エゴイスト 2


 暗い部屋の中に、小さな人形が浮かんでいた。
 可愛らしくて、子供なら誰でも持っているような、そんなごくありふれた人形。ぬいぐるみではなく、手足がしっかりしていて関節で動く奴だ。薄汚れてはいるが、壊れてはいない。かなり愛玩されていたものだろう。
「助けてっ!」
 女の子らしい可愛いベッドの上に座り込んでいる少女が、悲鳴を上げる。いきなり現れたあたしと子供に、助けを求めてくる。いくら溺れる者の藁とは言え、怪しく思わないのだろうかこの子は。
 そんなことはさておき、参ったなあ。人形は少女を狙っているらしいが、室内じゃ大きな呪文は使えないか。炎系もダメだな。
「お前は何をやっている」
 大して動じもせずに言うと、柔らかな顔をしていた人形はもの凄い形相をして怒鳴った。
「黙りおれこの小娘が!」
 口が耳まで裂けてその上、目がつり上がっている。髪は大げさなほどに逆立っていて、まるで威嚇している猫みたいだ。
「うるさい、人形」
 まったくこの人形もこのバカ猫も、もう少し外見に似合ったしゃべり方をしてくれないかね。それと、時代を考えてだねえ……。
 思っているうちに、いきなり人形の目が光った。
 ちいっ。
「これでも食らえ!」
 どういう攻撃をしてくるかはさっぱり予想がつかない。が、目には目を、と言うわけであたしは防御などしない。そのかわりに攻撃である。当たってくれればめっけもの、当たらなくても盾にするには呪文よりもはやい。
 人形に向かって、近くにあった物を放り投げた。
「う゛にいいいいい 」
 あ、バカ猫だった。
 まあ、いっか。人形の奴驚いて攻撃すんの忘れてるみたいだし。
「砕けて消えよ」
 バカ猫は人形の念力か何かで横にはじき飛ばされた。が、それと同時に、奴に掌を向けていたあたしの呪文が人形を襲う。
 空気が歪み、力の波動が人形に向かっていく……が。
 呪文が低い音をたてて弾けたのは、人形に当たってではない。人形が張った何かの見えない壁で、だ。
 ほう。そこそこには力があるらしい。
「おのれ、邪魔をするな!」
 爆風に髪を乱しながら、人形が睨みつけてくる。
「仕事なもんで」
 ただ働きだけどな。
 別に表情も変えず恐がりもせず、同じように爆風に髪を踊らせてさらりと言ってやる。どうにもこうにも、嫌みったらしく見えたらしい。
 人形はすうっと、表情をもとの微笑んでる人形らしいものに戻した。――怒ったな。


 われはいくる われはいくる

 そして歌い出した。
 即興のとしか言い様のない歌だった。だがこりゃあ……。
「童歌(わらべうた)じゃ」
 バカ猫が少年の姿のまま猫みたいに丸まってうめきながら嫌そうな声をあげた。
 そうか、『歌』か。
 結構特殊な能力だなこれは。


 われはいくる われはいくる
 われはいくる



 異様な妖気が部屋を渦巻き始めた。人形を中心に力が渦巻いて集まりつつある。あの声、あの妖力、半端じゃない気迫だな。
 あー、どおもこりゃまずいわ。
 あの女の子、人形から引き離さなきゃな。でもなんか動いたら真っ先にあの子襲われるだろうし。
 さあて、どうしたもんかの。
 ――が、その前にこっちの身が危ないか。
「風よ集いて盾となれ」
 両手を突っ張って呪文を唱えるが……わずかに呪文が弱いかっ?
 人形の放った力が、風の壁を突き破って指先から真後ろに突き抜けていった。
 指から突き抜けるような衝撃が、それから瞬間の遅れもなく全身に激痛が走り抜ける。髪も服もまとっていたマントも、後ろになびいていく。後ろで何かが壊れるような音がした。
「甘く見たか」
 舌打ち舌打ち。
 はがれかけた生爪からあふれる血を見て、あたしはどうにもむかっ腹が立った。
 人形ごときにここまでやられるとは思わない。
 第一この仕事、護衛にはつきものの夜の寝不足が嫌なくらいで、大したことのないごくごく楽ーな仕事のはずだった。ただ働きだがな。
 ……ったく、金にもならん仕事で怪我するなんて。
 痛いなあ、もう。
「どうやらあたしを怒らせちまったみたいだな」
 今までと変わらない表情で別に怒ってないみたいにあたしは言ってやった。……が、結構怒っている。
 人形がビーズの目をきらきらさせながら、赤く描いてある線の口を動かすこともなく、また歌い出そうとする気配がした。
 ああ、ああ、そう来ますかそうですか。
 あたしなんか怖くないってそう言うことかな。
「砕けて消えよ」
 別に掌を向けることもなく、今日何度目かの呪文。
 だが、同じ呪文でも格段に威力が違う。
 ――――ッしゅうううううっ 
 異様な音をたてて空気が収縮していく。巨大な力の波動が急に現れたものだから、空気が脇に押しやられている音だ。
 人形の方も変わらぬ表情のままだったが、焦っているのが感じられた。急いで再びさっきのように力の壁を張る。
 が、さっきのとは格段に攻撃力が違うのだ。まあ、つまりは気合いの入れ方が。
 人形の張った見えない守りの壁は、呪文と相殺して音もなく砕け散った。けれど勢いが殺し切れてない。爆風もさっきの比じゃない。
 人形ははじき飛ばされて、後ろの壁にぶつかった。
 腹の立ってるあたしは手加減なんかしてやんないのだ。続けざまに、呪文を放つ。
「まといて来たれ」
 軽く片手をかかげながら言った。
 途端、辺りの風が一瞬止まる。瞬間後、収縮されて人形の方に動いた。さっきと同じように、けれど違う意味で音をたてながら、もの凄い勢いに、髪やらマントが吸い寄せられるようになびく。
  どん――
           ゴキ
 短くて嫌な音がした。
 収縮した風の圧力で、壁に押しつけられたままの人形の体が折れたのだ。同時に、壁にも少々亀裂が走る。あくまで、少々である。……うー、ちょっとやばいかな。
「おのれ……!」
 人形の奴はぼさぼさの髪の間からあたしを睨みつけた。なんだよしつこい奴だな。
 攻撃してくるかと、身構えたが、どうやら違う。
 少女の方を攻撃するつもりらしい。――ちっ、後でこの子の両親に金請求しようと思ってたのに、ここで傷つけられたらやっぱりただ働きになっちまう! 実はさっきから部屋の外で両親らしき人の声が聞こえるのだ。騒ぎを聞きつけたらしいな。入って来れないと言うことは、あの人形我なんか細工したか。
 あたしが少女の方に走り出す前、人形は少女の方を向いて、瞳を黒光りさせた。それから奇妙な声をあげる。頭がおかしくなりそうな、耳をつんざく高音だ。
 耳を押さえながらも恐怖に顔をひきつらせる少女に、二つに折れた人形の『声』が襲いかかった。あたしに対して歌ったときと同様、凄まじい力が少女の方を襲った。
 まいったな、間に合わないぞ。
 走り寄るあたしの目の前に、再び黒猫の化けた子供が飛び出した。少女の前に両手を広げて人形の前に立ちふさがる。
 ありゃまあ、お前、ホントに懲りないな。
 昨夜あたしの依頼人をかばった時の怪我は、一応癒してやってある。だが、魔道にも向き不向きがあって、あたしは癒し系のものは苦手なのだ。あたしが得意なのは破壊系の力。まあこれには理由がある。その人の気質ってもんだが説明はめんどくさいので、カットする。
 とにかくそういうわけで、バカ猫の昨夜の怪我は完全には癒えていない。怪我をしたときよりは格段にいいのだが、それでも完全じゃない。それでもしつこく身を挺して飼い主の少女をかばおうとした。
 さっきはあたしも防御していながらも傷を負ったのだ。生身じゃ、相当なもんになる。
 バカ猫は全身に人形の力を受けて、血を吹き出させながら少女の腕の中に倒れ込んだ。それから変化(へんげ)をする力もなくなったのか、昨夜と同じように、猫に戻ってしまった。
 あーあ、知らねえぞ、正体見せちまって。もう飼い猫じゃいらんねえだろうな。
 驚く少女を尻目に、人形はいったいどこに舌があるものか舌打ちなどして、不機嫌そうに言った。
「おのれ化け猫が邪魔をしおって」
 いや化け猫って、お前とどっこいどっこいだがね。他人(ひと)のこと言えた分際じゃなかろうに。
「お前もホントしつこいな」
 呆れ半分怒り半分にあたしが言うと、人形はギョロッとあたしを見た。
「黙れこの、魔道士(エゴイスト)が」
 あれあれ、魔道士のそのあだ名を知ってるとは、結構物知りなのねえ。
「そのあだ名知ってるってことは、魔道士の本質も知ってるよな。しつこくあたし怒らせてどうするつもりか知らねえが、魔道士ってのは怒ると恐いんだよん、ってなことを、教えてあげないとねえ」
 そのあだ名、嫌いなのよねえ、あたしは。
「その前に、あの小娘が死んでおるわ」
 人形はしつこく少女をねらおうとした。あたしが呪文を唱えてる間に、あの変な音痴な声をあげるつもりらしいが。
 残念ながら、そのヒマはあげません。
 あたしは人形を一睨みしつつ、つぶやいた。



「死ね」



 本来魔道とは、自然現象をねじ曲げて『現実には起こり得ない現象』を起こすこと。いきなりなにもないところに火を出したりとか、風を起こしたりとか、そういうことは普通はできないからな。
 最近では『呪文を唱えて現象を起こす』のが魔道だと思われているが、自然現象ってものを自分の思うように操って起こり得ないことを起こさせることが魔道なら、別に呪文なんてもんは必要ないのだ。
 王様が一睨みして臣下に言うこと聞かせるみたいなもんで、極端に強い意思の力と多少の魔力さえあれば、呪文なんて必要ない。でもそれは当然なまなかなもんじゃねえからな。そこんじょそこらの魔道士にはできっこない。……あたしが癒しが苦手なのは、別に『癒そう』という意思が強くない、自暴自棄な人間だからとかいうのは誰かに言われたことがあるのだがね。つーことは、破壊欲望のほうが強い、欲求不満ってことかい。
 とにかく元来呪文とは『こう言えば現象を起こしやすい』キーワードでしかないのだ。
 まそういうわけで、人形はあたしの足下に粉々に砕けて転がってたりする。
 一方バカ猫の方はと言うと、少女の腕の中でぐったりとしている。
「まさか……! どうしてこんな 」
 少女が悲鳴のような声をあげると同時、彼女の両親が部屋に駆け込んできた。
「どうしたんだいったい、これは! ……何だお前は!」
 あ、見つかった。
 説明すんのもめんどくさいので、あたしは片手などあげつつ応える。
「や、どうも」
 怪しさ大爆発だが、別に構やしねえだろ。どーせ知らない人間だし。
 あたしはすたすたとバカ猫の方に行くと、座ったまま身を引く少女を尻目に、猫に声をかけた。
「よ。生きてるか」
 猫はかすかに首を動かしてあたしを見た。
 じぶといな、生きてやがる。
「お前、バカだよな。正体みせちまってどうすんだよ。もうここにはいらんねえだろ。このまま死ぬか?」
 バカ猫は、ぐったりしながらも、あたしを見上げて笑った。口の端をにいっとつりあげちゃったりして、気持ち悪いし恐いし、やめろよその顔。
「お主……実は、かなり優しいじゃろ」
 いきなり何を言うかこいつ。
 助けてくれとか他にもなんか言うことあるだろうに、何だその『実は』って、あたしをバカにしたような言葉は。助けてほしくないのか。
 こんなひねくれた人間も珍しいのに。
「どうすんだ……って、一々聞いてくるってことは。心配してくれておるのじゃろう……?」
 …………やだねー、もう。
 確信しきっちゃってさあ。
 あたしは開き直ると、今度は少女の方に声をかけた。
「あんたに選択肢をやる。よく聞け。……あんたを助けたい救助代とこの猫の治療代をあたしに払ってこの猫をあたしに癒してもらうか、金は払わないがこのままこいつを見殺しにするか。二つに一つだ」
 化け猫なんぞのために金を払うとは思えないがね。
 それでも……可愛がってた飼い猫が化け猫だからって見殺しにするような奴の家にこれ以上いる必要もねえだろ……と、あたしは思う。
 …………結局、お人好しなのだろうかあたしは。
 まあ別にいいやそんなことは。
 とにかく少女の返事を待つことにする。



 ちなみに今回あの猫が頼んできた仕事は、あの人形から少女を守り、人形を始末することだった。少女が長年かわいがっていた人形を、もう汚れてしまったしもうそんな年でもないしと言うことで、捨ててしまったのだが、人形はそれを恨んだ。ゴミ収集車の中からリターンマッチで、少女に恨みを晴らそうと、他のゴミどもを蹴散らして復活してきたのである。まだ生きたいと。
 数日前からやばそうな雰囲気を悟ったあのバカ猫が、退治できそうな人間を探していたのだそうな。
 あの人形は結局あたしにごきごきにされたわけだが、少女は人形のかけらを拾って、大事そうに「供養してもらいます」と言っていた。
 が、まあそれはいいさ。関係ないしな。
 あたしを待ってる間人形を拾い集めた少女は、ひとまずそのかけらを机の上に置くと、まだぐったりしてる猫を受け取って抱きしめた。
「ありがとね」
 優しく頬ずりなどしている。
 このバカ猫は、変化なんかできたり、しゃべったりできるからには、相当年をとった化け猫である。ある程度以上の知能もあるわけだから、人間に飼われているなどおかしなことなのだ。とは言え、野良猫には住みにくい昨今、腹をすかせてかなりやばいとこまで来てたこいつを拾ったのが、あの少女なのだという。
「じゃな、可愛がってもらえよ」
 あたしは猫の頭をぽんぽんと叩くと、すたすたと窓の方へ歩き出した。
「あの、お金は…… 」
 やだなー、もう。折角格好良く去っていこうとしてたのになー。折角そういうせちがらいものを思い出さないようにしてたのになー。ヤな未練出るし。
 声をかけてきたのは、あたしが猫を癒してる間に事情を聞いていた親の方である。
 あたしは心の中で毒つきつつ、窓枠に片足をかけた姿勢のまま、マントをなびかせて振りかえった。
「実はそんなに金には困ってないもんでな」
 結局ただ働きかい。
 本当は大ため息だが、まあ、いいさ。
 久々にいい気分なのだ。こんなことばっかやってたりするから、お人好しなんて言われたりするのだ。いやだなホントに。
「ま、そんじゃ」
 少女に軽く片手をあげてあいさつすると、あたしは窓から飛び出した。
 慌てて窓枠に駆け寄ってあたしを探す少女を尻目に、風の力で浮かび上がったあたしは屋根の上にいたりする。
 はてさて、強も月が綺麗だ。
 車の音も聞こえない。犬の遠吠えなど聞こえるが、呑気なものである。
 やわらかな月明かりの中、あたしは顔をあげて、夜空を見据えた。
 ――と、かっこつけてみたものの。
「やべ、電話代まだ払ってなかったか」
 思わずつぶやく。
 ものすごい電話代きてたよな。婆さん長電話だからなあ、もう。やめろっていってんのに。金払うのあたしなんだからさあ。
 あーあ、せちがらいねえ。
 嫌なことを思い出してしまったあたしは、屋根の上で一人寂しく、頭を抱えたりしているのだった。

終わり
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