座りこんで、低い視線で見た世界があった。無慈悲に照りつける太陽の下、さらされている崩壊した世界。崩れ落ち焼け焦げて残害と化した家々。天上へ向けて、無残に折れた柱がか弱く突き出している。そして累々と並ぶ動かない人間。地面に横たわったまま二度と動くことのない人々。鎧を身につけた人だけでなく、平穏な日々を生きていた、ひ弱な、抵抗する術を持たない人間までもが、死体となって地面に血を垂れ流している。その残骸にと言わず、大地にと言わず、地面に倒れ伏した多くの人々の骸のその背や肩や手足と言わず、突き刺さる無慈悲な矢が墓標のように突き出ている。戦場跡だ。 そして目の前、折り重なって、どすぐろい焦げ跡とも血の跡ともつかない中に倒れている男女がいた。まるで何かを守ろうとしたかのようだった。 何かを、守ろうとして死んだかのようだった。 何かを。――誰かを。 誰かなんて、分かってるけど。 彼はその場に座りこんだまま身動きできなかった。考えることを否定していた。結論にたどり着いてしまえば、耐えられなくなるから。 考えたくなかった。動きたくなかった。どうすればいいか分からなかった。 その目の前に、動くものがちらりとよぎる。移り変わることのなかった視界に、人の姿。背の高い少年だった。そして、人の声。 「なんだお前、生きてるのか」 どこか呆れたような声だった。驚いているようにも聞こえるけど。それはとても懐かしい声だった。愛しい声だった。誰よりも何よりも、彼にとって大切なもの。唯一のもの。 声に誘われて顔を上げると呑気な顔が笑っていた。無慈悲な風景に似合わず、穏やかだった。 「帰ろう」 手を差し伸べてくれる。その手をとりたかったけれど、応えることができなかった。その前に、差し出された手が、切断されて地面に落ちたから。したたる血と一緒に。 悲鳴が、口からほとばしる。長く尾をひいて、蓮の唇から吐き出され続けている。 ――覚えてる。忘れられない光景だ。 出会ったばかりの頃、まだ幼い子供だった彼はいじけて奏を困らせてばかりいた。この時も、わがままを言って厄介ごとに巻き込まれ、危うくどこかに売り飛ばされるか殺されるか、そんな場面を招いてしまった。いつの時代にもいる、愚かな者たちの怒りをあおって。 蓮を守って助け出そうとしてくれた奏が、その巻き添えを食って腕を切られた。胸に刃を突き立てられて。地面に倒れる。 この時も、例の悪い癖のせいで。何よりぼくのせいで。ぼくが、不用意なことをしたせいで。 助けてくれたのに。蓮がいた村が戦に巻き込まれ、彼が日常のすべてを失った日に、地獄のようなところから連れ出し生きるための糧を与えてくれたのが奏だった。意地を張って動こうとしなかった蓮を見捨てることなく、おぶって連れ出してくれた。物好きな奏が、感傷に浸ることにしかならないような、死体の山の築き上げられた戦場跡に足を運んで、そこで親にかばわれて生き延びた蓮を見つけてくれなかったら、どうなっていたか分からない。その後も見捨てることなく、今だってこうして助け出そうとしてくれたのに。 両親だって、戦の騒動の中でわざわざ彼を助けるために盾になって、そして死んでしまった。 ――ぼくのせいで。 ぼくを、守ろうとしたせいで。助けようとしたせいで。 ぼくがここにいるせいで……! 悲鳴が口からあふれるて止まらない。両親を失った時の、焦燥感。そして奏を失うかもしれない、恐怖。地面が崩れていくかのような痛み。 生まれたときは確かに人間だった。戦に巻き込まれたあの日も、まだ人間だった。でも、奏に会わなかったら、すべてを失ったまま絶望の中で死んでいたかもしれなかった。そうでなくても、もしかしたらその瞬間に鬼になってしまっていたかもしれなかった。もし鬼になっていたらどうなっていたか、想像もしたくない。きっと今ここにいるような、人間らしい彼はいなくなっていたに違いない。 結局、実際に鬼に目覚めたのはずっと後のことだ。蓮の中に眠る血に気づいていたのか、それともただのお人よしの性分なのか――完全に後者だろうけれど、その時が来たのは奏が蓮を拾って育てて、数年経った頃のことだ。それでも彼がこうして、彼自身でいられるのは、奏がいたからなのに。 奏がいなければ、蓮は蓮自身の存在する世界から弾き出されてしまう。つなぎとめてくれるものを他に知らない。何より、彼が傷つくのは二度と見たくないと言うのに。最初に居場所を無くしたときよりも、ずっと恐ろしい出来事だ。何の代償も求めず、ただそばにいてくれた人を失うのは。誰よりも大切な人を失うのは。それなのに今だって、ぼくを逃がすために傷ついて。魔道士の少女にあんなことを言ったのだって、自分を逃がすためだと言う事を認めたくなくて。ぼくのためにまたどこかで一人で、傷ついているなんて――! 「蓮」 唐突に耳元で声がしたが、自分がどこにいるかも分からなくなっていた蓮には、何が起きたのか分からなかった。それが誰の声かも分からなかった。指に暖かなものが触れて余計に驚き、息を呑んだことで悲鳴が途絶えた。その事で彼は自分がいつの間にか頭を抱え込んでいたことに気がついた。手に触れたものが誰かの手だと分かった。今も変わらず差し伸べてくれる手。握り締めてくれる手。 そして抱きしめてくれる腕。 「蓮ちゃん、落ち着いて。もう大丈夫だから」 血を流して倒れているはずの人の声だと認識した途端、蓮の目は唐突に闇をとらえていた。正確には闇ではなく、夜の色。正確には、現実を。 彼がここに確かにいると認識することは、それほどの効能をもっていた。 「……悪い癖だ」 そうして、後ろから抱きしめてくれる人が誰かを認めてつぶやく、蓮の声にはいつもの力がなかった。笑い含みの声が、耳元で言い返してくる。 「だって俺は大丈夫だけど、お前はそうはいかないだろ?」 出会ったばかりの頃と、同じことを言う。蓮をかばって腕を切られたあの時と同じに、片腕しか自由に動かせないほど傷ついた体をしているくせに。 幻ではなく。唇から血を垂らし、内臓を潰され腕の骨を砕かれ、立ち上がる事もできなくなっていたはずの奏が、そこにいた。 |