長い艶やかな黒髪を風に遊ばせて、その人は立っていた。黒いシャツに赤いネクタイをして、黒いパンツを身につけて、すらりとした細身の体をそらすようにして、大きな門の真ん中で腕を組んでいる。流れる制服の波に立ちつくして、目の前の大きな建物を、サングラス越しの瞳で不機嫌そうに睨んでいた。 「そんなに睨んでも、何が見えるってモンじゃないだろ」 かけられた声に、神経質そうにふり返る。 「うるさい」 苛々と声を吐き出した。華奢な体つきからは男か女か分からない。声音を聞いても、判然としない。通り過ぎていく制服の群れと同じくらいの年頃に見えるその人は、明朗で良く透る声をしている。――彼の、その声までもが不機嫌に染められていた。 「人が寝てたのを叩き起こして、こんなトコ連れてくるなんて、一体どういう神経してるんだ。ご飯も食べてないのにい」 「昼まで寝てるお前が悪いんだろうが。……って、やっぱ飯食わせてくりゃ良かったかな」 最後の方は一人ごちながら、声をかけた人物が言う。 先の人物も十分な薄着ではあったが、真冬だというのに、こちらは半袖のシャツ一枚にジーンズという軽装だった。気を引き締めれば凛々しい顔立ちに間違いはないだろうが、肩を縮めて長身をかがめるようにして、覚束ない表情で眉を寄せている姿は、少し情けない。かえって親しみがわいて、見る者の微笑みを誘うものでもあった。その仕草は決して、寒いからと言うわけではなかったが。 彼は骨張った長い指で、長めの髪をくしゃくしゃにしながら頭をかいた。呑気とも無頓着とも、年寄り臭いとも取れるその仕草を、眉をしかめて見ながら、先の少年が言う。 「だいたい、なんだ。年寄りみたいに早くから起きてたくせして。ぼくより奏(そう)の方が起き抜けみたいじゃないか」 きちんと身支度をしている彼に対し、相手はいかにも、今起きてきました、と言うような風体をしている。 「見た目にこだわる蓮(れん)ちゃんとは違って、堅苦しい格好は嫌いなの。ま、ご依頼は先方からいただいている上に、急に呼び出されたんだし、スーツじゃないからって追い返されるってことはないでしょ」 「無駄足だったら、ただじゃ帰らないからねっ」 ふん、と鼻を鳴らしてから、蓮は髪をなびかせて再び建物の方を向いた。眼前にそびえる大きな校舎。さて行こうか、と踏み出しかけてから、目的の部屋を知らないことに気がつく。 「校長室ってどこさ」 さらに不機嫌の増した顔で、奏を振り返る。 「事務室かどこかで聞けば」 「事務室ってどこ」 「……どこかなあ……」 だいたい常識として学校の事務室というものは、玄関近くに設置されているものだが、彼らはそれに思い至らないようだった。 「その辺の子に聞くしか……」 「ちょっとっ、あんた」 奏が最後まで言い終えないうちに、蓮は身近な人間に声をかけていた。しかも高飛車に。 金曜日のお昼、まだ学校がある時間ではあったが、今日は授業事態が早めに切り上げられたため、先刻からそこは生徒たちであふれていた。アイドルかモデルか、というような外見の、珍妙な二人組を興味津々に見ていた生徒たちは、突然巻き込まれて驚いた。 たまたまその時に蓮の横を通りかかり、声をかけられた女生徒たちは、心底びっくりしたようだった。直前まで「かっこいい人がいるー」と、彼らのことを話していたのも忘れて、驚いた顔で固まってしまった。 「校長室ってどこ?」 目が合うように少し腰を折った相手に、サングラス越しに詰め寄られた女生徒の一人は、顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。まわりの友人たちがひそひそ言いながら小突きあっているが、どうやら問いかけられたことに答えている子はいない。 蓮が眉間に刻んだ皺をさらに険しくしたのを見て、恐怖すら覚えながらもフォローを入れようと、奏が蓮の肩に手を置いたが。 「玄関から入って左のつきあたり」 助け船は別のところから来た。ぞんざいな言葉は、こちらもちょうど通りかかっただけの、数人の男子生徒のうちの一人だった。 「どこって?」 突然言われてきちんと聞き取れなかったのか、記憶に残らなかったのか、イライラしたついでにサングラスを外して蓮が問いただす。 長い睫に縁取られた大きめの瞳は、深い闇の色をしていた。隠されていた中性的な美貌があらわになって、その場にどよめきすら起こる。 「どこって?」 「玄関から入って、左のつきあたりにあります。プレートがあるから、きっとすぐ分かると思います」 再度の問いかけに、こちらも顔を染めながら少年はカチコチになって答えた。口調も敬語に変わっている。後ろで苦笑しながら、奏は、トントン、と蓮の肩を叩いた。 「行くぞ」 言われるまでもなく、目的のことを聞き出した蓮は、サングラスを無造作にポケットにおさめてから、さっさと歩き出す。人だかりをかき分けるようにして、行ってしまった。慌てた奏が、かわりに少年たちに礼を言っている。 「蓮ちゃん、人に親切にしてもらったら、礼くらい言いなさい。一体何歳になったんだ、子どもじゃあるまいし」 追いついた奏が少し怒った風に言うと、蓮はしらっと返した。 「うるさいな。どうせ奏が礼言ったんでしょ。大したことじゃあるまいし、あの程度、ひとつの善事に礼ひとつで十分」 「そういう問題じゃないだろ……。要は気持ちだ、気持ち。心の持ちようだろ」 「奏とぼくは一心同体だから、奏が言ったんならぼくが言ったことになるからいいの」 「だからお前、そういうことは誤解を招くから人前で言うなって言ってるだろ」 「いちいち細かいことにうるさいなー。ハゲるよ」 「へんっ。俺がハゲるんなら、蓮だってハゲるぞ。なんたって一心同体なんだろ」 「だからこそぼくがそういう危機に陥ったときは、奏の体が引き受けるの」 「へりくつ言ってもうー」 奏は首をすくめて、わざとらしく息を吐く。 「どうでもいいけど、依頼人にそういう態度とるなよ。ただでさえ俺たち外見若いから、なめられやすいんだ」 「外見、て限定するのやめてほしいね。中身も若人なの。少なくともぼくはね。奏はどーだか知らないけど」 「はいはい」 蓮に口で勝てる訳がないことを知っている奏は、言い返すのをやめた。いつの間にかどうでもいい言い合いになっていたし、蓮には自分がからきし甘いことを、奏は重々自覚していた。 彼は頬に笑みを浮かべながら、校門へ流れていく生徒たちを眺め、目で追って門の方を振り返る。蓮が引き起こした騒動のせいで、まだざわめいている生徒たちが、ちょっとした渋滞を起こしていた。 それを見て苦笑してから、奏は顔を戻した。 ――あの門は、血臭がする。 血なまぐさい腐臭がとどこおっていた。 冷たく吹く冬の風は、その忌まわしい臭いを消すでもなく運び去るでもなく、ただ彼らに吹きつけて流れていく。 冴えているだけ、悲しかった。 |