空蝉
あとがき。

 最後に書いた和歌は素性法師という人のものです。百人一首に、「今こむといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな」というのがある人です。
 野暮を承知で書きますと、最後に書いた和歌の意味は
 「恋しさに思い乱れて寝た夜更け、あの人と深く契り合う夢を見た――この夢を現実としたいものだ」(引用:やまとうた様)
 というものです。
 ええと、まあ、なんとなく察していただけたらなあー、と思います。

 以前にちらりとブログで書きましたが、今回の主人公は「眼鏡で白衣で高学歴のヘタレ」がコンセプトでした。恋愛ものはジレジレしてなんぼであるという、どこから得たかわからない知識で、じりじり書いていました。
 この時代の女性は働く口がほとんどなくて、生きていくために仕方なく妾になるしかない人もいたわけですが(沙起子のような女性もいましたが、本当に稀ですね)、義隆は「彼女はあなたの玩具ではありません」と言ってはいたものの、事実はやはり玩具のようなものであったようです。そういう馨子の立場をあまりしっかり書けなかった気がするので、その辺はちょっと心残りだなあ、と思います。

 物語自体は、きちんと落ちていると言い難いところで終わらせてしまいましたが、これ以上はちょっと野暮かなあというのと(笑)、堕ちて堕ちていくようなものしか見えてこなくて、ですね。彼らにもここいらが良かろうと思っての幕引きです。……まあ、堕ちていく話も良かったかなあと思いつつ。
 レトロ大好きなので、書いてて楽しかったです。
 最後までおつきあいありがとうございました。

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