まがことのは




第十章








 崇子は三年ほど前、都雅を見た事がある。崇子自身がまだこの世界で駆け出しだった頃だった。そのとき都雅は、協会の人間に呼ばれて本部事務所を訪れていた。協会において、どちらかというと内部業務、つまり事務関係の仕事を任されている崇子は、受付に座っていて少女を見かけた。
 覚えているのは、理由の一つに彼女が幼いとも言える年だったからというのもある。協会内部にも若い者は当然いるが、あれほど若いのはめずらしかった。そして都雅の与える強い印象と、彼女がそこに来るにいたった経緯が有名だったから、よく覚えている。
 協会が人を増やす方法は、スカウトによる方法か推薦が主である。自ら希望してそこにくる人間は多いものの、採用されることはまれだ。その例にもれず都雅は、協会の人間にスカウトされてそこを訪れていた。依頼を受け、問題の対処に当たっていた協会の調査員が、思った以上の事態に依頼に手こずり、危機に陥ってしまったところを、通りすがりに「ひょい」と助けたのだと言う。――「ひょいっと助けられた」と言い張るその主張が、崇子にはよく分からなかったが、それだけ簡単に何とかしてしまったということだろう。
 呼ばれて大人しく協会へ足を運んだものの、都雅は組織へ入る事を拒んだ。しかしこの力を役立てて稼ぐことが出来るのならそうしたい、と言った。だが独立して客をとるには彼女は若く、実績も経験もない。だから、協会からの「請け負い」でなら仕事をしてやる、と言ったのだそうだ。
 一種の権威である教会が外部の人間を頼るという事は、ほとんどないことだ。いわゆる「エリート集団」であり、警察や政府の介入ですら許さない彼らは、だからこそ依頼された物事を組織内で片付けねばらない義務もある。だが、例外がないわけではない。組織の人間では介入できないような事情の事件もあり、表沙汰にできないようなことや、または今回のように、どうしても頼まざるを得ない事態もある。――人手不足だなどと情けないことだが。今回は仕方がなかった。
 しかしやはり、何の功績もない都雅の言い分を聞くには協会は生易しくはなく――けれども、推薦した人物が彼女を強く推したことも、そこそこ発言に力のある者だった事もあり、そして中枢にいる人物がおもしろがったこともあり、彼女に一つの事件の調査の補助を頼んだ。この結果次第で考えてやろう、ということだった。
 都雅はいとも簡単にそれを片付け、自身の力と頭脳をそこに示した。今となっては、たいそうな二つ名とともに、この業界で知れ渡るほどに実績をあげている。「最強」だとすら囁かれるほどに。協会の請負も、この業界への足がかりを作ってくれたという程度の借りだけを残してとっくにやめてしまっている。独立し、あの年で、大人たちや、ささやかな探し人の依頼から猟奇事件まで、世俗と渡り合っている。
 対して、崇子にとって現地で現象を調査することは、とても勇気のいることだった。彼女自身能力は高い。その自覚も自負もある。協会に所属していられるのだから。そして上司に「せっかく能力はあるのに」と嘆かれることも、叱られることも多いからだ。行動を起こせば、それなりの業績を上げることだってできるはずだ。でも、能力があることと、実施で動けることは、別だ。
 でも、だって、仕方ない。
 普通の人間が、普通でない現象を前にして、正気でいられるものか。しかも自分に敵意を向け、害をなそうとするものを前にして、平然と立っていられるものか。
 ――所詮、わたしとは違う人種だと、崇子は思っていた。
 奏にしても、蓮にしてもそうだ。彼らだって業界においては名の知れた存在だ。多分、彼ら自身は意識していないだろうけれど。崇子から見れば彼らの態度だって、力のある人は、強く出られて当然だと思っていた。鬼だと知った後は、当然のように尚更そう思った。彼らは異種なのだから。
 強く、揺るがない。迷わない。自信と才能にあふれた人。
 だけどもそれは、崇子の勝手な思い込みだった。印象の押しつけだった。あなたとは違うと言い返したかった、自分を守りたかった言葉は、出すことができなかった。あんなに強く見える人たちですら、必死である事など、彼女は気づいていなかった。決め付けて、気づこうともしなかった。
 だけど、決してそうではなかった。必ずしも、そうではない。知っていた、だけど、分かってはいなかった。
 彼らは彼らの目で、彼らの命を、彼らの世界を生きている。わたしとは、違う能力を持ち、違う意識を持ち、だからこそ違う痛みを抱いている。
 大きく息を吸い込んで気持ちを落ち着ける。彼らにはできない、けれどわたしにはできることがあるから。急に強く立つことはできなくても。
 基本は呼吸。気を落ち着けて、大きく息を吐く。自分の中の邪気を吐き出していく。吐き出したのは自らの中にある、汚れた空気。
 そして新たな息を吸い込む。これは、神の息。入ってきたものは神の息吹。
「ひと、ふた、みい、よ、いつ、む、なな、やあ、ここの、たりや」
 静かに唱えながら、呼吸を整える。
 どうか、助けてください。わたしを、彼女を。そう願いながら、唱える。
 ――――手をかざす。




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