まがことのは




第六章









 その学校は、結構な町中だと言える場所に建っていた。
 近くには大きなスーパーマーケットがあり、有名ファーストフード店があり、ゲームセンターやカラオケボックスがあり、生徒が足を運ぶ場所には困らない程度に辺りは栄えていて、教師たちにとってはやっかいな環境にある。
 だがそれは一面から見た場合の話で、学校周辺は田圃が多い。一つ向こうの道路に出れば交通量の激しい道に出るのに、その辺りだけ切り離されたように田圃と民家の点在した場となっていた。
 ほとんど生徒たち専用のような、舗装されているだけましのあぜ道のような道路を通らなければ、学校には入れない。夜になって学校の明かりが消えてしまえば、その辺りは人の通りもなく街灯もなく、ただ闇に沈んでしまう。そびえる建物が不気味な雰囲気をかもし出す、出来れば夜には近寄りたくない場所(スポット)の一つだった。
 そんな夜道を、少女はひたすらに自転車で走っていた。門までたどりついてから、転げそうな勢いで飛び降りて、脇に自転車を止める。
 肩で息をしながら校舎を見上げた。目的地につくことにばかり懸命になっていて深く考えていなかったが、実際についてみると、見慣れたはずの建物がなんだか違うものに見える。威圧感に足がすくんでしまった。
 当然のことなのに、人の気配が感じられないことが恐い。暗くて不気味なことよりも、そのことの方が恐い。
 けれど少女は自分を励ますように拳を固め、「よしっ」と小さな声で気合いを入れた。閉められた門に手をかける。危なっかしい動作でよじ登り始めた。
 やっぱりズボンをはいてきて良かったと思う。それもわざわざ動きやすいようにと考えて、ジャージにトレーナーという格好だ。こんなところにも妙な気合いが入っている。
 少女が動く度にガチャガチャと鉄格子の門が音を立てて肝を冷やす。宿直の人が出てきたらどうしようと、ひやひやしている少女は、今日は宿直の当番も警備のバイトもいないことを知らない。
 なんとか上までいくと、少女はそこから思い切って飛び降りた。よろけそうになりながらも着地して、再び校舎を見上げる。
 ただ門を越えただけ。何メートルも移動したわけではない。なのに、なんだか違和感に襲われた。
 境界線を越えてしまったような錯覚。門によって隔てられていた、この世ではないどこかへ迷い込んでしまったような、奇妙な感覚。
 寒さのせいだけではない震えが体を襲って、少女は少しの間動けずにいた。
 恐い。やっぱり恐い。ここに来ようと思ったときだって家を出るときだって、やっぱり恐かった。なるべく思わないようにしようと思ったが、一生の間二度としたくない体験をした場所であるだけに、来てみると思っていた以上にすくんでしまう。
 この門だって、できれば近づきたくない。嫌なことを思い出させるから。
 ――多分きっともう二度と、あれだけの流血を見ることはないだろうと言うくらいの、おびただしい血。人から流れ出た血が、水たまりのように溜まっているところなど、見たくなんかなかった。
 でも今は恐がっている場合じゃない。やっぱりまだ、完全には立ち直れないけど、思い出すだけで胸がキリキリと痛むけど、過ぎたことだ。過ぎたことをうじうじと気にしても仕方がないし、反面これからじっくり時間をかけて立ち直ることもできる。
 でも今現在起きている問題は、今でなければならない。解決するのを後回しにするなんて訳にはいかないのだから。
 再度気合いを入れ直し、少女は校舎を睨みつけた。先刻の音を聞きつけて誰かが駆けてくる気配もないし、どうやら邪魔されることはなさそうだということに、ひとまず安堵する。
 目的地は特にない。強いて言えばまずこの門と、屋上と――校庭、くらいだろうか。
 門には来てみても何もなかった。それなら次に向かうのは、屋上だろう。
 そう思って少女は歩き出した。数歩進んで、その耳に、悲鳴が聞こえて足が止まってしまった。すくんでいた。女性の声だ。――嫌なことを思い出させる。あの時は悲鳴なんか聞かなかったけれど、それでも思いだしてしまう。
 少女が立ち止まったところで、パッと電気がついた。驚きのあまりにビクッとしてから、少女は光のもとを見る。彼女のいる正門の真正面の校舎、昇降口の上の三階の廊下で蛍光灯が光っているのが見える。光りに照らされて、窓に人影が見えた。
 誰か人がいるんだと思って無条件にホッとしてから、それが歓迎できる事態なのかどうなのか考え込んでしまう。
 けれどそれも長い時間のことではない。ライトがついた廊下で大きな光が弾けて、少女の目を射た。蛍光灯とは比べものにならない光りは、暗さに慣れた目に痛いほど眩しい。
 懐中電灯というようには見えない。それにしてはあまりに光は大きく、蛍光灯を圧するほどのとんでもない光量だった。遠くにいる彼女が白く照らし出されるほどだ。それに電気の下で懐中電灯をつけるような人はあまりいないだろう。
 驚いて少女が動けずにいると、その光は轟音を上げて廊下を破壊する。割れたガラスをキラキラと照らし出しながら飛んだ。空中を駆け廊下を突き進み――突然ぱたりと消滅する。
 呆気にとられて、少女は動けない。
 なんだろう、あれは。今のはなんだろう。どう見たってどう考えたって、尋常ではない。普通じゃない。爆音がしなかったから、爆弾なんかの類じゃない。人が起こし得ることのようには見えなかった。
 少なくともあそこには、校舎の壁なんか簡単に壊せてしまうような『もの』がいる。技術的にもそれができて、精神的にも、そんなことしても平気な危険な者がいる。
 少女自身それを分かっていて――むしろそれを確かめに来たようなものなのに、実際普通で考えられないようなものを見ると、やはり恐怖に身動きとれなくなる。
 ――でも。
 始めて見るものじゃない。『それ』を出来るのが、必ずしも『悪者』なのではないことを、知っている。
 だから。――だから。
 大きく息を吸い込んで、吐き出した。それから唾を飲み込む。
 彼女は意気を奮い起こして、再び足を踏み出した。





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