第二章 西の不穏


「それにしても、お前も災難だよな。こんなことにつきあわされてさ」
 一抱えほどもある木の幹に手をつき、花焔が言う。朝方まで都では雪が降ったが、西の地では降らなかったようだ。陽の光をさえぎる木々の元、ひやりとした土の上を歩いている。
 都で香図音に出会ったときと同じように、皆が皆黒い髪に黒い瞳をしている。いつもは肩におろしている長い髪を、流も赫奪もきちんと結っていた。花焔はやっと肩に届く程度の髪を後ろに束ねただけだったが。いつもきちんと手入れをしない花焔の髪を巫女たちは嘆いているが、当の本人は気にしていない。皆着物は質素なもので、一見すれば普通に人間に見える。
「光栄ですよ」
 流は自信たっぷりに笑う。精霊と魔物が危惧している出来事について、流は前もって聞かされていた。裏の事情まで明かしてもらえたということは、それだけ彼が信用されているということだろう。そんな彼に、赫奪がさりげなく口を挟む。
「ただお前が疑われてるだけだったりしてな」
 疑われているから自分たちがお目付役でついてくる羽目になったのだと。疑われているからこそわざと事情をもらしたのだと、冷やかすように、意地悪く言う。
「それでも、見張りにわざわざ精霊と魔物のお二方がついてこられると言うことは、よほどわたしの力が認められていると言うことでしょうね」
「野放しにしたら何するか分からんってだけじゃねえのか」
「ん、ん、ん。良く分かってらっしゃる」
 楽しそうに言う流に、赫奪は肩をすくめた。長い睫毛を瞬いて流を見る。
「前から思ってたけど、変わり者だなお前」
「魔の御方に言っていただけるとは思いませんでしたよ」
「そいつらは変わりモンてより、偏屈だけどな」
 花焔が笑いながら言う。赫奪が少しばかりムスッとした。冬でも葉を落とさない木々が寒風に揺らされ、葉のざわめきが彼らを包む中、人でない彼らが人のように自らの足で登ったり降りたりする必要などないのに、当然のような顔をして、苦心して木々の間を歩いている。馬は都を発つときに乗り捨ててきた。訓練された馬だから、きちんと本宮まで帰っているだろう。
 通常地方から要請があって都から派遣される討伐隊は、その郷の巫女や土地神へまず知らせを出すのが慣例だった。神力を持って、いつどこへ、何名の者が転移をするという知らせを送ると、承知した旨の返答がある。それから郷へと討伐の者を転移させるのだが。今回は通知をしても応答がまるでなかったのだ。
 ただでさえ増えつつある妖魔討伐。精霊と魔物が、西の地で起きている何らかの異変を気にかけていたが、やはり様子がおかしいとなれば、突然郷へ押しかけるのは得策ではない。様子を窺って、一体何があったのかを知る必要がある。応答(いらえ)がないのが大した理由でなくとも、慎重になる必要があった。妖魔討伐をするのが表向きの役目ではあったが、多少の犠牲を強いてでも調べなければならないことがあったのだから。目的の郷の近くまで転移してきたものの、あとは歩いて向かうつもりだった。
 至高の存在たる精霊と魔物がいて、それでも慎重になるのは、事を大きくしてしまったりしないようにとの気遣いだった。表沙汰にして人々を不安にさせないためだ。
「どうでもいいけどな、お前。その言葉づかい止めろ」
 花焔に指摘されて、流はちょっと困った顔をした。
「どう見たって俺たちより、お前の方が年長だろ。せっかく人のふりをしてるのに、年上に見えるのがそんな話し方してたら変だろうが」
「それもそうですが」
「だいたいな。お前に丁寧に話されたら変な気分だ」
 赫奪が、からかうように、花焔の見方をする。
「おやおや」
 おどけた仕草で肩を持ち上げ、流は笑う。その様子には、深刻さのかけらもない。
「もしここで何も見つからなければ、火の島までご一緒する仲なのに、二対一とはずるい」
 都から西のこの地の、さらに南西。火の島と呼ばれる大きな島がある。何の気がかりもないことを見て回るには、万が一もないよう彼らはそこまで足をのばすつもりだった。
 流の言葉に、花焔と赫奪は顔を見合わせた。
 明哲な光を宿す花焔の瞳と、勝気な赫奪の大きな瞳が見合されて、どちらともなく、くすくすと笑いだした。
「俺たちを相手にして、二対一にならないと思う方がおかしいな」
 楽しそうに笑う彼らに、今度は流が肩をすくめた。


 三人はふいに同じ方向へ顔を向けた。
「人が来る」
 赫奪のつぶやきの後に、遅ればせながら犬の吼える声が聞こえてきた。一頭や二頭ではない。犬の声は、唱和するように増えていく。
「何か尋常ではないですね」
 悠然と顔をあげて木々の向こうを見ながら、流が言う。生い茂る木に遮られて、周囲の様子はまだ見えない。
「逃げた方がいいかな」
 顎に手を当てる花焔に、赫奪は眉をしかめた。
「逃げる? 何もしてねえだろオレたちは。なんで人間から逃げる」
 犬の傍には人の気配があるが、ひどく猛った空気は、普通ではない。花焔は苦笑しながら片割れに答える。
「あれは多分山狩りだ。訳のわからない状態なんだし、面倒は少ないほうがいいだろ」
 何故山狩りをしているのか。妖魔討伐のためならばいいが、山狩りをするような兵力があるならば、何故宮に助けを求めたのか。何故、宮からの連絡に答えないのか。――もしかしたら、そもそも、あれは妖魔討伐の兵ではないのか。
「こういう状況で兵に出くわせば、いらぬ詮索をされますし。宮の使者だと言ったところで、信じてもらえるか」
 流にまで丁寧に付け足されて、赫奪は頬をふくらませる。
「オレを莫迦相手にするみたいに諭すんじゃねえ」
 爛々と瞳に怒りを宿して、彼女は言う。花焔はとりあえず赫奪をなだめているが、流は声のする方を見て、仕方ない、というような顔をした。彼らが問答している間にも、犬の声と荒々しい人の声が迫ってきている。随分と速い。転移することは簡単だが、それで全てが台無しになる。
「行ってください」
 花焔の華奢な背を押した。
「でも」
 花焔が流を振り返る。一人残るつもりらしい流に、どうするつもりかと、眼差しで問いかける。
「犬もいるようだし、山狩りもあれだけではないようですし、このまま一塊になっていても逃げおおせるとは限らない。俺がここで足止めしますから。二手に分かれましょう」
「でも」
「俺が兵に接触して、あなたたちは別のところから調べを進めれば、早く事が進められるでしょう?」
 確かにその方が話が早いし、とにかく素早い解決を望む精霊や魔物たちの意にもかなう。二手に分かれていれば、もし何かがあっても片方は残る。対処もできる。至高の存在とは言え、彼らはしばらくその力を使うつもりがないのだから、とにかく用心に越したことはなかった。
 再度言って、花焔は流の顔を仰ぎ見る。明らかに心配そうな顔をされてしまって、流は苦笑した。
「怒りますよ」
 流だって、神なのだ。しかも水の属性の神々の中では、頂点である精霊に次ぐ最高位だ。そして綿津海であるという事は、他の属性の神々の中で頂点にあるというのとは、多少事情が異なる。それなのに、自分たちがいなくてはと心配そうな顔をされれば、少しばかり彼でも傷つく。精霊たちからすれば、流だって小さなものだとは分かっていても。侮られたと怒りたくもなるというものだ。
 さらに背中を押すような流の言葉に、花焔は苦笑する。その先で、赫奪が怒鳴った。
「その言葉づかい、やめろって言っただろ」
 お互い様だぞ、と友をかばう言葉を残して、彼女は花焔の腕を掴んで走り出した。

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