番外編



思い出



 夏も迫った青嵐の頃。飛田家の三男が死んだ。
 威勢良く父の配下を引き連れ、狩りに出かけたときのことだった。落馬して、首の骨を折ってあっけなく死んだ。
 城へその事実を告げたのは、侍女の悲鳴だった。運び込まれた死体を見て、叫んだ。何事かと駆けつけた人々の驚きと悲しみの声が、それにつられるように、あふれていく。城内を駆け回る人間の足音が、騒々しく行き来していた。
 誰もの顔に見える、表に出ない言葉。「とうとう、始まった」という思い。城を包み込んだのは、若くして死んだ少年のことを憐れみ嘆く悲壮感よりも、畏怖のようなものだった。
 後に残る彼ら兄弟が父親に呼び出され、詳細を聞かされたのはそれからしばらくたってのことだった。



「お前はよく、そんなに平然としていられるものだ」
 兄弟の死を聞かされ、各々父の部屋を辞したうち、次男は吐き捨てるように言った。長兄はさっさと姿を消し、末弟は何事にも関わりたくないという様子で、逃げるように去っていった。言葉を投げつけられた柳雅は、回廊で足を止め、静かな表情で相手を見返す。そんな幼い弟を、異母兄は、何か異物でも目にしたかのように見下ろした。 
「お前の仕業か、あれは」
 事故だった。目撃者もいた。突然飛び出した獲物に馬が驚き、主を振り落としたのだと。しかし、事故だとは言い切れなかった。目撃者が、本当のことを言っているとは限らない。そして、突然飛び出した獲物とやらが、ただ恐怖に駆られて狩人たちの方へ牙をむいたのか、それともけしかけられたものなのか、誰にも判別できない。
「何をおっしゃるのです」
 ――お前じゃないのか。
 同じ言葉を心の中でつき返しながら、驚いた風を装って見せる。
 一年前には、年下の従兄弟が死んだ。病だと言うが、本当のところは分からない。戦で、そして戦とは関係のないところで、人が死んでいく。
 呼び出されて父のところに行く前に、弟は泣きながらつぶやいていた。
「わたしは、跡目などいりません。僧にでもなります。もう、たくさんです」
 そう思う方が、正常なのかもしれない。

 長男は決して愚鈍ではないが自信と虚栄の間で不安定、次男は優秀だが狭量、三男は気骨はあるが軽はずみ、四男は可もなく不可もなく物事をこなすが、主体が分からない、そして末弟は、臆病で大人しい。そう評価されているのを知っている。三男は、粛清の手始めには、一番やりやすかったろう。――本当に事故だったのかもしれない。だけども、それを鵜呑みにする人間は、もう飛田の血を継ぐ者の中にも家臣にもいないだろう。
 順当に嫡男が跡目を継げば、柳雅たちには出る幕がない。だから上の者を殺害する動機は、確かに柳雅にはあって当然だろう。末弟にそれ程の度胸があると思えないのなら、彼が一番疑わしいと思うのは当然だ。
 確かに長兄にとって、弟たちを粛清することは、意味をもたないかもしれない。けれども、彼はいつも自分の地位に不安を抱いている。下から突き上げを食うのを恐れている。次兄は、自分が学問に秀で、臣たちに「彼が嫡男であれば」と囁かれているのを、彼自身も知っている。そのくせ度胸がないから、上の兄から疑われ、下のものから真っ先に狙われるのを怖れている。――誰もが疑わしい。
 そんな考え、表には少しも出さず、十に満たない年の少年は、何も知らない風を装って、次兄を見上げる。
「歳柳(せいりゅう)兄上は、ご不幸な事故だったのでしょう」
 その言葉も態度も、兄の気にいらなかったようだった。一瞬の後には、軽い少年の体は、回廊に叩きつけられていた。物がぶつかる音と、それから小さな赤い雫が、磨き上げられた床を汚していた。



 中庭の端に、いつも影を見る。
 広い城内の隙間に出来たような、小さな庭だった。きちんと手入れをされてはいるが、わざわざそこへ目を向ける人間などあまりいないだろう。そこに植えられた庭木の陰に隠れるようにして、子どもがうずくまっている。
 駄々をこねて泣いている。
 いつもならば気にも留めないものを、いらだっていた柳雅は、舌打ちをして鋭く言った。
「ぐずぐずと泣くな。誰も助けてなどくれないぞ」
 もう何日も前に、城にあがった少女だった。百合は相手を確かめるように顔をあげると、すぐに伏せてしまう。
「放っておいて」
 まだたった五歳の、かわいそうな少女。彼女は、飽きることなく嘆いて涙を零す。
「関係ないじゃない。放っておいて」
 助けてくれる気もないくせに。言外に含めて彼女はぐずぐずとうめいた。泣いて騒いで動転していれば、誰かが助けてくれるなどというわけでもあるまいに。あまりにも愚かで、憐れだった。人の情を求めるなんて。
 家族から切り離されて、たった一人で連れてこられては、当然の涙かもしれなかった。本来なら、周りの人間が気遣ってやるべきものかもしれなかった。実際、侍女たちも鬼ではない。小さく愛らしい少女を、誰もが冷たくあしらうわけではない。しかしながら、相手は主家の姫君であり、その主家は無礼を働いたものを優しく見逃してくれるような家ではない。少女にほだされ、侍女たちは彼女に優しく接するが、それはやはり課せられたもので、それ以上にはなりえない。誰も少女に、必要以上に親密な手を差し伸べない。彼女が望むような、家族としての安らぎなど、誰も与えない。
「関係ないが、うるさいから言っている。泣く女は鬱陶しい。消される前に泣きやめ」
 淡々と、苛立ちが静かにひそむ冷酷さで言い切られて、少女は息を呑んで身を固めた。再び見上げてきた目は、怯えに染まっていた。驚きと恐怖で泣き止み、顔を上げた少女は、相手の顔を凝視して今度は恐る恐るのように長く息を吐いた。
「……どうしたの、その顔」
 言われて柳雅は、小さく舌打ちする。一目で見て、そんな反応をされるということは、思ったよりも腫れ上がっているのかもしれない。
「お前に関係ないだろう。どうしたか言ったら、お前がなんとかしてくれるのか」
 苛立ちのまま吐き捨てるように言ってから、ふと気がつく。
 ――関係なくは、ないかもれしれない。
 くすくすと笑みをもらす。体中を支配していた苛立ちが、小さな波になって、唇から漏れる。おかしみがわきあがってきて止まらない。
 関係なくはないだろう。決して口には出さず、暗い思いの奥底でつぶやく。
 ――彼女が、次期飛田当主へ嫁ぐために、この城に留め置かれているのなら。
「斐柳(ひりゅう)に殴られた」
 どういう反応を返すだろう、と思って試しに言うと、案の定痛そうな顔をして、少女は黙り込む。
 ああ、馬鹿だな、と思った。他人の痛みに、いちいち同調していたって、いいことなど何もないのに。
 しかしながら、身を竦ませている少女に一瞥を投げ、立ち去ろうとした柳雅に慌てて声が投げかけられた。
「手当てを……した方がいいわ。血が出てるし……せめて、冷やした方がいいと思う。腫れてるから」
 何を言い出すかと振り返ると、少女は自分で呼び止めるようなことを言い出したくせに、びっくりした様子で体を縮こめるようにしていた。怒られる、と子どもが構えるような仕草だった。それでも、言葉を続けてくる。
「わたし、おうちから持ってきた傷薬持ってるの。すごく効くからって、持たせてくれて」
 薬など――伏魔の城へ一人送り込まれる娘への餞別か。
「馬鹿だな、お前は」
 ――あきれた。
 力が抜けた。笑いがこみあげてくる。



 柳雅には、疑り深くいつも自分の地位への不安を抱いている長兄にとって、正室である母を同じにする自分がもっとも疎ましいものだと、分かっていた。
 しかしながら、血の絆などまったく希薄なこの世、この飛田という家にあっても、あの兄が、実弟である自分を理由もなしに、真っ先に標的にできるものではないと分かっていた。まだ、今は。
 目立たない。争わない。求められる以上の武勲は決してあげない。
 逆らわない。けれど、決して言いなりにはならない。愚かにはならない。決して。
 静かに――ただ、ひたすら、牙をみがく。










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