まがことのは




第三章









 案内された新藤孝司の部屋は、あきれると同時に、不愉快なものを呼び起こした。小学生に、これだけのものが必要かと問いかけたくなる。十畳も二十畳もありそうな広さに、造りの大きな家具が並ぶ。机ひとつにしても、ベッドにしても、細かな細工がされていて、それを造るのにどれだけの手間がかかっているのか、考えるだけで気の遠くなるようなものばかりだった。それから、ハイビジョンの壁面テレビ、大きなコンポなどの電子機器が並ぶ。映画館みたいだな、とつぶやくと、別の部屋では完全防音のホームシアターがあると言われて、さらに呆れた。
「そもそもお主は何をそんなに気にしておったのじゃ」
 遠慮もなくベッドに腰掛けて、不機嫌そうにしている都雅に、問いかける声がある。組んだ膝の上に肘をおいて、頬杖をついていた都雅は、何気なく顔を向けた。同時に、余計に気の悪くなったような顔になる。脱力した、と言うべきか。
「……お前なあ」
 この部屋には、都雅と菊、そして雅牙と孝司がいるのみだった。足手まといだからと森崎は追い返し、他の人間も寄越すなと言ってある。だからこの部屋にいる人間は全部で三人のはずなのに、頭数が増えていた。
 濡れたような艶やかな黒髪に、翠の鮮やかな瞳の小さな少年。ちゃっかりと洋服を着て、以前美佐子と一緒にいたときのように、少年の姿をした菊だった。
「何をやってるんだ」
 都雅一人ならともかく、雅牙も孝司もいる場所で変化するなど、正気を疑ってしまう。もともと、あまり信用してなかったが。
「じゃから、わしらと孝司は親しいのじゃと、美佐子ちゃんが言っておったであろうが」
 納得できない顔をしている都雅に猫は言う。きっと本当に、この猫の飼い主の少女と孝司は、少女が菊を拾う前から仲が良かったのだろう。
「だからって、そこまで知られているとは思わなかったぞ」
「これは不可抗力というやつじゃ。美佐子ちゃんと話しているところをうっかり見られてしまっただけじゃ」
「それは間抜けと言うんだ」
 にべもなく都雅は言う。ばれた相手が子どもだから良かったようなものの。相手が大人なら、大騒ぎになっているところだ。下手をすれば、美佐子が病院通いをする羽目になっていたかもしれない。
「わしが間抜けかどうかは置いておいてじゃな。おぬしは何をそんなに慌てておるのだ、と聞いておるじゃろうが」
「知らないんなら黙ってろ。世間知らずめ」
「まったくもって愛想のない小娘じゃの。乱暴者でどうしようもない奴じゃとは思っておったが、いくら原因のようなものがあるとはいえ、許されるには限度があるのじゃぞ」
 母親とのことを言っているのだろう。菊は彼なりには遠慮がちに文句を言った。しかしながら、猫のときよりも表情が読みやすいその顔は、あまり怒っていない。
 菊の顔を見て都雅は、フンとわざとらしく鼻を鳴らす。
「お前に言ったってどうせ分からないから、そう言ってるんだろうが」
「言ってみんと分からぬじゃろう」
「今回の相手はどう考えても、魔(ま)鬼(き)だとしか思えないからだ」
 耳慣れぬ単語に、菊は顎に手を当てて首を考える仕種を見せる。ほら分からないじゃないかと、遠くを見るような目をした都雅は、面倒くさそうにつぶやいた。
「年寄りはいたわれとか何とか、いっつもえらそうなこと言ってるくせに、んなこともしらねーのか。恥ずかしい」
「うるさい。わしは普通に俗世間に生きてきたんじゃ。知らんもんは知らんのじゃい」
 説明しろ、とうるさい猫は、短い付き合いではあるものの、経験上、都雅が文句を言いながらもきちんと説明してくれる性格であるのを知っている。
 案の定、都雅は本心から面倒くさそうな顔をして毒づきながらも、説明してくれた。
「あまり表では知られない神話だが、あたしらの間では有名な話がある。そもそも、世界には神と魔と人が共存していた時代があった。頂点には七つの精霊と七つの魔物――世界と同時に生を受けたと言われ、人を作ったのも彼らだというが。そいつらを頂点に、神も魔も人も共存していた」
「神代、八百萬の神か。神話の時代だな」
「そう。魔族は大きく二つに分けられる。魔物を頂点とし、そしてそれに使える『魔鬼(まき)』という存在。そして低俗な、妖魔。魔とはそもそも、物事の負の面をあらわすもの。妖魔は要するに、そういうののカスの集まりみたいなもんだ。まあこいつらを大抵一くくりで考える。もうひとつは、お前らみたいな妖怪というやつだ。もともとは魔ではなかったが、長く生きるうちに変わってきたものとか。妖怪と神々を分ける境は曖昧で、同じものでも文献によっては神と呼んだり魔と呼んだりする。まあ、人間でないことには変わりない」
「精霊とか魔物というのは、どうなったのじゃ」
「とっくにここを去ったといわれている。大きな戦いがあって、それぞれを封印しあったのだとかな。残ったのは数少ない弱った神々と、魔鬼と、悪魔とも呼ばれるどうしようもない妖魔。……と、後々生まれた妖怪だな」
「それで、魔鬼だとどうして困る?」
 問われて、都雅は大仰にため息をついた。訳が分かっているのかいないのか、彼女たちの会話をおとなしく聞いている少年たちを遠目に視界におさめながら続ける。
「相手が妖魔なら、話は簡単だ。あいつらはそう強くない。あたしはだいたい一撃で倒せる。お前には無理だろうけど」
 菊は、少し苦い顔をする。「そうであろうよ」と、ひねくれてつぶやいた。
 問題は、『魔鬼』だ。やつらは恐ろしく誇り高く、しかも恐ろしく強い。その上、残虐だ。美しく、一見人と変わらない姿かたちをした彼ら。
「主人に仕えるのが存在意義だった魔鬼は、主人がここからいなくなったときに大抵ついていっている。それをせずに地上に残っている奴らってのは、ついていきそびれた奴か、人間に害をなすためにわざわざ好きこのんで残った奴。どっちにしたって、ここへ残っておとなしくしているわけがない」
「……で、どうして困るのじゃ」
「やつらがどれくらい強いかというと、そのあたりは多分新藤のおぼっちゃまのほうが詳しい」
 突然話を振られて、都雅の鋭い眼差しと、きょとんとした菊の目を向けられて、雅牙と並んで床に座り込んでいた孝司はびくりと肩を震わせた。都雅と目が合う前に眼差しを菊へ向け、それから雅牙の後ろに隠れるようにしてしまう。
 その様子に困惑して菊は都雅に、すがるような視線を戻した。仕方がないので、都雅はまた大きく息を吐いて続ける。
「新藤家は新しいデパートを建てようとしたらしいな。それ自体は特にどうと言ったことはないだろう。建設予定地にある土地を持っている者から、土地を無理矢理奪い取ったのと言うようなことは、あまりこの際関係ない。よくあることだ」
 けれどもその中に、神社が含まれていたのは良くなかった。
「敷地に含まれる神社は、心霊スポットだとかで、夏になれば必ずと言っていいほど騒がれる場所だった。だがまあ、新藤家は気にしなかった。それだけ魅力ある土地でもあったわけだが」
 建物に溢れ、もう土地も人も一杯になってしまって町の中心部は余裕がない。だから少し町から外れて土地の余っている辺りに、マンションやショッピングセンターが建つようになった。徐々に「街」が移動しつつあった。誰もが、これから発展するだろう土地として認識していた。その一角だった。……だが人々は、その神社にはやはり手を出しかねていた。
 よく、工事中に事故が起こって工事が思うように進まない、ということがある。この場合も、それだった。これまでに何人も、神社を撤廃して家を建てようとしたり、施設を作ろうと試みた者がいた。初めの者は何の手順も何もなしに、突然鳥居を除こうとして大事故になった。撤廃するための機械が突然誤動作を起こし、人々の上に倒れて死傷者が出た。もちろん世間は、この話に飛びついた。――やはり、あの場所には何かあるのだと。
 さまざま好き勝手に騒がれた。異界へつながる場所なのだとか、何かがとり憑いているのだとか、何かに守られているのだとか……。
 それも忘れられた頃、やはりその土地に目をつけた者が現れた。今度はきちんと手順を踏めば大丈夫だからと考えたようだった。それでも、事故は起きた。
 ――その場所は、何があっても触れてはならない場所だった。
「察するに、そこにあったのは結界だ」
「結界? 何かが封じられていたと言うことか。ならばどうして人を傷つけるのじゃ」
「なりふりかまってはいられないようなものが、そこにいるからだろう。多少の犠牲など言ってはいられない、どんな形の警告であれ、ここに近づいてはいけないと、人に認識させなければならない、それだけ厄介なものが」
 人がそれを排除しようとした時に、一番警告を発するように設定されていたのだろう。
 今までその手順を踏んだものは、本当には力を持たない形式だけの術者だったのだろう。たいていの場合はそれで許される。人が重んじるのは形式であり、それさえ整って、当事者の気持ちが落ち着けばそれで十分だったから。
 だが、今回は許されなかった。ここだけは触れてはならなかった。結界の存在も、その意味も理解できずに惨事を招いた。今回の事は――術者に力があったからこそ招かれた事態だと言える。加えて、それに追いつく思慮がなかったからだ。
「多分、このときは、新藤家はきちんとした術者を探し出せたんだろう。大量の金を与えて、元凶を除かせた。だが術者は分かっていて金に目がくらんだか、多少の力はあっても、結界の意味には気がつかなかったか。その結界は排除できたが、結界が封じていたとんでもないものを外に出す結果になった。おかげで大惨事だ」
 雅牙が話を持ってきたとき、はじめはあまりに美佐子に聞いたのと似た話だったからいやな気分になったが、「新藤家」と聞いて都雅がすぐに思ったのは――都雅でなくてもきっと誰もがすぐに思い至るだろう、事件だった。今世間で騒がれている事件。
 人々が粛々と儀式をしている最中、それは起きた。小さな神社そのものが突然決壊した。だが、そんなものは大したことではない。いったい何が起きたのかと世間が騒ぐ原因――
 その神社を中心として、周辺の民家が吹き飛んだ。地面からつきあがる何かの力に押されたかのように、沸騰するかのような形で浮き上がり、そして崩壊した。四方へ十世帯ずつほど。――十世帯だ。町内ひとつがすっぽりおさまるような広さ。新藤家がすでにその土地を買い取っていて、残っているのが家のみで、人が居なかったのが何よりも幸いではあったが。当然ながら、その現場に居たデパートの関係者や工事関係者は全滅だった。
 解放されたのは、そんなことをしてのけるような奴なのだ。長い間封じられていれば、力も衰えるものだというのに――人が寝たきりでいれば筋肉が衰えるのと同様で。それなのに、外に出た途端に、それほどのことが出来る奴なのだ。
 そもそも彼らは人を嫌っていて、卑下していて、見かけただけで攻撃を仕掛けてくるような過激さだと聞いている。その彼らが地上に存在していて、人が平和でいられるのは、ひとえに昔の人が彼らを懸命に封印したからに他ならない。それを、わざわざ開放してくれるなんて。
 どうして孝司が狙われるような展開になったのかはよく分からないが、多分相手は、封印されたことに腹を立てていたのだろう。その場にいた人間を皆殺しにした上、ずる賢いという形容が似合うほど頭のよく、人ならぬ技を持つ彼らのこと、責任者を突き止める事など造作ないはず。今度は、察するに、遊ぶことにしたらしい。責任者の家族を追い詰めて。その辺りが、単純な妖魔と違ってまた厄介な点でもある。
 しかし新藤の家主は事件の対応に追われていて、家のことにかまっている余裕はないようだった。これ以上大事にならないよう、協会にも話をせず、隠蔽するつもりなのだろう。危険なものを野放しにしておきながら。しかしながら、マスコミが家のことに動かないのは、協会が勝手に動いている可能性が強い。そんな荒事をやってのける人外のものが野放しになっているなど世間に知れたら、協会の体面にも関わる大事だ。
「そういう訳だから、お前は絶対に余計なことするなよ」
「なんじゃいちいちうるさいやつじゃな」
 菊猫は、少年の外見にはまったく似合わない年寄り臭い口調で言い返してくる。それも少年の声で言うから、とてもおかしい。
「お前の頭が優秀でないからいちいち言ってやってるんだろ。お前はまあ毎度毎度毎度毎度人の邪魔ばっかりしてくれるからな」
 先日のカツアゲの件と言い、何かと都雅にまとわりついては余計な口をはさもうとする猫に、都雅の声にはかなり恨みがこもっている。さすがの菊も口をつぐんでしまった。さすがにあれこれと口を出しすぎたかと反省したのか、これ以上文句を言い続けると攻撃魔法が飛んでくると学習したのか。
「雅牙も。絶対、何かしようとか考えるなよ」
 菊が黙ったのを認めると、都雅は、孝司の隣で大人しく話を聞いていたもう一人の少年の方へ目を向けた。突然声をかけられて、雅牙はきょとんとした目を都雅に向けた。それから、怒られるだろうかという顔をする。
「このバカ猫に言ったのを聞いてただろう。とりあえず今日撃退できたら、明日には何がなんでも援軍をよこさせなきゃならないような相手だ。現実離れした話だしよく分からなかったかもしれないが」
「でもぼく……」
「あたしが三人もお荷物抱えることくらいは分かるよな。大人しくじっとして、邪魔しないでいること。でないと、今すぐ追い返すぞ」
「でも……」
「お前を傷つけると、あたしがまた文句を言われる。鬱陶しいからそれは避けたい。あたしの言いたいこと分かるか」
 雅牙はハッとしたような顔になり、それからすぐに、重々しく頷いた。彼にとって、先程の母親の様子を思い出すまでもないことだろう。
 それに何となく苦笑すると、都雅は目線をそらす。組んだ足を見下ろして、ため息がもれる。
「やっかいだな」
 どこか覚悟するような声でつぶやいた。



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