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 店の裏口から路地に出る頃には、影しか見えなかった視界にようやく色がつきはじめた。
「あれが効かなかったのか」
 ジェディディアは前を走る少女に問いかける。
「予想していたから、聞こえないようにしてた。あなたのおかげで目はやられなかったし」
 少し振り返り、少女はジェディディアを見た。補聴器のスイッチを切っていたとでもいうことだろうか?
 そして少女は、この街のことなど何も知らないはずなのに、迷いなく路地から路地へと駆けていく。見事に人目を避けて選んで走っていく。
「嬢ちゃん待て」
 ジェディディアは、自分の手を掴んで走る少女の手を逆に強く握り、引きとめた。驚いて足を止め、少女が振り返る。ブロンドがまぶしく踊る。車がやっとすれ違える程度の路地だった。夕陽がさして、アスファルトもコンクリの壁も、少しばかり赤く染まっている。眩んだ目に痛い。
 路地の壁にもたれ、少女の手を掴んだまま、彼女の青い瞳に向かって言った。
「話、聞いてただろ」
「わたしを引き渡すとか言う話?」
 少女の黒いフレームの奥のまっすぐな冴えた瞳が、ジェディディアを見ている。ジェディディアはその真剣な眼差しに目を射抜かれたまま、そらさず、少女を見返した。
「そうだ。それもあるが」
 それの意味するところが、分かっているはずだ。
「あんたのパパを殺したのは俺だ」
「……違うわ」
 どういう根拠か、少女は否定した。ジェディディアは頭を振る。
「俺が殺したようなものだ」
 今度は、少女は何も言わなかった。
「あんたを張ってたのは俺だ」
「知ってた」
「……だろうな」
 そうでないと少女の行動はおかしい。父の死の真相を突き止めると目に探偵を探していたにしても、こんなダウンタウンまでやってくる必要はない。もっと大きな調査会社がいくらでもあるだろう。心当たりがあると言った。だからジェディディアのところに来たのだろう。だが、どうしてジェディディアが、彼女を見張っていたのだと気付いたのか。しかもどうやってジェディディアの事務所までつきとめたのか。エリオット・ハーヴェイが殺されたのは昨夜だ。あまりに早すぎる。
「どうやって突きとめた」
「私の聴力は普通の人と違うの」
「それはさっき聞いた」
 聞こえない、ということじゃないのか。
「違うの、そうじゃない。パパが、私の補聴器を改良したのよ。あの人が言っていたことは本当なの。普通の人の数倍の範囲の音を聞くことができるし、私の意志で抑えることもできる。特定の音を探して拾うこともできる。心音を聞きわけて、嘘をついているかどうか判断することもできるわ。私の頭には、軍事利用された技術よりも数倍の物がきっと詰まっているわ」
 突拍子もない話だ。だが、彼女が襲撃を予言したことを思えば、嘘ではないのかもしれない。
「ずっと同じ人物の足音が、私の近くにいるのに気付いてた。たぶん私を見張っているんだって気付いていた。もしパパがつけたSPなら私に話さないわけがないから……だって、どうせ私には分かってしまうんだもの。言わない意味がないじゃない。だからよくないものだろうって思ってた。パパがトラブルに巻き込まれたんだろうって。だけど、パパがいつも通りだったから、私も何も言わなかったわ。一緒に朝食を食べて、パパは私の入れたコーヒーを飲んで、研究所に出かけて行った」
 そして昨夜、帰ってこなかった。
「私を見張ってた人の足音が遠ざかって、テレビのニュースでパパが殺されたのを知ったわ。気がついたら足音の人を探して追いかけてた」
 どう考えてもその人間は、トラブルに関係している。自分も殺されるかもしれないとは思わなかったのか。
「あんた、無謀すぎるよ」
「だって、私は知りたかったの」
 誰が父親を殺したのか。なぜ死ななければならなかったのか。例え自分のためだと、自分のせいだと思い知ることになったとしても。……そうなのだろうと、思い知るために。
「……悪い」
 ジェディディアは、うなだれてつぶやいた。
 死んだ相棒に、人を殺さないと誓った。しかし結局、こうして人殺しにかかわっている。
「あなたは悪いけど、悪くないわ。……多分」
 太い黒縁の眼鏡は表情を隠す。ただ少女は相変わらずに冴えた瞳で、ひび割れたレンズの向こうからジェディディアを見て言った。


「探偵さん!」
 ジェディディアの後ろを見て少女が叫ぶ。考えるよりも早く、ジェディディアが腰にはさんでいた銃を抜いて振り返るのと、後ろから銃を向けられるのは同時だった。
 追いついて来たカーターの銃口は、ジェディディアの後ろの少女の方を向いている。ジェディディアの持つ銃は、カーターの額を捉えていた。
「ジェディディア・グラント。その娘をよこせ」
 カーターは低く抑えた声で言う。銃を構えていない方の腕から、血が滴っていた。
「お前、この子を殺す気か」
「生きて頭が無事であれば、手も足も吹き飛んでたっていいんだぜ」
 あまりの言いようだが、事実なのだろう。ジェディディアは舌打ちをした。
「誰が、エリオット・ハーヴェイを殺したんだ。お前知ってるんだろう」
「ただのチンピラだ。断じて、俺は関係がない。多分レイエスもな」
 どうでもいいことだが、とカーターは言う。父親を殺された少女を前にして、あまりの言いようだったが、それも彼にとっては事実だろう。
「エリオット・ハーヴェイは脅されていた。娘の命を盾にしてな。だから彼はわざと治安の悪い場所に行き、わざとチンピラにからまれ、殺されたのさ」
「……なぜ」
「言うことを聞かなければ娘を殺す、と脅されていた。協力を断れば娘は殺される、のがれるために自殺なんてしようものなら、調べられて理由が表沙汰になるかもしれない、腹いせに娘が狙われるかもしれないと思ったんだろう。殺害されたのなら、彼は国に協力していた重要人物だから、娘も保護してもらえると思ったんじゃないのか。脅迫から逃れるために、無関係のところで死んだんだろう」
 チンピラに金を脅し取られた挙句に殺されるようなこと、よくある話だ。警察が詳しく調べ上げることもないだろうと踏んだのかもしれない。
「お前たちは、何をしようとしているんだ」
「本当に知りたいのか?」
 銃口を額に向けられたまま、カーターは薄く笑った。
「ストレイキャッツ。好奇心は猫をも殺すぜ」
「言えよ、トムキャット。俺だって頭に来る相手は殺すかも知れないぜ」
 ジェディディアは静かな目でカーターを見て、銃口を彼の額に押し当てた。カーターは焦る様子もなくジェディディアを睨む。
 静かに答えた。
「レイエスは企業ともつながりを持っている。そいつらが新しく創る会社に協力するよう要請してたのさ」
「新しい会社?」
「市民監視だよ。お前みたいなケチな個人事務所とは違う、調査会社による一般市民監視だ。公的組織とは違う民間の企業団体で、市民を監視しようとしている。政府やら公の組織では国民の反発を食らうことを、調査、警備という名目で外部がやるのさ。そしてやつらに売りつける」
「愛国者法の大義か」
「そう、対テロと銘打った、な。数年前に市民団体の監視が表沙汰になってから、国民の反発も強い。組織内で行うことには多少問題があるが、民間会社なら、都合が悪くなったときには会社をつぶして創ればいいからな。対テロなんざ、そんなのは建前だ。国民の統制、監視、管理が目的になっている。すでに衛星、監視カメラによる、国民の管理は始まっているが、エリオット・ハーヴェイの研究は更に役立つものだったから、協力を要請していたのさ」
 いいように利用されたことと、自分への苛立ちでジェディディアが舌打ちをする。
「俺は、そんなことの片棒を担がされていたのか」
「後悔する必要はないぜ。聞かされないことは聞かない、首を突っ込まないのがルールだ。死にたくなければな」
 それは言われるまでもないことだった。この町で生き抜きたければ、ボーダーラインを守らなければいけない。
 依頼主の内情にまでは踏み込まないのがルールだ。詮索はしない。しがらみが増えて、知って得することなどない。カーターのように情報を集めたがる人間なら別だろうが、余計な厄介事に巻き込まれる結果になるだけのこと。
 そしてジェディディア自身も、余計なことなど、何も知りたくないと思っていた。知って巻き込まれて、取り返しのつかないことになるのは、もう二度とごめんだと思っていた。それが、どうだ。
「どのみちレイエスは娘を殺すつもりがなかったから、お前に監視させたのさ。恐喝に加担してると知らなければお前は一生懸命仕事を果たすだろうしな」
「黙れ」
 いいように利用されたことと、自分への苛立ちでジェディディアが舌打ちをする。
「エリオット・ハーヴェイが死んだ以上、その娘の頭に詰まったインプラントは何よりも重要だ。サイボーグの噂が本当だったのなら尚更」
 ジェディディアは気がつくと、拳を握りこんでいた。
 鈍い音がしてカーターが吹き飛ぶ。壁に肩を打ちつけ、そのままずるずると座り込む。負傷していた腕が筆になって、血の跡をつけた。殴られて切れた口の端をぬぐい、てめえ、とカーターが唸る。
「その娘は金になる。レイエスに突きださなくても、どこかに売りつければ高く買ってもらえるんだぞ!」
「黙れっつってんだよ!」
「裏切ったと思われてるんだぞ! レイエスに逆らうつもりか!」
「故郷の妹に、女子供は絶対に傷つけないと約束してる!」
「お前正気か! 馬鹿だろう!」
 馬鹿なのは、知っている。ジェディディアが何か言うより前に、少女が叫んだ。
「探偵さん、後ろから追手が来てる! 五人はいるわ!」
 少女の言葉を聞くが否や、ジェディディアは彼女の手をひっつかんで再び走り出した。カーターに構っている場合じゃない。こんな路地で挟み撃ちなどされては冗談ではない。早くこんな町から少女を出さないといけない。
「探偵さん、前に車!」
 少女の警告と、ブレーキ音が鳴り響くのは同時だった。彼らが向かう路地の出口を、つんのめるようにして車が停まってふさいだ。男が降りてくる。ごついミリタリーのブーツが地面を叩く。革のジャンパーを羽織った男は、くわえ煙草の唇を吊り上げて笑っていた。体はごついくせに思いのほか整った顔をしている。威圧するような空気をしていながら、冷淡な目をした男。細長い筒のようなものを車から取り出して、軽々と担いだ。
「チクショ……!」
 ジェディディアは慌てて止まり、踵を返した。拳銃を掲げるようにして、追手に構える。
 その後ろから何かが飛来して彼らの横を過ぎ、道路脇に止まっていた車に激突した。爆音がして、車が燃える。とっさに腕を上げ少女をかばったジェディディアたちの髪や服を爆風がもみくちゃにする。硝煙の臭いやらガソリンの臭いやらが鼻の奥を襲っていく。爆音でまた耳がやられたようだった。吹き飛んだサイドミラーが降ってきて、彼らの横に落ちた。
「いかれてやがる!」
 爆煙と粉塵の中、ジェディディアはたまらずわめいた。わめかずにいられなかった。RPGを持ち出してくるなど正気を疑う。対戦車擲弾など使って、市街戦でもやらかすつもりか。金儲けの前に自分がテロリストとして逮捕されるつもりなのか。
 その間にも、銃撃が彼らを襲う。道の端にある鉄のごみ箱の影に少女を押しこむようにして隠れながら、ジェディディアは舌打ちした。
「レイエスめ。くそっ」
 逃げ場がない。毒づいたジェディディアに呼応するようなでかい声が、弾幕の向こうから聞こえてきた。
「グラント、いるんだろ! さっさとその嬢ちゃんを渡せ!」
 後ろから来ているはずの追手はやってこない。これだけの爆撃と銃撃の中心に駆けつけてくるやつもいないだろうが、銃撃もない。多分最初から彼らを逃がさないために路地をふさいでいるだけなのだろう。レイエスが微妙に照準を外してくるのも、少女を殺すつもりがないからだ。
「探偵さん、危ない!」
 少女が叫ぶ。
 再び、鈍く空気を裂く音がした。強い硝煙の臭い。ジェディディアはとっさに少女を抱え込もうとしたが、間に合わなかった。大きな長い弾が、彼らのいる間近の壁にぶちあたって爆発した。爆風に吹き飛ばされて、少女が壁に叩きつけられた。鈍い音がする。
 ブロンドが赤く染まった。ジェディディアの貸したジャケットの下、白いブラウスがどんどん赤く染め変えられていく。その上に後から後から、粉塵やら瓦礫やらが降ってくる。
「シット! 馬鹿か、あいつら!」
 死にさえしなければ、手や足がなくても、というのはどうやら本気らしい。
 サイレンが聞こえたのは、そんな中だった。
「警察だ!」
 誰かが叫ぶ声がする。当然だ。家の爆破から、カーターの店の爆破から、果ては路上で銃撃戦だ。治安のいい街ではないとは言え、警察くらい来るだろう。
 黄昏時に赤と青のワーニングライトは賑やかで、パトカーがやってきてから、ギャングたちの撤退はあまりにも素早かった。路地の行き先をふさいでいた車が急発進して、タイヤで地面をこすりつけるような甲高い音を響かせながら去っていく。
 やれやれ、とジェディディアは大きくため息をついて、まったく役に立たなかった銃を放り捨てた。


「大丈夫か?」
 壁にもたれて座り込んでいた少女は人差し指を唇にあてて、静かに、という仕草をした。
 両手をそれぞれ輪の形にして目に当てる。男は不審に少女を見て、眼鏡をしていないのに気がついた。
「見えないのか?」
 少女は男をしっかりと見て、首を横に降る。
「もしかして……聞こえないのか?」
 少女の目はジェディディアの唇を見ている。そして、頷いた。
 眼鏡は探し回るまでもなく、少女の間近に落ちていた。持ち主よりも先にボロボロになっていた眼鏡は、それ以上の傷を負わなかったようだ。最初のヒビ以外に問題が見当たらない。ジェディディアが拾って渡すと、少女はゆっくりと眼鏡をかけた。汚れてひび割れたレンズの向こうに、青い瞳が隠れる。
「ありがとう」
 ゆっくりと確かめるように言った。
「大丈夫か? 頭から血が出てる。動かないほうがいい」
「そうね。じっとしておく。痛いし」
 少女は大きくため息をつく。
「インプラント、壊れたみたい。聞こえなくなっちゃった」
 そういう彼女の表情は、どこかあっけらかんとしている。
 頭を強く打ったせいか。爆撃のせいか。ひどい爆音ばかり聞かせたせいか。よくわからないが思い当たることばかりだった。
「しゃべれてるじゃないか」
「パパは心配性だった。これは、眼鏡型の骨伝導式補聴器なの。人工内耳が不具合を起こした時のための予備よ。普段はスイッチを切ったままで、これを使うのは本当に久しぶり」
「そうか」
 ジェディディアも、深く息を吐いた。
「馬鹿だな……」
 少女も、ギャングたちも。人騒がせな、エリオット・ハーヴェイも。
「あなたもね」
 少女はジェディディアの腕を指さした。そこもべっとりと血がついている。気付かなかったが、いつの間にか負傷していたらしい。どこかにぶつけたのか、爆風のせいか。これも心当たりがありすぎてもう分からない。
「インプラントは、パパでないとメンテナンスできなかった。どちらにしても壊れる運命だったのよ」
 言いながら、少女は唇をゆがませた。震える唇をかみしめて、嗚咽を懸命に飲み込もうとしていた。けれどそれに逆らうように、眼鏡の奥で涙は静かにあふれて少女の頬を流れていき、次から次へと彼女の膝に落ちて行く。
 ジェディディアは、無事な方の腕伸ばして、少女の手を握りしめた。


 へたり込む彼らのところに、スーツの男が駆けてきた。
「ミス・リリー・ハーヴェイ? 探しましたよ。ご無事で何より」
 FBIと大きく印刷された身分証を見せながら、若い男は言った。皺ひとつないスーツも革の靴も、戦場跡のように瓦礫や煙だらけになった路地裏には、違和感しかなかった。ネクタイが妙にポップでおかしい。
 少女のこれが無事に見えるかと悪態をつきたかったが、やりあうのが面倒でやめた。彼らなりに、勝手に行方をくらませた少女に対して思うところがあるはずだ。FBIの護衛を振り切って、ギャング相手に無茶をやらかしたにしては、無事な方だろう。
「彼女は頭を打ってる。念のため病院に連れて行け」
 ゴミ箱にもたれてへたり込んでいるジェディディアに、FBIの捜査官は不審の目を向ける。
「彼は探偵よ。変な奴らに追われてるところを助けてくれたの」
 少女の言葉にも、捜査官は視線を緩めない。
「とりあえず、後で話を聞く。先に手当を受けろ」
「ありがたいね」
 ジェディディアは無事な方の手を挙げて、降参のポーズをして見せた。
 カーターがどうしたか分からないが、とっくに逃げたかもしれないし、捕まったにしてもものらりくらりとかわすだろう。そうでなければ、やつがレイエスに殺されるだけだ。
 捜査官の指示で、瓦礫の中にキャッシャーが持ってこられた。少女は大事に抱えあげられて、キャッシャーに横になった。後頭部の傷をかばうように横向きに寝かされて、ジェディディアを見る。眼鏡がずれて少し間が抜けて見える。
「探偵さん。今回の報酬は、言い値で支払うわ」
 彼女は笑う。したたかさが戻ってきたようだ。
「正直、俺はあまり役に立ったと思えないぜ。逃げ回っただけだしな」
「でも助けてもらった」
 それは良かった、とジェディディアも笑う。彼のところにも救命士が駆けてきてキャッシャーに乗せようとしたが、それを断ってジェディディアは立ち上がる。傷の痛みに思わず呻いた彼に、少女は言い足した。
「ねえ、この街で生きていくのが難しくなったら、いつでも私が雇ってあげる」
 確かに、ジェディディアの家は爆破されたままだし、ギャングのボスに逆らったままだが、あまりにもこりていない言葉だ。
「アイアイ。考えておくよ」
 ジェディディアは苦笑して、ひらひらと手を振った。
「じゃあな、リリー」
「さようなら、探偵さん。またね」
 少女は応えるように少しだけ笑った。
 
終わり
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テーマ「音」。内輪で開催された「仮面祭2」への寄稿作品。作者名を伏せて短編を書き、書き手をあてるというもの。
色々モチーフはあるのですが、書きだすと長いのでこちらへ

graphic:NEO HIMEISM