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「パパの名前は、エリオット・ハーヴェイ。科学者よ。前にレインボーメロディっていうおもちゃ流行ったでしょ。マイクを持って歌うと、マイクの先からメロディーに合わせて色とりどりの光が出てきて踊るの。オーロラみたいにね。あれはパパが開発したのよ。……そんなことより世間の人は、昨夜のニュースを思い浮かべるでしょうね。パパの名前は、エリオット・ハーヴェイ。昨夜、地下鉄の駅で殺されたわ」

 少女は静かに語った。雑居ビルの一室にある事務所に突然現れ、用件を尋ねた男を冷めたブルーアイで見ながら。癖のない金髪を肩に垂らして、フレームの太い黒縁の眼鏡をかけた少女は、姿勢をピンと伸ばして、綿のはみ出た黒革張りのソファに腰掛けていた。ブレザーにネクタイとボックスプリーツのスカートを崩すことなく着こなしている。胸の校章は有名私立学校のものだ。それだけで、私は世間知らずです、と言われている気がする。彼女の目の前、ローテーブルの上で、マグカップ入りのブラックコーヒーが静かに湯気をあげていた。
「それは、お気の毒に」
 少女の向かいのソファに座った男は、肩をすくめてみせた。
「ありがとう。でも、私はお悔やみを言ってほしくてここに来たんじゃないの。ミスター・グラント・ロウズ?」
「なに……ああ、外のプレートを見たのか」
「ええ、「グラント・ロウズ探偵事務所」でしょう、ここは」
「ロウズは一緒に事務所を開いた友人の名前だ。俺はジェディディア・グラント」
 あら、と少女は少しだけ驚いた顔をする。
「ごめんなさい。わたしてっきり、あなたのお名前だと思って」
 この部屋に似合わない少女はどこか人形めいていて、ジェディディアにはその仕草もわざとらしく感じられた。
「嬢ちゃん」
「リリー・ハーヴェイよ」
「リリー、お嬢さん。こんなダウンタウンの、ギャングまがいの探偵事務所は、お嬢さんの来るところじゃないし、俺はあんたが来た用件を聞きたくなくなった」
 男は尻のポケットからくしゃくしゃになったマールボロの赤い箱を取り出すと、煙草を取り出して口にくわえる。テーブルの上に放り出してあったライターで火をつけた。じりじりと煙草の焼ける音がする。
「私、犯人を見つけたいの。パパが死んだ真相が知りたいのよ」
 少女は煙をゆっくり吸い込む暇も与えてくれない。男は溜息といっしょに、口の中にたまった煙を吐き出した。
「用件は聞きたくないと言ったはずだし、犯人探しは警察の仕事だ」
「でもあなたは探偵でしょう。探偵は依頼があれば犯人調査もするはずよ」
「俺は浮気調査とか人探しとかが主な仕事だ。たまにストーカー対策なんかもやるが。どんな業種の仕事でも、専門にしてるものがあるもんだ。何より、どんな依頼が来ても、受けるかどうかは俺の裁量だ」
「そう、残念」
 今度は少女が肩をすくめて見せた。ジェディディアの少女の印象に、ひとつ書き加わる。したたかな、と。ジェディディアは今度こそ煙草の苦い煙で肺を満たして、苛立ちを抑えようとした。
 少女はマグカップを両手で持ち上げ、男が出した泥沼のようなブラックコーヒーに口をつける。誰に出しても、まずいと顔をしかめられるコーヒーを、少女はすました顔で飲んだ。
「どちらにしても、すぐにこの部屋を出た方がいいと思うわ。私きっとここに入るところ見られていたから」
「……なんだって?」
「パパが殺されたの。パパは政府に軍事技術の協力をしていたわ。私も見張られていたの。だから」
「いい加減にしろ!」
 突拍子もないことを言いだした少女に、ジェディディアは少女を怒鳴りつけていた。男の唐突な大声に少女は体をこわばらせて、カップのコーヒーが踊った。少女は眉をしかめ、頭痛をこらえるようにこめかみを押さえる。それから静かにマグカップを置いて言う。
「突然大きな声を出さないで。下品よ」
 怯んだように見えたが、そうではなかったようだ。
 階段を上がってくる乱暴な足音が聞こえて、ジェディディアは舌打ちした。次いで、ドアを乱暴にノックする音が響く。
「出ないほうがいい」
 少女は静かに彼を見た。
「あんたは黙って座ってろ。さもなくば帰れ」
 ジェディディアは煙草を咥え、息を深く吸い込んで肺を煙で満たすと、テーブルの上の灰皿に煙草を押しつけた。唇の端から細く煙を吐き出しながら、腰の後ろ、ジーンズに挟んでいた銃を取り出し、両手で構えてドアの脇に立った。少女の警告を信じるわけでもないが、珍客の直後にやってくるものを警戒して損はない。
「誰だ?」
「グラント。いるんだろ?」
 木製のドアの向こうから高圧的な声がする。ジェディディアは眉間にしわを寄せた。
「だから、誰だって聞いているんだが」
「いいから開けろ。開けないならこじ開けるぞ」
 何だと、と言い返す間もない。
「離れて!」
 少女が叫んだ。あまりの剣幕に、ジェディディアはとっさにドアから離れ、さっきまで自分が座っていたソファの上にダイブした。
 カツン、と音がする。刹那、爆音が響いて、ドアが吹き飛んだ。ジェディディアは爆風でソファから転げ落ち、ローテーブルで頭をしたたかに打った。
「グレネード!?」
 あり得ない。爆音で耳がやられて、わめいた自分の声もどこか遠かった。訳がわからない。だが頭の痛みも、耳の痛みも、粉微塵のドアも、綿が半分吹き飛んだソファも幻ではない。硝煙の臭いが鼻をつく。目が回るのをこらえ、ローテーブルに手をついて、体を引き上げるようにして立ち上がった。
「来い、早く!」
 少女はソファの上に倒れていたが、怪我をしている様子はない。少女の腕をひったくるように掴んで引き起こし、隣室に駆け込む。自宅に使っている部屋の奥の、錆びついて堅い窓を力任せに開け、少女をビルの四階の窓から外に押し出した。
 金属音を響かせて少女のローファーが非常階段に着地する。続いてジェディディアが飛び出した頃、ドアの破片を蹴散らして侵入者が家に入りこんだようだった。
「走れ!」
 言われるまでもなく少女は駆けだした。錆び鉄の臭いが漂う非常階段を駆け降りていく。武骨な鉄材を踏みつける堅い音が反響する。
 二階ほど下ったところで上から声が聞こえて、ガシャンと重い音がこだました。侵入者が非常階段まで追ってきた音だ。逃がしてくれる気はないようだった。急がないと追いつかれる、思うと同時に、銃撃音が降ってきた。跳弾して火花が散る。当たりはしないが、身を固くした少女をかばいながら、ジェディディアは下を見遣った。非常階段は地面まで続いてはいない。地面へ続く梯子は手動で下さなければならないが、そんな余裕などない。
「跳べ!」
 ジェディディアの声に、少女も今度は少し躊躇した。ジェディディアは舌打ち一つ少女を抱えるようにして、鉄骨を蹴りつけ、今度は地面に向かってダイブした。
 着地した脚に鈍い衝撃が奔るが、気にしている場合ではない。少女を引っ立てて逃げようとしたが、ジェディディアはジャケットの袖を掴まれ引きとめられた。
「待って、眼鏡を落とした!」
「そのくらい後で買え!」
「だめよ!」
 馬鹿か!
「行け!」
 心中で叫んだのとまったく違う言葉を叫び舌打ちしながら、ジェディディアは少女を押しやり、少し離れたところに転がっていた黒縁眼鏡を拾い上げた。同時に数センチ先の地面を銃弾が穴を開け、ひやりとした感覚がそこから這い上がってくる。ジェディディアは地面を掌で押しのけるようにして立ち上がり、駆けだした。
 少女が少し先を走りながら、ジェディディアを振り返っている。馬鹿か、振り返ると塩の柱になるんだぜ。心の中で再度舌打ちしながら、ジェディディアは叫んだ。
「走れ!」
 銃弾が地面に穴を明ける音が追いかけてくる。


 死に物狂いで走り、路地を抜け、追手がないのを確認して、ジェディディアは逃げるのをやめた。必死に後をついてきていた少女は、足を止めた彼にぶつかり、よろけてから止まった。お嬢さまにはきつい運動だったかもしれない。
 道端にたむろする少年たちが、彼らを不審そうに見ている。
「ほら」
 ジェディディアはぶっきらぼうに、眼鏡を少女に差しだした。握りしめて走っていたから、フレームがゆがんでいるかもしれないとは思ったが、口にしなかった。
「ありがとう」
 少女は素直に礼を言い、眼鏡を受け取った。彼女は嬉しそうだったが、ジェディディアは眼鏡をかけた少女の違和感に気付く。
「おい、レンズにひびが入ってるぞ」
「問題ないわ。伊達なの」
 少女は平然とした顔で言った。
「お前、そんなものを取りに行かせるな」
「でもパパのプレゼントだから」
 娘に伊達眼鏡を送る父親か。今度は少しあきれる。命を狙われるような親子だ、変装用かもしれないが。
「いいか、俺は絶対に、お前の依頼なんて請けないからな。俺に二度と近寄るな。あ、いや、家の修理費だけは後で請求させてもらうからな」
 言い捨てて、背中を向けたジェディディアに、少女は追いすがる。
「待って。報酬はあなたのほしいだけ用意できると思うから、手を貸してほしいの」
「探偵は何でも屋じゃない」
 ジェディディアは足を止めずに、大股で歩いていく。追いつこうとして少女は小走りになった。
「何でも屋でしょう」
「犯人探しもボディーガードも調査業に含まれない」
 突然爆撃されたり銃で撃たれたり冗談ではない。
「あなたは、ダウンタウンのギャングまがいの探偵でしょう。銃だって扱えるんでしょう」
「それとこれとはまったく別の話で、依頼をうけるかどうかは俺の裁量だと言ったはずだ」
「でもきっと、あなたは私に協力していると思われたわ」
 ジェディディアは、再び足を止めた。勢い余って少女はまた彼の背中にぶつかる。眉間にしわを寄せ、ジェディディアは少女を見下ろした。
「ハメたのか?」
「なりゆきよ」
 少女は平然と言う。懇願しているのかと思いきや、そんなかわいげはまったくなかった。最初はすましたお嬢さまだと思ったが、なんともしたたかな娘だ。
「わたしのパパは殺されたの。犯人を探したいの。わたしには、あなたしか手掛かりがないの」
「……なんだと?」
 ジェディディアは今度こそ、少女に向き直る。
 手掛かり、と少女は言った。
 しかめっ面をして見る彼を、ひび割れたレンズの奥の冷めた瞳が見返してくる。静かな水のような青い瞳は、なんとも強情だった。
 ジェディディアはただただ溜息をつく。フェイクレザーのジャケットを脱いで、少女にかぶせた。
「とりあえずその目立つ制服を隠せ」
 少女の返事など待たずにさっさと歩きだす。
「情報を持っていそうな奴のところにいく」


 ごみごみとした街並みを人目を避けて歩き、ビルの一階に入っているコーヒーショップのドアを開ける。ドアにつけられた鐘が間の抜けた音で鳴った。ふわりと濃いコーヒー豆の匂いが中から溢れてくる。
「おい、カーター」
 カウンターとテーブルが三つのみの狭い店だ。ジェディディアが呼び掛けると、カウンター脇でコーヒーを飲んでいた店主らしき男が顔をあげた。
「ジェッドか!? ……ん?」
 顎鬚を生やした黒髪の男は跳ねるように立ち上がり、その拍子にコーヒーを自分の手にこぼして、あちいっと大声をあげた。コーヒーカップを放り出してしまい、ガチャンという音が店内に響き渡る。だが男の目は火傷をした手でも、コーヒー染みを作った白いシャツでも、割れたカップでもなく、少女を凝視している。
「リリー・ハーヴェイ!」
 ジェディディアが眉をしかめてカーターを見やると、男は間近にあった14インチのブラウン管テレビを指さしてわめいている。
「お前、これ見ろ!」
 エリオット・ハーヴェイが地下鉄の駅で殺されたことについてのおなじみのニュースだった。地下鉄で帰宅しようとした時にチンピラにからまれて銃殺された状況、開発した商品などについての説明、FBIによる捜査が行われていること、ジェディディアも把握している状況に加えて、思いもよらない一言をキャスターが付け加えた。
「ハーヴェイ氏の娘で17歳の少女が行方不明となっています。何らかの事件に巻き込まれた可能性があり、こちらもFBIが全力をあげて捜索中です」
「FBIだと? なんでこんな事件にFBIが動く」
 無表情のキャスターに向かってジェディディアがつぶやく。そして、カウンターに片腕を寄せて立っている少女を見遣る。行方不明だなどと、ピンピンしてここにいる。そのジェディディアの肩を掴んで、カーターがものすごい剣幕で怒鳴った。
「お前、まさか誘拐したのか!」
「するわけないだろう!」
 反射の勢いでジェディディアが言い返す。
「ちょっと、ちょっとこっち来い」
 カーターは彼の腕をひっつかんで少女から離れると、声をひそめて詰った。
「お前、勝手に持ち場を離れて何やってたんだ。携帯くらい出ろ。請けた仕事はきっちりこなせ。仲介した俺のメンツに関わる」
 詰る彼の言葉にジェディディアは唇を歪めたが、低い声で応えた。
「悪い」
「レイエスがカンカンだぞ。ギャングを怒らせるなよ!」
 カーターが叫んだとき、トントントンと、ノックのような音が聞こえた。少女が、人差し指で木のカウンターテーブルを叩いている。ピンと背筋を伸ばして男たちを冷やかに見やる姿は、生徒の私語をいさめる教師のようだ。
「目の前で内緒話はやめてほしいわ。失礼だし、意味がない」
「意味がないって?」
 カーターは軽薄な唇をゆがめて笑った。
「さすがサイボーグ。密談も意味がないか」
「大声でわめいてたくせに、それで密談のつもり?」
 少女の言うことには一理ある。だがそれよりもジェディディアは、カーターの言った場違いな言葉にひっかかった。
「サイボーグ?」
 少女はジェディディアを見た。冴え冴えとした目は、かえって彼女の怒りを示していた。
「どこかの馬鹿者は、パパが私の頭に、貴重な技術を詰め込んでると思っているの」
 カーターは肩をすくめて見せる。からかうような仕草にも、少女は変わらない調子で続けた。
「私、生まれつき難聴で、頭にインプラントを入れているの。三歳の時に手術して人工内耳を入れたそうよ。だけど、人が多い場所では聞き取りにくいし、音楽もあまり楽しめないの。だからパパは私のために、音楽が目に見えて楽しめるおもちゃを開発したし、人工内耳を小型改良化していった。普通、人工内耳は完全に聞こえるほどに補正してくれるものではないのですって。体外装置も必要だけど、私の場合はすべて体内に埋め込んで他の人と変わらない見た目になったし、普通の人工内耳よりもすばらしく聞こえがいいらしいの。おかげで私は、今はほとんど不自由なく聞こえる生活が出来てる」
 思いもかけない話をされて、ジェディディアはひるんでしまった。カーターの言いだすことといい、少女の言うことといい、話が突飛でどこに飛んでいくものか、予想もつかない。この少女が事務所にやってきたときから。いや、それ以前から。
「それは、分からなかった」
 すまない、と言いかけたジェディディアを、少女は「やめて」と厳しい声で止めた。ティーンの少女に叱られて、ジェディディアは少し罰が悪い気持ちのまま、話を続けた。
「エリオット・ハーヴェイって何者なんだ」
「言ったでしょう。パパは軍に協力していた。音響工学の物理学者よ。主に電気音響工学をやっていたわ。パパが国に協力していたのは、開発費や設備や私の手術代のためだった。私のために研究開発されたものは、軍事利用のために応用されていったわ。ナノテクノロジーを利用したインプラントの内耳。聞こえる人に埋め込んで、諜報活動に役立てたり。詳しいことは機密だから知らないけれど。パパは何かトラブルに巻き込まれていた。気付いていたけど、パパが何も言わないから黙っていたの」
 そんな人間が殺されれば、深夜の地下鉄に巣食うチンピラが犯人だろうとも、真相をはっきりとさせるためにFBIが動くこともあるかもしれない。そんな男が殺されて、娘がいなくなればニュースにもなるだろう。FBIが動いた真意はむしろそちらかもしれない。
「あんたはなんでこんな町に来たんだ。ニュースになってまで、何をしたいんだ」
「ジェッド!」
 カーターが苛立った呼ぶ。だがジェディディアは腕を振って、黙るようにと睨みつけた。それから少女に向き直る。
「このままあんたを連れまわってたら、俺は本当に誘拐犯だ」
「パパが殺されたとニュースで見たの。私は心当たりがあったから、それを追って家を飛び出して、そのまま誰にも連絡してない」
「そういうのは警察に頼れ」
「FBIならうちに来たわ。わたしを護衛するって言ってた。でも、どうしてパパが死なないといけなかったのか、本当のことは警察にもFBIにも分からないわ。分かったとしても、わたしには教えてもらえないの!」
 少女が叫んだ。したたかに冷静にふるまっていた少女が感情をあらわにしたのは初めてで、ジェディディアは面喰ってしまった。
 だが当然だ。
 彼女は父親を殺されたのだ。
 ジェディディアは、悪い、とつぶやく。今度は、少女は止めなかった。強くジェディディアを見て言った。
「パパは何かトラブルに巻き込まれていた。気付いていたけど、パパが何も言わないから黙っていたの」
「ジェッド! 悪いことは言わない、今あの娘を置いて出ていくか、ボスに引き渡せ」
 カーターがしびれを切らしたようすで、大声で割って入った。
「エリオット・ハーヴェイが死んだときに、その娘を捕まえて連れてくるようお前に指示がいったはずだろ。今ならまだ間に合う。まさか情が移って、逃がすつもりで連れ回してたわけじゃないだろう」
「俺だって好きで連れ回したわけじゃない。この嬢ちゃんが俺のところにいきなりやってきたと思ったら、どっかの誰かが俺の家を爆破したんだ!」
「だから、勝手なことをしているとボスに殺されるぞ!」
 怒鳴りつけたカーターに、ジェディディアは口を閉ざした。奇妙な沈黙の中、店の窓ガラスの向こう、舗装の悪い道を、ガタガタと揺れながら車が走っていく。
「お前が、エリオット・ハーヴェイを殺したのか?」
「違う。殺したのは、俺もお前も面識のねえチンピラだ」
 意味深な言葉に、ジェディディアは片眉を吊り上げた。
「お前、まだ何を知ってる」
 カーターは、口を閉ざした。それから一呼吸つき、唇の端を吊り上げて笑った。
「言うとでも思ったか? そこから先はお前みたいな下っ端の領分じゃないぜ」
 ジェディディアは舌打ちをする。確かにその通りで、その上金にならなければカーターはものすごく口が堅い。


「探偵さん、ここを出たほうがいい」
 突然少女が言った。はあ? とカーターは不審そうに少女を見ているのを横目に、ジェディディアは思わず身構えた。窓ガラスの外を見遣るが、異変は見当たらない。だが、先刻も少女の警告がまずあったのだ。どちらにしても妙な襲撃を受けた以上、一か所にとどまらないほうがいい。
「表から出ないほうがいいわ」
 ジェディディアの元に駆けよりながら少女が言った。
「そうだな」
 勝手知ったる調子で、店の奥に踏み入ろうとしたジェディディアの腕を、カーターが掴む。
「ジェッド、待て!」
 振り返るジェディディアに、細く整えた眉を吊り上げて、カーターは強く言った。怒鳴るわけではないが、強く。
「お前本気でいつか死ぬぞ。相棒みたいに!」
 事務所を開いたばかりで、無茶をして身の丈に合わない仕事を受けて、ギャングの闘争に巻き込まれて死んだ相棒の姿が脳裏によぎる。
「その時は、その時だ。俺は相棒が死んだときに、人は殺さないと誓った」
「そんなんだからお前は、ちまちました仕事で小銭を稼ぐしかできないんだよ!」
「それが悪いと思ったことはねえ!」」
 ジェディディアが怒鳴ったときだった。ガシャンとガラスの割れる音がした。
 今日二度目の嫌な予感に、ジェディディアは少女を抱え込んで、カウンターの後ろに飛び込む。瞬間送れて、音と閃光が弾けた。爆風とカウンタテーブルの上にあった物が降り注いでくる。
閃光弾フラッシュバンか!」
 テロリストなどをひるませて鎮圧のために使う音響閃光弾だが、間近で爆発すれば死ぬこともある。こんな狭い室内で使えば小爆弾と変わらない。追ってくる奴は、少女を捕まえたいのか殺したいのかよく分からない。
「ちくしょう、むちゃくちゃしやがって!」
 鼓膜がしびれたようになって、耳鳴りがひどい。まわりの音も自分の声すらも聞こえない上に平衡感覚もない。カウンタの後ろに伏せていたおかげで幾分かましだが、閃光で目もやられている。
 ふいに手を強く掴まれて、ジェディディアは顔をあげた。警戒して振り払おうとしたが、それ以上に強く握りこまれた。細い指で、少女の手だと分かった。
 ジェディディアは少女に引っ張られるまま、走り出した。



 
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