「お前、いい加減猫の丸焼きにされたいか?」 満天に散る星とともに、突き刺さる冷気が降ってきているような空の下。セーラー服の上に、夜空に溶ける黒いマントを羽織った少女が、うんざりと言った。神舞(かみまい)都雅(つが)という変わった名を持つその少女は、寒々しげにマントの前をかきあわせて肩を抱くようにしながら、この寒空の下を屋根の上に、それも他人の家の屋根の上に座っていた。しかも一人で。 「どうせやるなら、弱火ではのうて、強火でじゅわっと焼いてくれよ。……いや、冗談じゃて。本気にするなよ。お主は短気でいかん。丸焼きは勘弁願いたいのう」 それでも返ってきた声がある。少女が腹話術で声色を変えてまでして、独り言を言ったのでなければ――幼い少年のような声は、隣りで同じように座っている黒猫から聞こえたものだった。 「丸焼きが嫌なら、とっとと帰ることだな、子猫ちゃん」 「その子猫ちゃんというのはやめんか。わしはお主よりもずっと年上なのじゃぞ」 「うるさい化け猫」 「おっと。来おったぞ。今回の標的はあれじゃろ」 「……ったく、帰れってのに」 悪態をつきながら、少女は闇を払うようにしてマントをさばいて、立ち上がった。 「可愛くないのう」 「黙れ化け猫」 にべもなく言い放つ少女の視線は、彼女のいる屋根の下――もとい、家の前を呑気に歩いていく少年たちにそそがれている。 どこにでもいるような少年たちだった。これといった悪さなどしそうにもなく、けれどいつかは何かとんでもないことをしでかしそうな、どこにでもいる子どもだ。こんな夜遅くに外をうろついていていいような年頃ではないだろうに。やれやれ、と少女は思うが。 その足下を、大声で楽しそうに笑いながら歩いていく少年たちは、彼女とあまり変わらない年頃に見える。夜だというのに騒ぎやがって最近の若者は、と年寄りじみたことを考えている彼女の思考からは、当然のごとく、自分自身のことは除外されていた。 ずっと少年たちを観察している彼女に、声をひそめて猫が言う。 「お主、行かんのか?」 「まずは様子を見る」 「何故じゃ。さっさと片付けなくて良いのか。次の被害が出てからでは遅いぞ」 「誰が逃がすか」 「ではなぜ動かんのだ」 余計な口だしやがってうるさいな、と思うのだが、懸命にこらえた。この口やかましい猫は、自分が納得しないといつまでもしゃべり続けるという、小姑のような性格をしている。その上睨んだ程度で口をつぐんでくれるような可愛い相手ではない。口を封じるために思いついた強行手段がどれもこれも派手に大きな音をたててしまうことばかりだったので、黙らせるには教えてやるしかなかった。 「ここは狭すぎるから、奴らが移動するのを待ってるんだよ。家やら塀やらならまだしも、公共物破損なんてして弁償させられた日にゃあ、依頼料じゃ足が出る」 ターゲットに逃げられたら後が面倒だ。何せ相手は数が多いから、下手を打てば数人逃がしてしまうかもしれない。ここは一網打尽にするに限る。そういう意味だったが。 当然言葉が足りないので、少女の目的を知らないものが聞いたら、何がなんだか分からない、ただ物騒なだけの言葉だった。だが猫は、そのあたりだけは心得ていたようだった。 「あの子らがどこに行くのか、お主見当がついておるのか?」 少年たちの後ろから、気づかれないように注意しながらついていく。屋根の上を。 「この先には公園がある。奴らそこで山分けするんだよ」 「山分け?」 「カツアゲしてきた財布の中身」 「厚揚げ?」 「……分からないなら、最初から口はさむな」 呆れとそれ以上に、せっかく説明してやったのにという怒りを込めて、都雅は命じた。さすがに猫も口をつぐんだが、公園が見えてきたのに気がついて、また口を開こうとした。……ところで、少女に顔を掴まれた。 「邪魔したら、猫の丸焼きだからな。それも弱火でじわじわ焼いてやる」 わざわざ身を伏せて顔を近づけ、鋭い目で睨んで言われた言葉に応えようとしたようだったが、口を押さえられているので無理だった。口の端だけで、うにゃうにゃと言葉にならないことを言っている猫を、彼女は文字通り放り投げて立ち上がる。その時には、眼差しはすでに違うところを見ている。 空中で綺麗に回転して屋根の上に着地した猫は、文句を言おうと少女を仰いだ。けれど相手はもう猫のことなど忘れたように、背を向けて少年たちの方へ行こうとしている。 屋根瓦を蹴りつけると、彼女は軽く飛び降りた。二階建ての建物の屋根の上、三階の高さから、気構えも頓着もなく。風をはらんで、マントがふわりとなびいた。 慌ててそれを追い、少女の肩に飛び乗りながらも、猫は口を開く。言おうと思っていた文句とは別の言葉が、口をついて出た。 「お主、いつも思うが、なにゆえかようなマントを羽織っておるのじゃ?」 猫の言葉に、少女はしかめっ面で睨みつけてから、すぐに前を向いた。全身足下まですっぽり覆うマントは、防寒にもいいし、何より夜に身を隠すのにいい。さすがにこのままで町中を徘徊したりはしないが。 そんなことを思いながら、なんでもないことのように、それでも当然のことのように、律儀にも彼女は答える。 「魔道士と言えば、黒マントに決まっている」 ――意外と、こだわり派なんじゃな。 ほんの少し呆れた猫の思いなど、気にする範疇のことではないのか、それきり彼女は猫の方を見ようとしなかった。 彼女の体は、重力に反して空中に浮かんでいる。 住宅街の中にあるその公園は、こぢんまりとはしていたが大きな広場を持っていた。夜の恋人たちには目もくれず、少年たちは広場の片隅に集って、思い思いの場所へと座る。離れすぎない位置、そして真ん中に戦利品を出すための場所を空けて、ぐるりと輪になる。 談笑と共に、輪の中心へ投げ出される戦利品の山。財布と、裸の紙幣。その量と言ったらかなりのものだ。 「さっきの奴の間抜け面見たか、おい」 「チビリそうだったよな」 「ってゆうか、あれ絶対、あの場で女に捨てられてるぜ」 「だっせー」 近所迷惑など気にもしない大きな笑い声。例え見つかって捕まったとしても、気にもしないのだろう。どうせ未成年だから……無意識下で抱いている強みのようなもの。そして単純に、どうでもいい、と思っている。心から動ける楽しみもなく、仲間ではない共犯者、共有者であるだけの集い。寄せ集めの少年たちは、投げやりでもあった。――が当然、甘くはない人もいた。 「はい、こんばんは、諸君」 場違いな声が、輪の外側から投げかけられる。陽気な言葉なのに棒読み口調だった。否、一生懸命明るい声を出そうとしているのは分かるが、明らかに失敗している、ちょっと暗めの声。 途端に少年たちは、威嚇するような目つきで、声のした方を振り返った。半数は思わずの様に身構え、残り半数はふてぶてしく腰を落ち着けたまま。彼らの反応は、明らかに追われて逃げることに慣れている。数を頼りに散ってしまえば、誰かが捕まっても、誰かが逃げ切れることを知っていた。 大抵の人間は、彼らと係わり合いにならないように目をそらして逃げる。そうでない場合は、補導員か警察か、酔っ払いか、あとはおせっかいで身の程知らずだと決まっていた。だが声の主は、警察官とか補導員とか言う、いわゆる大人ではなかった。身を浮かさなかった半数の少年たちは、かけられた声がまだ若いのに気づいていたから、逃げる必要がないのを分かっていたからだろう。 自分たちと同じくらいか、年下かも知れない少女が、数少ない街灯に照らされて立っていた。顔にぺたりと笑みを貼り付けた、痩せた少女。真っ黒な髪に、黒っぽい服を着ているせいで、顔だけが夜に浮いて見える。身を硬くした少年たちも、それを認めた途端に緊張を解いた。 「なんだ、こいつ」 笑い声が上がる。力を抜くと同時に、嘲りを含んだような、おもしろがるような視線が飛び交う。少年たちは莫迦にした調子で少女を見ている。なめられている、と瞳を険しくした者も、いるにはいたが。 嘲笑いながら、彼らが少女に対して次の反応をする前に、再びの声がした。 「あやしまれとるぞ」 第三者の声は、どこからともなく聞こえた。その声に、彼らは再び硬直してしまう。辺りを見回しても、人が話したと思える距離に、あるはずの人影がない。少女の他に人はいない。 けれどその声に反応したのは少年たちだけではなかった。無理矢理笑みを浮かべていた少女の表情が一瞬にして剥(はが)れた。菊、と短く呼び捨てて。 「黙れ。邪魔するなと言っただろうが」 「誰が邪魔なぞしておるか。こんな寒いところに誰が長居したいものか。猫は炬燵で丸くなるものだとお主はしらんのか。わしはお主の手伝いをしておるだけじゃろうが。」 「だったらさっさと帰って寝ろ。邪魔なことこの上ないんだよ、お前の存在は」 「だから、お主の用事をさっさと終わらせてくれんと、わしの用事を終わらせられんのだ。ほれ、手伝ってやるから、早くせい」 「お前に言われるまでもない。あたしだって寒いのは大の苦手なんだよ」 言葉を重ねるたびに、少女が苛立ちを募らせていくのが、少年たちにもよく分かった。しかし、成り行きの見えない事態に、言葉の挟みようもなく、彼等の方が余計にいらいらしだした頃。 「……というわけで、あんたたち、そこの金銭をよこしな」 放たれた再びの台詞は、唐突に少年たちの方へ。 どうしてそうなるのか全く読めない展開に、少年たちは反応に困っていた。なめられていると怒るのも馬鹿馬鹿しい気がしている。かといって放っておくのも、何だか気が引ける。彼らのうち誰もが反応を返せないうちに、例の声が言った。 「お主、何を考えとるかっ」 恐らく妥当だろうと思われる言葉と同時、少女は、見えない手で突かれたように、首をかくん、と曲げた。その顔が、怒りに染まる。瞬間、目でとらえられないほど素早い動きで肩のあたりに手をやると、彼女は何かを掴んだ。それから自分の前に投げ捨てる。そこはちょうど、財布やお札が山積みにされていたところだった。 「邪魔をするなと言ったのが聞こえなかったのかお前は! 冗談に決まってるだろうがっ!」 少女が怒鳴りつけているのは、罰当たりなことに紙のお金を四つの足で踏みつけにしている、猫だった。夜にとけ込みそうな黒い毛並みの、子猫と成猫の中間くらいの凡庸な猫は、緑の瞳をくるくるさせながら少女を見上げている。 何が起きているのか、と少年たちが呆れる前で少女は、彼らに目を向けた。ものすごい剣幕で怒鳴りつける。 「お前ら、まったくもって運がなかったな。恨むならこのバカ猫を恨め」 「どういう関係があるんじゃ」 再び声が聞こえたが、少女は無視をした。少年たちにはやはり、わけがわからない。 「依頼により、お前たちを痛みつけた上、警察に突きつけるっ。返事はっ?」 一体何の返事をすればいいのやら。お互いに顔を見合わせてから、少年たちは再び笑い出した。しかも爆笑。 「何言ってんだこいつっ」 少女の、正気ともとれない言葉に、指さして笑う。その先で少女が、怒りを通りこして、限界点に達しようとしているのすらも、嘲笑って。 「なんなんだお前は」 再度かけられた問い。 目には怒りを宿したまま、無理矢理唇に笑みを刻んで、彼女は唇を開く。明るく爽やかに聞こえるように努めてはいるけれど、どう考えたって大失敗のちょっと暗い声で、応えた。――最初のよりもずっと凄みが利いた声で。 「正義の味方でぇす」 冗談としか思えない言葉を吐きながら、ゆっくり持ち上げた掌を少年たちの方に、正確には、彼女の前にいる猫の方に向ける。猫は全身の毛を逆立て、うなり声を上げた。一方少年たちの方は、何が起きているのか分かっているはずもなく、笑ったままだった。もしくは、突然威嚇を発した猫に少し驚き、そしてやはり「なんだこいつ」と笑う。 少女の抑えた声が、夜の公園に落ちた。 「砕けて消えよ」 大げさなほどに爆音がした。 |