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奏は蓮をなだめるように動く方の腕で彼の肩を軽く叩くと、体を離した。そのまま、手近にあった教卓を軽々持ち上げる。力を溜める様子もなく、相手に向かって投げつけた。威嚇射撃のような一撃は、魔族へたどり着く前に弾き飛ばされ、空中で四散して、黒板にいくつか破片をめり込ませただけに終わった。 「やはりお前もか……」 人間なら死んで当然の重傷を負わせたはずだった。けれどそこに相手が立っていても魔族は驚かなかった。蓮同様鬼の姿をした奏に、彼の体の傷が治りかけているのも、理由を尋ねる必要はないだろう。 「女子供には優しいのではなかったか」 「大抵の場合はって言っただろ?」 あんなものを投げつけられて、普通の人間なら、首でも折って死にかねない。挙げ足をとるように言う魔族の言葉ではあったが、奏は少しも動じた様子はなかった。それは彼が自分に許している唯一の矛盾だったから。 「蓮に手を出した場合は、俺の言う「大抵」に含まれない。もう手段を選ぶ優しさは持ち合わせてないよ、さすがの俺も」 穏やかな笑顔で言う。 「あんたは俺のこと、あんたを侮ってると言うけど、その程度の力はあると思ってるよ。一応、これでも、体は魔族だからね」 「愚かなことを」 奏の言葉すべてに対して、魔族は憎々しげに吐き出した。 「魔族のくせにわたしを止めて何とする」 「だからなんだって?」 奏は平然と問い返す。鬼だからなんだって? 「人を助けて何になるというのだ。何の特になる?」 「あのねえ。何か勘違いしているようだからお教えして差し上げますけど」 わざとらしい調子で、奏はわざわざ丁寧に前口上を上げた。 「俺は人間なんですよお」 頭から二本の角を生やして、金の瞳をしたまま。唇の端から鋭い牙を覗かせたままで彼は楽しげに宣言する。 「その姿で何を言う」 「だから、ちょっとばかし体が頑丈で、そんでもって少しばかり個性の強いだけの人なんだ。今までもこれからもずっと。俺たちが人に仇なすことはあり得ない」 嘲りと共に言われてもまったく揺るがない。自信と信念。生を受けてから数百年、それだけは失わずに悠久の時を生きてきた。 「人間として生まれ人間として生きてきた。途中ちょっと色々あってまあ長生きしてるけど、死ぬときも人間として、「らしい」理由で死にたい」 そんな彼を魔族は軽蔑の眼差しで見る。 「ただの巻き添えでここにいる、この小娘を殺すことは、人の技なのか?」 「俺は人間だけど、生きてきた時代が、この子たちとは違うんだ。人を殺した事もあるし、殺せる。守るためなら殺せる」 本当はそれをしたくないから、あんなに犠牲を払って、傷だらけになってまでその結論を回避しようとしたのだけども。 大きく足を踏み出した。拳を握り締めて、振りかぶる。だが殴りつけたその拳は、指先も動かさずに防御した魔族に当てる事ができなかった。何もないはずの空間で、少女に触れる事もできずに止まっている。 「蓮ちゃん、頼む」 背中から言われて、渋々の顔で蓮が――そのくせ、言われるまでもなく援護できるよう控えていた彼が、同じように両手を伸ばす。 奏の意図など説明されなくても分かる。結局彼は、ここにいる無力な人たちを巻き込みたくないのだ。だから敵を追い出そうとしている。 そして身を守る事はできても、魔族の憑いた少女の足では、懇親の力を込めた彼ら二人の力の前に、その場に踏みとどまることができなかった。蓮の攻撃のせいで亀裂の走った壁に押し付けられ、魔族の結界に触れた壁がヒビを増やしていく。ついには壁が崩れ、ほとんど吹き飛ばされる勢いで、少女は壁の向こうに追い出されていた。 美佐子は都雅を連れて逃げるとき、どこかへ身を隠そうと思った。手近な教室でもどこでも良かったはずなのに、彼女が逃げ込んだのは無意識のうちに、自分のクラスの教室だった。ちょうど建物の二階、壁の向こうは何の障害物もない運動場だ。 奏は頓着せずに壁に開いた穴へ手をかけると、またぎこして飛び降りた。面倒くさそうな顔の蓮がすぐに後を追う。 残されたのは、唖然としている人々だった。 |