まがことのは




第五章









 縁側に腰をおろして、少女は険しい瞳で庭を眺めていた。
 もとは長めのショートヘアだったのだろうと思しき髪は、伸びきって肩に届くまでになっている。素直に愛らしく笑うことさえ出来ればとてもかわいらしい少女だろうに、黙っていてもきつい彼女の目が、相手にやわらかい印象を与えることは決してなかった。
 日も高い午後のこと、この年頃の者ならまだ学校にいるはずの時間だったが、都雅はもともとそんなこと気にしていない。ここ数日、学校になど行っていなかった。学校の方から連絡は来るのだが、彼女も家の者も、適当に応対している。
 それどころではない。
 雅牙がさらわれてすでに数日。
 当然、母親は気が狂ったようになって都雅を責め立てた。彼女自身が重傷と言うこともあり、孝司が、都雅がどれだけ懸命に彼らを守ろうとしたかを証言してくれたのもあって、少しは抑えたようではあったが。――当然、新藤家も責められはしていた。
 だから、やめておけと言ったのに。雅牙も。何より自分も、関わらなければ良かったのに。
 ため息がもれるが、今更遅い。
 一方新藤家の方からはもう被害は聞かない。もし魔族が再び襲ってきたとしても、あれだけの大事が起きた後だ、新藤家もごまかすのはやめたようだし、協会も本格的に護衛に取り組むはずだから、なんとか対処することも可能だろう。しかしながら魔族が現れたという話は聞かないところを見ると、相手は新藤家のことをすっぱり忘れることにしたようだった。それ以前に興味をなくしたのだろう。
 もう、都雅に嫌がらせをすることしか頭にないとしか、思えない。
 それならそれで雅牙を連れていくのは間違っていると都雅は主張したい。だがそんな抗議は当然相手の耳には届かない上、雅牙の命の保証は皆無と言えた。人間の誘拐犯ではないのだ、殺すことにためらいなどない。
 そうは思うのだが、あきらめるわけにはいかなかった。神舞家は警察にも協会にも、表沙汰にはしないようきつく言い渡した上で捜索を依頼している。都雅自身ここ数日ずっとあの魔族の行方を追っていた。けれど、少しも足取りがつかめないのだ。まわりから責め立てられる上に行き詰まって、余計に苛立ちが募る。
 力無く膝の上に腕を置き、都雅はただ庭を睨みつけている。袖をまくったところに添え木をあて、その上から包帯を巻いてある腕は、彼女の細い体に反してごてごてとした印象を与えて、余計に痛々しい。とりあえず彼女自身が回復魔法を使って癒したものの、もともと回復系のものが得意でないから、完全に元通りにはなっていない。何か少しでも衝撃を受ければ、きっとまた折れてしまう。
 だが、そんなこと構っていられなかった。
 どうすればいいかも分からなくて、苛立ちを込めた目をしたまま、じっと座っている。


 猫の鳴き声が、聞こえる。
 かすれているその声。どこからともなく聞こえるそれに、都雅は思わず苦笑した。剣呑としていた顔に、苦笑を浮かべる。
 ――どうやらあの猫、ガラにもなく遠慮しているらしい。
「なんだよ。用があるんならさっさと出てこい」
 どこへともなくつぶやいた。それと同時、彼女の目の前に黒い塊が落ちてくる。
 見事に着地したのは、黒猫だった。頭に巻かれた包帯が黒い体に目立つ。人間になったときに首を絞めてしまうため、飼い主の少女にもらった首輪を泣く泣く外したままうろついているその猫は、紛れもなく菊である。小さく細く鳴いただけで、何も言わずに黙り込んだ。
「なんだ、今日は何の用だ」
 少し疲れた様子で都雅は言うが、猫はまだためらっている。包帯の頭を低くして、翠の目を上目遣いに、都雅の方をうかがうようにして見ていた。
「あのなあ、お前、あたしの性格分かってるんなら、そういう態度をやめて、用事を言え。蹴飛ばすぞ」
 ただでさえ今は、機嫌が悪い。動くのが億劫だし、愁傷な気分だったから、行動の前に珍しく忠告してやると、猫はすくっと頭を上げた。それから口早に言う。
「美佐子ちゃんが大変なんじゃ。お主に言うのも今回ばかりはためらわれたが、わしにはお主以外に頼む相手がおらぬ」
 黒猫は必死だった。
 いつもいつもこいつに関わっているとろくなことがないなと、思う。厄病神でも憑いているんじゃないだろうか、と疑いたくなるくらいだ。
 いや、こいつがあたし厄病神なんだ。
 今更ながらに、心の中でそんな悪態をつく。この切羽詰った状況、他に気を向けている余裕などない時にまた頼み事とは、いい度胸だ。
 けれどこの猫が、都雅以外に頼む相手を持たないのも事実で、そもそも特殊な状況において、頼み事ができる相手がいる方がめずらしいから、菊がここへ来るのは当然だと理性では分かる。様子を見る限り、尋常でないことに巻き込まれたのだろうとも、察しがつく。そして菊からしてみれば、都雅の私情はともかくとして、飼い主の少女の問題が優先されるのは当然のことだろう。それくらいは理解してやってもいい。だから、怒らずにいてやってもいい。蹴飛ばさずにやってもいい。やってられないな、とは思うけれども。
 一応都雅の方にだって、この間にも依頼らしきものは来ていたが、彼女はそれを断っている。自活するために金は必要で、だから依頼はなるべく受けるようにしているのに、珍しくそんなことをするくらい、他に構っていられない状況なのに。
 それなのに言っていた。
「何がどう大変なんだ。とりあえず聞くだけは聞いてやるからさっさと言ってみろ」
 冷ややかに言う都雅に、もう慣れっこな菊はまくし立てる。
「美佐子ちゃんの学校で怪奇事件が起きておる。わしが新藤家の一件で留守をしておるうちに、美佐子ちゃんが巻き込まれてしまうた」
「怪奇事件……」
 猫の言う言葉に引っかかるものがあって、都雅はぽつりとつぶやいた。その様子に、菊猫は首を傾げたが、とりあえず続ける。
「頼む。わしと来てくれ。事情は道々話すでのう」
「ったく」
 必死な猫に対して、少女は大きく息をつく。
 実際気が進まない。
 ――だが、思っていた。先の依頼が来たとき、それを蹴った後で、考えていた。
 彼女が対峙したあの魔族は、始めから激しく力を消耗していた。都雅とのことでさらに消耗して、おまけに傷を負った。雅牙をさらった後どうしているのか分からないが、そのままじっとして、大人しく力の回復を待っているとは思えない。何らかの方法で、失った力を回復しようとするはずだ。
 何らかの方法といえば決まっている。相手は魔族だ。魔族といえば人に仇なすもの。人を喰らうものだ。そして力と成す。それ以外にない。
 怪奇事件と言われるものを虱潰(しらみつぶ )しにしていけば、いつかあの魔族にぶち当たるかも知れない。
 あまりにも気の遠くなるような、さらには、とても体力の追いつくようなものではない、無謀な思いつきだったが。
「しょうがねえなぁ」
 鷹揚につぶやくと、都雅は立ち上がった。
 ――きっと、待ってさえいれば、相手のほうから出向いてきてはくれるのだろうが。
 都雅に余程恨みが出来たようだから。だがそれでは、やはり遅いのだ。それにじっと待っているのは、苛立ちが募るばかりで落ち着かない。まだ見つからないのか、と、ちゃんと捜索しているのかと、神舞の家の方から、毎日責め立てるような電話が来るのに、待っているのなど耐えられない。せっかく家から離れて、なんとか保っていた自我が脆くなりつつあるところに、毎日毎日、じわじわと責められて。少しずつ、少しずつ針を呑まされるような痛みを、この先少しでも味わいたくはない。何もしないよりましだ。
 それより何より、損な性分だとも、つくづく思う。
 はっきりとは言わないが、ついてきてくれるらしい都雅に安心したらしく、彼女の肩に飛び乗った途端、うって変わって猫は文句を言いだした。
「そんなはしたない言葉遣いをするものではないと、いつもいつも言うておるに、学習しない奴じゃ」
「学習しないのはお前だろうが。殴られたいか」
 歩き出した都雅は、通りかかった部屋から、うかがうように出てきた彼女の祖母を見つける。
「出かける」
 都雅は短く言う。
「おや、そうかい」
 祖母の方も、それ以上に軽く返した。
「遅くなると思う。数日開けるかも」
「それは構わないけど……。月曜の夜までには帰ってくること」
「……なんで」
「ビデオの録画を頼みたい番組があるんだよね。あたしはご近所のみんなとカラオケに行って来るから」
「ばあさん……」
 呆れて力が抜けた。
 孫が一大事だというのに相変わらずだ。もちろん、ただびとである祖母が、雅牙のために出来ることはほとんどない。慌てるだけ仕様のないことだが、それでも動揺せずにいられないのが普通だろう。思わず尊敬の眼差しまで向けたくなってしまうが。
「あんたがいないとほんと不便でしょうがないよ。最近の電化製品とやらは、ややこしくて仕方がない」
 言われた言葉の真意が分かってしまって、都雅はとりあえず手をひらひらと振ってみせた。
 ――ちゃんと帰ってきなさい、との言葉。
「人を便利な道具かなんかと勘違いするなよ」
「あの子を、あんまり恨まないでおあげよ」
 再び歩き出そうとしたところ、留めるように声をかけられて、少女は足を止める。
「なんだそれ」
 いつも通りに飄々とした態度で言う祖母の言葉に、都雅はいつも通りに皮肉な笑みを浮かべて返した。――あの母親を、恨むなと?
「お前の立場で恨まないってのは無理だろうけどね。あの子もつらい目を見てきたもんだから、性格ゆがんじゃったんだよ」
 その「あの子も」は一体どこにつながるのか、と問い返したくなる言葉だった。性格がゆがんでいる、かかるのなら、あんたには適わないよ、と思うのだが。
 とりあえず大人しく話を聞いている都雅に、祖母は続ける。
「あの子も、子どもの頃には、お前のような桁外れの能力(ちから)を持っていたんだよ。うちは大きな家ではないが、古き良き血脈をもつ家だ。もとは神を祀っていた巫女の血筋だと伝わっているしね。血の中に眠る力というものがあるのだろうね。それがあの子の中にも、やはりあったんだろう。でもそれを制御しきれなくてね。友達を傷つけてしまったことがあった」
 子どもには抱えきれない力を持っていたのだという。そしてふとした拍子に、それは表にあふれてしまった。例え要因が大したことではなくても、感情の制御の仕方すら知らない子どもなら。
 それは加減も何もない、剥き出しの牙となってまわりの者を襲う。その感覚は、経験として、都雅も知っている。
「あの時は大変だったんだよ。相手の親がうちまで来て騒ぎ立てるし、噂になってしまって、クラスの子とかにも、化け物、なんて呼ばれてねえ。学校を変わったりもした。あの子は、それはもう化け物なんて言われたのが余程つらかったようで、それ以上に、友達を傷つけてしまったことで自分を責めてしまって、自分で自分を追いつめて苦しんでいた。結果、記憶も能力も全部、無意識に封じてしまったようだった。……だから、あの子はお前が怖いんだよ」
 能力者やそういう者が起こす不可思議な現象は、封じたはずの、思い出したくもない過去を思い出させる。記憶を解きそうになるから、それを抑え込むので必死になる。
 それをほころばせるのが、自分の娘などと近しい存在なら尚更。記憶が重なってしまう。
 その上彼女は今、財界においても存在の大きい家に身を置いている。他に対して虚勢を張り続けてきた彼女にとって、特殊な、普通でない力を持つ娘というのは、余計に自分の負い目になった。
 苦しんで苦しんで、結果、必要以上に都雅に冷たくなっていた。その反動で雅樹を溺愛している。――他のものが目に入らないように、必死に。
「勝手だよな」
 吐き捨てるようにつぶやく。
 理由があるのだという。だがそれで、彼女の今までのつらさを忘れろと言うのは、あまりにも勝手だ。――理由があるからと言って、許されるものでもない。自分の子の不始末を許してやれと孫に言うのも、どうなのだ。大人の不始末を、どうして押し付けられなきゃいけないんだと、思う。
「人間てのは勝手な生き物なんだよ。知らなかったのかい」
 飄々と返されて、都雅は苦笑した。
 やっぱり、この婆さんには適わない。
 普通ではない力を持つ自分を否定しないこの親を持って、どうしてあの女はあんなにひねくれたんだろう、と思う。あまりにも贅沢だ。逃げた者を許してなんかやらない。そんなことしたら、今あがいている自分があまりにも、無意味に思える。
 ため息をついてから、都雅は踵を返して、後ろに向かって手を振る。ついでに菊も挨拶がわりに一声鳴いた。
「はいはい。それじゃ、行ってくる」
「ああ、帰りに、新藤さんとこのデパートで、プリン買ってきておくれ。……もしかしたら、この間のお礼でただでくれるかも知れないし」
 苦笑が笑みに変わってしまった。
 中空にあったはずの日はもう沈み始めている。赤く染まった部屋の中、少女は歩き出した。




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