鬼が、出るよ。


「おにいいい――?」
 大男が馬鹿にした口調で言った。真実、心底馬鹿にしていた。
「んな空想にふりまわされてんのかよ、この村の人間はああ。何が鬼だよ、馬鹿じゃねえかあっ?」
 浪人風のその大男は、嘲笑って馬鹿にしながらも、正体あばいてやんぜ、とか何とか言いながら、息巻いて出かけていった。
 そんでもって帰ってこなかった。
 馬鹿はお前だ。
 鬼は、本当に、いるんだよ。



「あいつ本当に馬鹿だよねー。旅の浪人なら、つまんない手出ししないで黙って立ち去りゃいいのにさあ。結構行方不明者出てるらしいしい、名をあげてやろうとか思ってたのかも知れないけどお。ただの人間が、鬼にかなうわけないよねえ。自分の分もわきまえないで、馬鹿な奴う」
「うるせえぞ、蓮」
 お前の声は、自己主張強いから、よく響いてうるさいんだっての。
「こんなとこで無駄死にしてさ、喰われちゃったよねえ絶対ぃい」
「うるさいって!」
「でもさ、あーんなブサイク喰っちゃうほうの趣味も理解できなあ――い。まっずそおだもおん」
「蓮ちゃあああん」
「僕なんか、あんまり美人すぎて、食べたら舌がとろとろ、ほっぺたぼと――――ん、だよね。まあ、相手が本当の鬼だとしての話だけどねえ。結構鬼伝説を傘に着て悪事働いてる人間って多いしい。その場合は知らないけどお。……なあにふるえてんのさ、。奏だって美人なことくらい、知ってるよお。そおんな変な主張の仕方しなくてもさあ」
「やっっかましいっ! 夜なのにっぎゃあぎゃあ騒ぐな! 殺すぞ、このタコッ。男のくせに変なしゃべり方しやがってえっ!」
「なーに言ってんの。騒いでんのアンタじゃな――い。顔真っ赤にしちゃってえ。タコってアンタのことだろお? この僕にい、タコなんてえ。――――お前が死ね」
 こ、こわい……。
 俺をにらみつける蓮の目の、怖いことと言ったらない。
「だいたい夜が何さ。僕ら山の中の木の上にいるんだよ。他に人なんかいないよ。奏こそ常識でもの考えたらどうなんだよ。このバ――カ」
「うーるさい! 馬鹿って言う方が馬鹿なんだいッ」
「何、幼稚なこと言ってんだよ、能なしっ」
「能なしはお前だろ! 俺の方が断っ然、圧倒的に頭いいもんなっ。このオカマ野郎! 
――と、いかんいかん。つい蓮にのせられちまった」
「オカマじゃないよッ、まったく失礼な。勝手に男どもが女に間違えて貢いでくれるだけだよ! その僕のお金で飯を食ってるのは、どこのどなたかなあ。教えてほしいなあ。ねえ、奏」
 ちっ。嫌なこと覚えてるってーか、しつこいと言うか……。
 いつものことじゃないにしろ、蓮の金を多少は当てにしてやってきてるんで、どうにもこうにもな。それを出されると文句もあんまり言えないし。――かなり悔しい。情けないぞ、俺。
 もういいや。はいはい、もういいですよ。しゃべり続ける蓮は放っといて、と。
 何かの気配が近づいてくるのに気がついていた俺は、とりあえず、そっちの方に集中してみることにした。
 誰か来る……?
 あの浪人の他にも、人が行方不明になったりしてんのに夜中に外に出るなんて、一体どーゆう神経だ。この近くにある村の人間だろうか? ごくごく普通の人間の気配だけど……。
 じっと待っていると、気の上の俺たちにはまるで気づかないらしく、気配はどんどん近づいて来た。もしかしたら、本当は気がついていて全然気にしていない大物なのか、本当にまったく分かってないだけなのか。どっちなんだろ。
 そう思っているうちに、その気配のものとの人物は、何事もなく俺と蓮のいる木の下を通り過ぎて行った。
 ……ああ、ありゃなんだ。
「なに、あれ。随分と神経の図太い女」
 いつの間にやらしゃべるのをやめていた蓮が、隣でつぶやいた。やっぱそうだよなあ。
 俺たちのいる木下を通りかかったのは、ごく普通の少女だった。
「しかもあの女が向かってんのって、大男の浪人が行方不明になったあたりじゃない?」
 あ、そう言えば。



 過ぎていく思い。
 戻らない。
 不可解な現実。
 でも――さからおうとは思わない。
 無駄だから。
 決してすべてが嫌いなわけではないから。



「こんな夜中に何か用事かい?」
 突然かけられた声に、少女はびくりとして立ち止る。
 夜の山の中。まわりは闇に包まれている。人間などいるはずもないところから、声が聞こえるのだ。もし何かいるのなら――噂の、鬼?
 くすくすくす
 押し殺した笑い声が、闇に遠く響く。
「夜だから危険とか、昼だから安全とか、鬼に限ってはないけど、人間の常識じゃあおかしいよなあ?」
「だ、誰っ 」
 ふるえる声で、の声がかけられる。おびえの表れた声は、細く木々の間を抜けていく。思ったより響いた自分の声に、少女はますます怯えた。
 ふうん?
「もう、奏ったら、おせっかいなんだから。ほっときゃいいじゃん。いちいち先まわりしてえ」
 耳元でこそこそと蓮が言う。
 ――ちぇいっ! うるさいっ。黙っとれっ。
「文句言うならついて来んなよっ」
「何言ってんのさ。僕らは一心同体だろっ」
「人に聞かれたら恥ずかしい上に変な誤解されるから、人前では絶対言うなよそういうことはっ」
 出来る限りおさえた声で、こそこそと文句の言い合い。
 あーあ、もう。
 せっかく不思議で奇妙な雰囲気をかもし出してたのにねえ。
 まったく、一秒たりとも黙ってられないんだから蓮ちゃんは。
 とりあえず俺はため息をついてみてから、こそこそ文句を言い続ける蓮は無視して、枝の向こう、下に見える少女を見た。落ち着かないようすでに、辺りを見回している。―― 蓮も、とりあえず声はおさえてくれてるから、ましと言えばましだけどさ。
 とりあえず俺は相変わらず木の上から少女を眺めながら、言った。
「死にたくなかったら、はやく帰りな」
 あの様子だと、これでおびえて帰るだろ。
 そう思って後は沈黙していると――
「あ、あのっ。あなたは山の洞に住むっていう、鬼ですかっ?」
 立ち去るだろうと思われた少女が、震えながら思い切ったように言った。
 ――おやまあ、これはまた意外。
「だったら、どうする?」
 そんなわけないけど、言ってみた。とりあえず興味を持ったから。
「あなたの洞へ向かったお侍さまは、あなたが食べてしまったんですか? それとっ、今までこの山で行方不明になった人たちもッ」
 ――――――――は?
「奏、よしなよ。この女、馬鹿だよ」
 うーん。そうかもしれない。
 蓮の言葉に内心頷きながらも、少女の方にはどう返事をしたものか考えこんじまう。
 鬼を退治すると言って出かけた奴が、帰ってこなかった。ということは、喰われちまったという図式が出てくるのが普通だと思うんだが。
 鬼の存在を信じてない奴でも、ちょこっとぐらいはそう思ったりするよなあ。
 信心深い世の中でもあることだし。
 どーも、何か……。
「んじゃあ、もし、俺が山の洞の鬼じゃなかったら、どうする?」
 俺は意地悪く少女に聞いてみた。
「えっ?」
 少女は大袈裟に驚いた声をあげる。明らかに彼女の恐怖度が上がったな、これは。
 なんで鬼だったら驚かないで、鬼以外だったらそんな恐がった声出すんだよ。変な子がいるもんだな。
「ま、とりあえずそれはおいといて。あんた一体ここで何やってんの?」
「えっ、あの、わたしは何も……!」
 最初に比べれば随分と呑気な問いかけの仕方だが、少女はそんなことにも気が回らないらしい。おびえて応えながらも、きょろきょろと、助けを求めるような視線を辺りに向ける。が、こんな夜中に山の中、蓮ちゃんの言う通り、誰もいるわけがない。
 少女はとうとうへたりこんでしまった。
 あーあ、やだねえ。
 傷つくなあ。
「なあ蓮。この山、鬼の気配しないよな」
「まったくしないね。別のモンならいるけどさ」
 うん、そうなんだよな。多分この子が恐がってるのは、それ。
 うーん、どうしよっかなあ。
 この、追い返したかったんだけどなあ。
 まあ、いっか。
「俺は別に、あんたの言ってる洞の鬼じゃないし、あんたの恐がってるモンじゃねえよ」
 さっきはわざわざあいまいな返事をしたのに、言い直した。蓮が口をはさもうとするけど、やっぱり放っておく。構ってちゃ、きりがないからな。
 木の枝を蹴って、飛び降りる。
「あんたここで、なにしてんの?」
 身軽く着地して、少女を見据えた。少女は腰を抜かさんばかりに驚きながら、俺を見ている。
「せっかく奏が聞いてんのに。答えなよ」
 続いて蓮がおりてきた。おいおい、怯えるって、余計。
 俺は長い髪を結いあげ、袖無しで膝の出る着物を着て、手甲とをつけている。一方蓮は漆黒の髪を腰までたらし、俺のと同じ形だけど更に丈の短い着物を着ているだけ。二人とも裸足。
 あんまり、普通とは言えない。
「誰……」
「聞いてんのはこっち。奏が先なの。答えなよ」
 あ、蓮苛々してる。
「あー、えーと、ごめん。その前に」
 イライラしてる蓮に静止の声をかけるのは、ちょっと恐かったんだが、まあこの場合は仕様がないし。許してくれよな。
「ああ、もう分かってるよ。鬱陶しいなあ。奏、どうする?」
 蓮の表情は一変して呆れ顔になった。「どうする」とか言ってるが、困ってない。こいつは、あんまり困ったりする奴じゃないからなあ。
「そうだなあ。どうしようかなあ」
 などと言っているうちに、ワサワサと周りに人の気配が増えてきている。
 いきなり、人相の悪い、荒くれ男たちに囲まれた。
 あーあ、なんでそんな、いかにも俺は悪人です! って顔とか格好してんのかなあ。こういう人たちって。
 見かけ倒しだよなあ、結構。
 よくやるよ。


 十五のときに、人生が変わった。
 両親は俺を捨てて逃げ出した。
 無理もないと思いながらも――悲しかった。
 悔しかった。


「こんな時分に皆さん精の出なさることで。何か用かい?」
 のんびり言うと、男たちは手にした刃物をそれぞれ構え、囲みを縮めた。
 少女は腰を抜かしたのか、俺と蓮の後ろで座りこんじまったまま、動けなくなっちまってる。
 しょうがねえなあ。
「お前らこそ、この鬼神の山で、こんな夜中に何やってる?」
「あんたらに関係ないね」
 蓮は挑発してるわけじゃあないんだよな。普段通りにしゃべるだけで、他人を挑発しちまうんだよなあ。本人全然気にしてないけど。それ以前に気づいてもいねえよな。
「蓮ちゃんは、ちょっと黙っててね」
 とりあえず邪魔されないように蓮をなだめて。
 男たちをみまわす。
「あんたらどこのどなたさんたち?」
 言うと。
 男どもの中で、一番偉そうな態度の奴が、刀を構えるのをやめて、一歩進み出てきた。
「俺たちは鬼神につかえる者。この山は鬼神のものだ」
「で? 何か御用?」
 分かり切ったことをのんびり聞く。
 ――鬼神に仕える者だって? 鬼が? 人間の手下をつくる?
 ありえんなあ。
「我らが鬼神サマに、お前らからのお供え物を、もらおうと思ってなあ」
 お供え、ねえ……。
「この山を通るときは、山の神にお供え――つまり、通行料を払わねばならんのだ」
「なあんだ。つまるとこ、お前ら」
 俺は前髪をかきあげながら言ってやった。
「ただの盗賊さんじゃん」
 俺の言葉に、男どもの目が険しくなった。殺気がこもってる。
 何だよ。ホントのことだろー?
「御託はいい」
 偉そうな奴が言う。
「さっさと金を払え。さもねえと、ぶっ殺すぞ」
 また一歩、じり、と間合いを詰めてきた。
 あーあ、恐い顔が歪んじゃってるよ。
「なあ、嬢ちゃん」
 俺はそいつを無視して言った。俺と蓮の後ろでふるえてる少女に。
「オニガミサマって何?」
 さっきこの子も言ってたし。確か、鬼神伝説、あったよなこの山。
「鬼神様は、あたしたちの守り神です。あたしたち山の人間を守ってくれる、守り神ですッ」
「守り神が、人間、襲うのか?」
 今度の問いは、男どもと少女の両方に。
 少女の答えは、ない。さっき俺に人を喰ったのかと聞いたのは、少女自身も同じ疑問を持っていたからだろう。男どもの方は――偉そうな奴が、にやりと笑った。 不気味だから止めた方がいいと思うんだけどね、その顔。もてないよ。
「そうだ。鬼神は守り神だ。俺たちの、な」
 それはそれは。すっげえ、唯我独尊。
「そんなことより、さっさと金を払うか、死ぬか、選びな。俺たちはどっちでもいいがな」
 あ、人を殺したいわけね。殺してから金品奪うつもりですか。
 偉そうなこと言っちゃってさ。やっぱ、ただの盗賊さんじゃん。
 こんな奴らに金払うなんてやだよなあ。でもまあそれ以前に――
「俺、金なんてもってねえよ」
「そうそう、貧乏だから、この人。貧乏暇なし」
 蓮ちゃん、うるさいよッ。
「ほほう。それでは仕方あるまいなあ」
 偉そうな男が、ゆっくりと刀を構えた。目が嬉しそうに笑う。
「死んでもらうしかなさそうだ」
 ――あ、そ。
 でも、それ、間違ってる。
 死ぬのは、俺たちじゃねえよ。


 見捨てられてさまよい歩いて――俺は、蓮を見つけた。
 たったひとりで、孤独な瞳をしていた蓮を。
 蓮がまだ、八つのとき。
 でもこの時には俺は、気づいていた。感じていた。
 俺と、蓮は同じだ。同じさだめのもとに生を受けた。
 他の誰とも相容れない。
 俺たちは――普通じゃない。


 夜風が木々をゆらして去っていく。
 髪をなびかせながら、俺はくるりと女の子の方に振り向いた。足下には、男どもの死体が転がってる。
「で、あんた、ここで何やってたの?」
 少女は震えたまま、問いかける俺を見上げる。
 怯えてるなあ。どうしようかなあ。……傷つくなあ。寂しいなあ。
「奏が言ってんのに! 答えなよっ」
 ため息ついてた俺の横から、蓮がまたまた少女に食ってかかる。
 だからね。これ以上怖がらせるようなことはだねえ……。
「あ、あの実はあたし、弟探しに来たんです」
 びくびくしながら少女は言った。
「弟?」
 また意外なとこから話が出てきたなあ。
「弟は、あの、父が怪我をしてしまったので、薬草を探しに行ったんです。危ないから止めなさいって言ったのに、聞かなくて……こんなに暗くなっても帰ってこないから、もしかしたら、あの…………迷子になってるとかなら、いいんですけど」
「で、オニガミサマってなに?」
「はい?」
 さっきと同じこと聞いたもんだから、少女は間の抜けた返事をした。
 いや、俺が記憶力悪くて覚えてないとか言う訳じゃないんだよ、ホント。
「鬼神様の伝説って、何か関係あんのか? さっきの盗賊と」
「鬼神様は、守り神なんです。あたしたち村のみんな、鬼神様に守ってもらってるんです。なのに、最近この山には鬼が出るって、変な噂たっちゃってて……。人が、いっぱい死んでるんです、この山で。でも、弟は信じないって。あの、弟は、鬼神伝説が昔から好きで、だから、鬼なんかでないって。鬼がいても人喰ったりしないって。大丈夫だからって言って、出て行っちゃったんです」
「あんたはどうなんだ?」
「はい?」
 いや、だからね。
「あんたは、鬼神のこと、どう思ってるんだ? さっきの盗賊と鬼と、関係あると思ってる?」
「いえ、あの、あたしは……」
「ああああああ、もうう。ウジウジウジウジすんなこのっ。はっきりしっかりしゃべらんか!」
 あ、蓮ちゃんキレた。
 短気だねえこの子は。
 俺は大袈裟に溜息をつくと、蓮に言う。
「さて、蓮ちゃんどうする?」
「奏はどうすんの。どうせおせっかいやくんだろ」
「うーん、そうだねえ。俺は、そうだなあ。弟クンのことより、盗賊たちの方が気になるねえ」
 鬼の名かたって悪さしてる奴ら。
 ちょっとばかし、許す気にはなれないねえ。
 
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