まがことのは




第七章









 都雅にとってみれば、今対面している者は皆得体の知れない存在だ。味方であると言えない以上、敵であると判断するしかない。それが人でも。そもそも、彼女には余裕がない。相手は協会の人間と言うが、本当にそうかどうか、信憑性はまるでない。
 とにかく手っ取り早く、遠くの違和感よりも、間近な異物だ。黙り込んだ人のことは、とりあえず思考から外すことにする。
 廊下の両脇を囲まれて、それでも悠然と嗤う少女にきつい眼差しを向ける。そこにいるのは、彼女と変わらぬ年頃の少女。美佐子の知人だと言うからには、本当に同じ年なのだろう。
 黒い、塊のようだと思った。人形(ひとがた)の中に凝固された闇だ。
 見据える都雅の視線に答えるように、少女が口を開く。都雅の注意がすべて、自分の方へ向くのを待っていたように、ゆったりと。
「お前か」
 喜々として言う。
「会いたかったよ」
 流れるような声がその唇から謳う。確信を持って言う言葉に、都雅はただいぶかしげに眉を上げた。冷淡に、動揺もなく言葉を返す。
「初対面だ」
 簡単に言われて、少女は不機嫌そうに眉を上げた。先刻までずっと、楽しげに愉悦の笑みを浮かべていたのに。
「なるほど。わたしを忘れたと言うつもりか」
 唇の端をつりあげたその顔は、残虐なものになっていた。人間の大半は、そんな表情など浮かべる場面も機会ももたずに終わるだろうほどの、凶悪な笑み。そして深い音色で言う。
「変わらずいい度胸だ。嬉しいよ」
「それはどうも」
「今度は、その娘を守ろうと言うのかい?」
 その声に都雅はすばやく腕を上げた。マントを広げて後ろの美佐子を守るように構える。
 後ろにいた美佐子は一瞬、今までマントに隠れて見えなかった都雅の、あらわになった腕の痛々しさに気をとられていた。添木を当てただけの簡素な手当てと、夜の中に目立つ包帯の白。目を奪われる。
 その彼女の胸を、都雅の腕が遠慮なく後ろに押す。突き倒すように肘を当てられて、美佐子はよろけてしまった。数歩後ろにさがって踏みとどまってから、驚いて顔を上げる。菊が彼女のかわりに抗議の声をあげるより、都雅の方が早かった。
「とっとと逃げろ」
 その一言で、美佐子の表情が変わる。
「都雅ちゃん、でも!」
「頼むから言うことを聞いてくれ。菊、お前分かるだろう。今回くらいは」
 聞き分けろ、と珍しく、本当に珍しく懇願するように言われて、美佐子も菊も驚いたが、それだけに都雅の言葉は危機感があった。そして都雅の言う通り、菊にも相手が何者なのか、分かっていた。何者で何をした相手で、自分たちがどれだけの危険にさらされたのか――そして今も、何より美佐子がどれほどの危機に身をさらしているのかを。
「美佐子ちゃん。都雅の言う通りじゃ。わしらでは邪魔にしかならぬ」
菊にまで言われて、そこまで美佐子は聞き訳がないわけでも自分の無力を知らないわけでもなかった。菊の顔と、振り返らない都雅の方を伺い見てからようやく、菊に急かされるまま踵を返して駆けだした。
「おや、思い出したのかい?」
 逃げて行く少女にはまったく構わず、魔族は楽しげに問う。
 パタパタと駆けていく音を後ろに聞きながらその顔を睨みつけて、都雅は心の中で吐き捨てた。
 ――当然、忘れてなどいなかったさ。
 あんたが気配を隠そうとしないから、その殻をかぶってる少女自身の気配なんて押し殺して、最初に会った時の空気がぷんぷんと臭っていたさ。特にあたしが姿を見せた直後から、嫌がらせのように。
 そうやって、何もかもから隠れていたのだ。神舞家が、魔族の捜索を協会の方に願い出ていたのに、何一つ芳しい情報がえられなかったのは、普段決して魔族が表に出てこなかったから。気配を自在に操れるのだから、完全に隠れるのも簡単なはずだ。少女が美佐子と話をしたというのなら、昼間は普通に少女に行動をさせていたのだろう。普通の人間には気づけない。
「雅牙をどうした」
 そう聞くしかなかった。罠に飛びつきたくなかったのだ。だけどもこれ以上知らぬふりは許してくれそうになかった。他の出方も、結局分からない。彼女の性格は、そういう回りくどい手段を、覚えてこなかった。
 その一言で相手は、あからさまに嬉しそうに笑う。その表情を見て、相手がどう思うかすらも、楽しみながら。
「さあねえ……?」
「どこへやったと聞いている」
 威圧する魔族の視線になど構わず都雅は再度聞く。短気な彼女に、喉を鳴らして魔族が笑った。魔族の憑いた少女は、本人では決して出来ないだろうと言うほどの邪悪な表情で、都雅を余計苛立たせようとするかのように、わざとのんびりと問い返す。
「おかしなことを聞くねえ。魔族に捕まったら、食われたと思うのが当然じゃないのかい? どこへやったかなどと愚かな事を」
「お前みたいなのが、そこまで単純だったら、こっちだって苦労はしない」
 最初からそのつもりなら、あのときその場であいつを食うくらいしただろう? どうせ同じ殺すにしても、食らうにしても、他の人間を苦しめる最も効果的な方法を選ぶだろう? 人間を弄ぶのが最高の趣味であるかのような連中が、餌を巣に持ち帰って落ち着いて腰をすえてものを食らうような、かわいらしい小動物のようなことはしないだろう。――むしろ都雅は、それに賭けている。
 彼女の言葉を聞いて、相手は楽しげに笑った。
「……どうかねえ?」
 瞳を笑みの形に細めて、嫣然と笑う。むしろ穏やかとも言える表情で都雅を見ていた。
「そんなことより、わたしはお前と少し遊びたいのだよ」
 囁くようにつぶやく。――それだけ。



 人々の視界の中で、黒マントの少女が、突然冷たい床の上に倒れる。
 あまりにも唐突で、頭を吊られていた操り人形(マリオネット)が、突然手を離されて支えを失ってしまったかのようだった。つい前まできちんと立っていたのに、あまりにも唐突だった。貧血だとかそういうことはこの際考えるだけ馬鹿馬鹿しいというものだろう。
 倒れた時の、どさり、という音に気がついて、猫を連れた少女が振り返った。彼女は友人が床の上にうつ伏せになっているのを見て、驚きの声を上げる間も惜しむようにまず駆け戻った。





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