校長室は、小さな部屋だった。六畳ほどの部屋の中に、革張りのソファーと小さなテーブルという応接セットが置かれているせいで、余計にせまく感じるのかもしれない。壁の高い位置には歴代の校長の写真が飾られ、ガラス張りの棚には、大小のトロフィーが飾られている。 座るよう勧められ、奏だけが軽く会釈をしてから、彼らはソファーに腰掛けた。 「急にお呼び立てしてしまいまして、申し訳ありません」 そう言ったのは、中年期も半ばを過ぎてしまった年頃の、疲れ切った顔をしているスーツ姿の男だった。並んで座る蓮と奏の、ちょうど奏の前へ座った白髪頭の校長は、丁寧な言葉を使ってはいるが、一見年若い、生徒たちと大差ない年頃に見える目の前の若者二人に、どういった言葉で話せばいいのか迷っているようだった。 彼の横には、二十前後の女性が腰掛けて、ドア付近には頭のはげ上がった教頭が控えている。 「ほーんと、急に呼び出されて、こっちはご飯食べる時間もなかったんだから。さっさと用件だけ言って終わらせてよ」 蓮は相手が誰であろうとお構いなしだった。大抵、学校に通っている年頃の人はともかく、もう学校に通っていない人でも、校長と聞くだけで少し構えてしまうものなのだろうが、その様子が少しもない。ソファに腰を下ろして脚を組んでいるその態度も、くつろいでいると言うよりは、すでに図々しい。 男か女か知れない麗人に、とげとげしい口調で言われて、案の定、校長たちが恐縮していた。驚いているのか、面食らっているのか……。 「こら、蓮。そういう態度をとるなと言ったばっかでしょうが」 教育を疑われる、と奏が小声でたしなめても、蓮は涼しい顔で、出されたお茶をすすっている。無視をされたが奏は、黙ってくれただけで良しとしよう、と思うことにした。 「すみません、ちょっと態度のでかい奴で」 「いえ。あの、それであなた方は心霊相談所の『狩人』をなさっている……」 「なさっている、というか、それは二つ名だけどな。俺が鬼頭(きとう)奏で、こっちが蓮。氏よりも、名前で呼んでもらった方がありがたい。一応怪奇現象の調査をしてる。ま、調査というか、平たく言えば妖怪退治だ」 蓮をたしなめはしたが、奏もあまり態度がいいとは言えなかった。面食らう相手に、にこにこと笑みを向けているだけましなものの、目上の者にするような話し方ではない。 「それで? 用件ってのは?」 そのまま問う彼らに、態度が大きく礼儀を知らない今時の若者、という評価を下したのだろう。職業柄か、驚いただけなのか、校長は恐る恐るというように尋ねる。 「その前に、あの、お二人は学生かな? 失礼だが、お年をお尋ねしてもいいでしょうか」 問いかけに対し、せっかく黙った蓮があからさまに顔をしかめて見せた。 「なあにぃ、いきなり。ホントにしっつれーだな。いくつに見えるって言いたいわけ? そんなことどうでも……」 「ああのっ、俺たち学生とかじゃないよ。ええと、あの、義務教育とかいうもの受けてる年齢じゃないし、高校生でもないし。こう見えても結構年食ってるし、若作りなだけだから」 慌てて蓮をさえぎり、かわりに奏が早口にまくし立てた。つつくようなことをした校長に恨みの視線を向ける間もなく、今度は矛先が奏に向いてしまう。 「なんだよ、若作りって。爺婆(じじばば)みたいじゃないか」 「ああもういいから蓮ちゃんは黙ってろって。後でご飯おごってあげるから」 「当たり前だろっ」 なだめようとする奏に怒鳴って、蓮はぱたりと黙り込んだ。おごってもらうことに満足したわけではなく、その一言に空腹を思い出して、怒るのが面倒くさくなっただけだろう。 「あの、何か店屋物でもお取りしましょうか」 目の前のやりとりを見て、対応に困った様子で校長が言った。 「いやそんなの気にしないでいい……」 「ぼくうどんが食べたい。天ぷらうどん定食」 奏が断ろうとしたそばから、蓮は平気な顔でいった。嫌な顔をして蓮を見るが、全く気にしていない。おごってもらうということは、依頼を引き受けるつもりがあるのかといえば、蓮は決してそんなことをわきまえている人種ではない……が、図太さでいえば、奏も同じだった。 「それじゃ、俺釜揚げうどん。かしわご飯付きで」 しっかりと自分の分の注文をしている。 面食らった様子で校長が頷き、電話をかけるために教頭が出ていった。そこで蓮が黙ったのをこれ幸いと、奏は再び、話を進めることに努力した。流されてしまった問いを再び口にする。 「それで、用件というのは」 彼の問いかけに、校長は目を覚ましたかのような反応を見せる。あまりにも常識とかけ離れた図太い二人に、その場に残った校長と女性は少し怖じ気ているようだった。ついでに、年齢を聞いた先の問いに、明確な答えが返ってこなかったことを忘れてしまっていた。 「ああ、それが……。これは外に知られては困ることなので……」 「分かってるって。依頼内容は秘密厳守。基本中の基本だろ。とにかくさっさと依頼内容を言ってくれ。電話で大まかなことは聞いてるけど、細かい説明がほしいし」 「そう、そうですね」 奏に急かされて、校長は、惑うように彼を見た。 「実は数日前、学校の屋上から生徒が飛び降り自殺をしまして。それ以来だと思うのですが、良くないことが起きるようになってしまいまして」 「飛び降り自殺ねえ」 「遺書などは特になかったのですが……、そういうことにしておくように、と。警察では、受験のストレスでは、ということで片が付きました」 「なんでまた」 「遺体が、おかしかったんです。その場に残っていたのは、右手と両足だけ。切り取られてそこに置かれた、という様子ではないそうなのです。猟奇殺人というのともどこか違う。まるで野犬にでも食い荒らされたかのようになっていました。切り口も、刃物でされたと言うよりは、引きちぎられた、という要諦だそうで」 それを校長自身も見たのだろう。思い出したのか、震える両手を押さえるように握りしめた。 対して話を聞いている側の二人は、微塵も気にしていない。平然としたままだったが、そんな態度も、もはや目に入らない様子で、校長は続けた。 「その後、課外授業で残っていた生徒たちが、妙な影を見た、妙な声を聞いた、と言うので、夜の警備のアルバイトを増やしたのです。ですがそのうち二人が、心臓をえぐられて、またばらばらになって死んでいたり、下校しようとした生徒が、突然教師の運転する車に飛び込んできたりと、奇妙なことが相次いで起きていまして……。何よりここ数日の間で、校内で十二人も死んでいるのです。その原因を調査して、出来ることなら排除していただきたいのですが」 それだけのことが起こっていて、よくマスコミが群がるようなことにもならないものだと、奏は思う。きっと警察が止めているのだろう。同時にこれは、他の機関が動いている可能性が高い。それもほぼ確実に。 「最初に、飛び降り自殺、と言ったな。どうして投身自殺になるんだ。どっかに手足が転がってただけなんだろ?」 「ええ、それが、目撃者がおりまして。――目撃者、と言うよりは、第一発見者なのですが。物がぶつかるような大きな音を聞いた、地面に倒れている人がまだ、体を残したままだったのを見た、と言う生徒がおりまして」 「そいつはありがたい。何かその子に話が聞けないかな」 「それが、投身自殺があったのと同じ日の同じ頃に、生徒が集団自殺を図りまして。三人の女生徒が手首を切って倒れていたのを見つけたのが、投身自殺を見つけたのと同じ生徒なのです。それも、友人だったようで。立て続けにそんな光景を見て、ショックのあまりにしばらく寝込んでしまったそうです。今も家で療養中でして、まともに状況をお話しできるか分かりません」 「あーそりゃあ、酷だなあ」 「あの、それでは、お引き受けいただけるのですか?」 まるで手がかりを探そうとするかのような奏の言葉に、校長はすがるような、必死の様子で言ってきた。最初から不安な様子だったし、今でももちろん不安だろうが、他に頼る当てもないのだろう。 「んー、まあ、そういう話を聞いちゃあ、断れないなあ」 「まったく、お人好しなんだから。おめでたいね。奏にまかせてちゃタダでやりかねないから、報酬の相談はぼくにしてよね」 今までじっと黙って、お茶菓子を食べることに専念していた蓮が口をはさむ。どうやら一応聞いてはいたようだった。不服そうな態度ではあるが、反対はしていない。 「それで、そちらのお姉ちゃんは?」 奏はお人好しと言われたことなど意にも解さず、彼らと同席していた女性を見て、気楽な態度のままで問う。校長と、電話をかけて戻ってきた教頭は、安堵する間もなく身を強張らせた。 彼らの視線を受けている女性は、品のいいダークグレイのスーツを着て、長めのストレートヘアを後ろでひとつに束ねていた。どこか落ち着いた印象があったが、教師と言うには若いように思えた。もし彼の見当違いで、彼女が教師であったとしても、一教師がこんな場に同席をするとは思えない。 彼女は紹介しようとした校長を止める仕草をしてから、横においていたかばんを引き寄せて、何かを取り出した。 奏との間に置かれたテーブルの上に差し出す。顔写真の載った小さなカードだった。免許証のようだが、違う。「特殊警察」とかかれた下に名前や生年月日や身分が記載されているもの。奏は、彼らがそのカードを、警察手帳と同じようなものに入れて持ち歩いているのを知っている。そして彼らが、警察などではないことも、その行為が違法でないことも。彼らの持つ手帳は、いざというときに見せて人の勘違いを誘って黙らせ、自分の行動を妨げられないための小道具だ。 警察とも自衛隊とも、政府とも切り離された、もう一つの権威。そして、もうひとつの武力。彼らが世俗の争いごとには関わらないから、正しい表現ではないが、人間に対するものではなく別の事象に対しては確かに、武力だった。見れば彼女の胸元に小さなバッジが光っている。 「わたしは巫女の伊藤崇子(いとうたかこ)と申します。先の警備のアルバイトの件の時に、警察からこちらの学校へ、協会へ話を持ちかけるよう指示があった様子で。要請に応えた協会からわたしが派遣されました」 「やっぱりあんた、協会の人か」 特に驚いた様子もなく、平然と奏が受ける。 協会、とは通称である。一般に呼ばれる呼び名は多数存在する。その組織そのもの隠されていて、彼らは表向きまったく別の存在として世間に知られていて、会社としての体裁で東京にビルを構えている。国や財団などの支援を受けてなりたっている組織で、正式名称を『神の子の砦』というご大層なものである。いわゆる『常人とは違う』能力者を多数擁していて、公表できないような事件や怪奇事件などが起きれば、事件の大小を問わず動く。警察や政府の要請を受けて、または個人の依頼でも同様だった。彼らの行動を、警察であろうと政府であろうと規制することは許されない。 そこに集う能力者も実に多彩だった。オーソドックスな魔道士や崇子のような巫女から、希少能力と言われる者まで、協会はそれが『常人』と違い、使えそうな能力であればかき集める傾向にあるが、組織に属するには、その能力が、ある程度以上の水準に達していなければならない。要するにそこに属しているだけで、かなりの能力を持つのだということを証明している。 もちろん力を隠して普通に生活していて、そういった活動に加わる必要もつもりもない者もいるが、協会に属さない能力者など、高が知れている。エリート集団である協会に属すことの出来ない程度の者か、端から力のないインチキか。もっと深く探せば協会に属す必要のない大きな力の持ち主がいるが。組織、というものが嫌いな者だっている。 組織に属すれば、請け負って仕事をする、という不安定な職種であるにも関わらず、給与も各種の補償もされており、加えて大きな事件を解決するたびにボーナスが支給されるのだが――命に関わることも多いので、希望制ではあった。結局、そのかわりに組織に逆らえない。何をしていようと、急に呼び出されることもあるし、医者や教師のように、ある程度その仕事に縛られてしまう。力ある者ほど、のんびりと自由に依頼を受けて、その報酬を丸ごと自分の物にしてしまった方が儲かるというものだろう。 「わたしたちはこういった組織がどういうものかもよく知りませんし、今回のことにどの程度備えればいいものかも分からないのです。ただでさえ、人様のお子さまを預かる身ですから、万全を期して、もう少し人員をさいていただけないかとお願いしたのですが……」 校長が不安そうに補足をする。要するに、彼女だけでは頼りない、とはっきり言ってしまっているのだが、崇子は気にしていないようだった。むしろ分かっていないような笑みで、校長の言葉を引き継いで言う。 「時期の悪いことに、協会内部の人間は、他の要請などで出払ってしまっていましたので、あなた方にお願いしてはどうかと薦めさせていただきました。他にも、フリーの魔道士の方にもでもにも、お願いはしてみたのですが、断られてしまいまして。人員に物足りないところもあるかとは思いますが、どうぞよろしくお願いします」 「ほお? 魔道士ね」 崇子の口にした、二つであるらしいものに、奏は首を傾げる。 「壊し屋(クラッシャー)、と呼ばれているようですが。魔道士でも最強と名高い方です。ご存知ですか?」 「いや、たぶん名前だけは。あんたは知ってるのか?」 「ええ、お若いお嬢さんで」 聞いて驚いたのは、奏だけではなく、校長たちもだった。崇子を見て不安に思った彼らは、協会から派遣されてくる人間のことを、きっともっと年かさの人間だと想像していたに違いない。だが、実際に来た崇子を見て、不安を抱いた。研修生のような者を送り込まれては困ると、協会に増員を依頼して、結果、今度こそと期待した者も、また予想とは違った。内部の人間でないとは言え協会が推薦するのだから、奏たちもその娘も、よほどの使い手なのだと認識されていることになるだろうが、校長たちとしては、常識外れの彼らの能力の良し悪しなど分からない。見た目が安心できる人物が理想だった。 校長たちの反応が見えていないはずはないのだが、崇子はにこりと笑むと、それはさておき、と続ける。 「打ち合わせをいたしましょうか。あまり悠長に出来る事態ではありませんから。できれば週末、学校がお休みの間に決着をつけてしまいましょう」 そうだな、と奏が納得しかけたところで、彼の横から剣呑な空気が、場に突き刺さるように割り込んだ。 「やだ」 蓮が口をはさむ。不機嫌な目で崇子を睨んでいる。眉間にしわを寄せて、口をゆがめている様子は、子どもの癇癪のようだったが、込められた迫力はそんなに可愛い次元ではなかった。 ついに来てしまったか、と言う顔の奏などお構いなしに、綺麗な顔を怒りに染めてまくし立てる。美貌であるだけ凄みが増して怖い。 「ぼくはお腹空いてんの! さっきから言ってるだろ。こんな茶菓子程度で腹がふくれるとでも思ってんのか! ご飯食べたらぼくは昼寝するから、奏と勝手に打ち合わせでも見回りでもすればいいだろっ」 「蓮ちゃん、あのねえ……」 喰っちゃ寝宣言をした蓮のひどい発言に、奏は呆れを宿して、それ以上にすがるような色を浮かべた目で蓮を見た。 そこにちょうど店屋物の配達が到着する。 |