、負い目に思っている。それを都雅は知っている。
 同じ両親から生まれ、一緒に育つはずだったのに、雅牙は家で両親に愛されて育ち、都雅だけがこんな年で家を出て、祖母の家に預けられて、しかも仕事までしている。――彼は詳しい事情など知らないはずだったが、だからこそ自分を責めるのかもしれない。
 都雅はなんだか居心地が悪くなって、少しうつむいてから、唇の端をあげる。笑いたかったが難しかった。
「気にすんな」
 彼女の表情をどうとったのか、雅牙はほっとしたようだった。それから嬉しそうに息を吐いて、にこりと笑う。
「良かった」
 結局、彼の友達を救うとは言い出さない姉のことをどう思っているのか。年の割に気ばかり遣う弟のことを不思議に思う。きっと今この瞬間には、姉を巻き込まずにすんで良かったとそれだけを思って、純粋に安心したのだろう。
「それでお前、これからどうするんだ。学校から家に連絡行ってるだろうし。もう遅くなってるから、どっちにしろ怒られるだろ。このまますぐ帰るのか? ……さっさと戻らないと、捜索隊が出るなあ」
「うん。心配してるだろうから、家に帰ったらお母さんに謝ろうと思ってる」
 律儀だなあと、と変に感心してしまった。嫌になる。あまりに愛されている彼も、ひねくれている自分も。
「どう言い訳するんだ。ここに来てたなんて言えないだろ」
 都雅の言葉に、今度はしゅんとしてしまった。ずっと気にしていたことだったのだろう。適当にごまかそうとか、そういうことも思いつかないようだった。
 都雅は大仰に息を吐いてから、のびをした。
「魔がさしたとでも言っておくんだな。ちょっといつもと違う遠いところに行ってみたくナリマシタ」
 どうでもいいことだ、と突き放すように言った。それでなければ、馬鹿にしているような言葉だ。自分でも冷たいなと思う。
 手をおろして、息を吐いて、自分の態度のせいで、余計に陰鬱になりそうだった。弟に当たっても仕方ないと思い直し、がらっと明るい口調になって言う。
「ついでだ。ちょっと姉ちゃんと遊んでいかないか? ちょうど最近格闘ゲーム買ったから、誰かと対戦したかったんだよ。それと、どうでもいいけど早く上がってこい」
 庭に立ったままの雅牙に、軽く言う。彼女の言う格闘ゲームとは、言わずもがなのテレビゲームであったが、都雅が買ってきたそれを、彼女の祖母がやり込んでいるのを知っている。自分が全然やっていないというのに、学校や仕事に言っている間に祖母に遊び込まれて、何だか虚しくなっていた。祖母と対戦しようなんて気はなかったところだった。ちょうど良かった、と思ってみる。
 わざとらしい彼女の気分転換に気づかなかったのか、気づいていてもそんなこと構わなかったのか、珍しく姉に誘われて、雅牙は嬉しそうに笑って頷いた。




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