「禍言の葉」番外








 世間で通り魔事件が起きたのは、今からちょうど一週間前のことだった。
 塾帰りの高校生が数名、ばらばらに切り刻まれて近くの河原に捨てられていたのが始まりだった。目も鼻も分からないほどに顔をつぶされ、どれが誰の腕や脚かも分からないほどに切り刻まれ、一まとめにして捨てられていた。
 残忍な所業に、ワイドショーがいっせいに事件を報じた。警察も懸命に捜査をしたが、犯人が捕まらないまま三日が経過し、その間にも被害は増えていった。はじめの事件は夜だったが、犯行は夜に限らず、白昼にも起きた。大抵、複数の人間が同じように切り刻まれる目にあったが、三日目には夕方公園で遊んでいた小学生が数人被害にあったのが、さらに世間を騒がせた。
 とうとう六日が過ぎ、ようやく分かったのが犯人の犯行範囲くらいのものだった警察は、世間に叩かれ、彼らにしては思い切り良く早い段階で、別組織へ協力を要請する手段に出た。出ざるを得なかったとも言えるだろう。
 名も実態も伏せられた組織。俗称として『魔道士協会』などと呼ばれ、警察や政府など、普段は単に『協会』と呼んでいる。普通の人間には持ち得ない、特殊能力を持った能力者たちが集い、公表できないような事件や、いわゆる超常現象の絡んだ事件、そして今回のような怪奇的な事件の解決にあたる組織である。警察の要請はつまり、ただの人間だけの力ではどうにもならないから、超常的な力で助けてほしい、というわけだ。
 はじめ、昨日夜に派遣されていたのは、そのときも田川を含めて三人の人間だった。


「それで、宮本さんがここ、緒方さんがここ、で、田川さんがそこね」
 夜の風景に黒く染み込む地面の血痕を見ながら、榊がつぶやく。
 先程まで彼らがいた表通りに比べて、さほど人の通りが多くない道端だった。真昼に起きた事件の痕はまだ消されていない。それなのに、通りすがる誰も騒がず、それ以前に気づきもしないのは、痕跡を田川が、自分の能力を使って隠しているからだ。部外者の目には何も見えない、という条件付きの結界を張って。
「宮本さんと緒方さんは大丈夫ですか?」
 田川が心配そうに、申し訳なさそうに榊に尋ねる。
「大丈夫みたいよ。命に関わるような怪我じゃないって聞いたもの。あたしがここに派遣されてくるんじゃなければ、多少は癒しの術とかもかけてあげられたんだけど、一応万全にしとかなきゃと思って、他の人にまかせてあるわ。腕がもげたり死んだりしない以上、協会の人間でどうにでも癒せるんだから、そんなに心配することでもないわよ」
 榊は、あっさりとした口調でそう言いきった。
 七日目の今日、すでに被害が十二件――世間に公表されているのは九件のみだが。今日の昼に、始めて被害者として死にいたらなかった件が三件伏せられている。世間を騒がせないためと、その三件が三件とも、『協会』から派遣されてきた能力者だったからだ。
 その時点までは、まったく犯人特定が出来ていなかった。犯人逮捕は警察の役目だからと言うことで、どちらかというと犯人捜索の方向で協力をするべく派遣した人員だった。三人のうち一人のみが戦闘要員だったのだ。だからこその被害とも言えるのだが。
 まだ標的が人間か、「それ以外のもの」かも分からずにいた。それが読み違いだったと、派遣した人事の責任者に対して大抵の『協会』のメンバーは思っている。
 けれども、一口にそう言いきってしまっていいものか。『協会』派独立した組織だ。警察の依頼だからと言って、引き受けなければならない義務はない。
 しかし現実として断ることはほとんどなく、逆に政府や警察からの依頼の場合、派遣する人間を慎重に事を運ぶ傾向にある。警察が持つ資料の提供を要請し、それにあわせて人を選ぶ。万が一のことが起きて後々もめると面倒だからということや、面子の問題というものが当然大きいが、やはり『協会』も「事件」を解決するためにある組織には変わりないからだ。
 秘められた三件のうち、重軽傷に至ったのは、はじめに派遣されて来ていた『協会』の人員のうち、田川を除いて二人。そのうちの一人で戦闘要員だった「炎使い」は腕を切り裂かれ、捜索がメインで選ばれたもう一人、「地相師」は抵抗する術を持たず、両足の骨を折られる重傷だった。「地相師」は、土地の吉凶を読むこと、大地の様子から周囲の危険を察知すること、時には土地の持つ記憶を読み取ることも出来る。大地系の術で攻撃じみたことや防御も可能だが、どちらかといえばやはり非戦闘員だ。はっきり言って、『協会』の失態だともとれる。
 けれどこれは、マスコミが食らいつき、人の注目も集めている事件だ。誤った人選で、戦闘人員を一人のみにしたとは思えない。『協会』の中でもそれなりに力を認められている人間が誰も異論を口にしていないところをみると、最初の派遣人員は「力試し」もしくは、状況を探る程度の意味だったのではないか、と田川は思っていた。状況がまるでわかっていなかったのだから、報告に合わせて随時対応していくつもりだったのではないかと。だから彼らを守るべく、防御専門の田川がわざわざ送り込まれて来ていたのだ。
 それを守るべきだった自分の力のなさで、そんな重傷を負わせてしまったことを田川は悔やんでいた。ひたすら、申し訳なかった。
 敵に襲われはしたものの、自分はちゃっかりと無傷で、こうして引き続き任務にあたっているのだから。
 ――榊の言う通り、情けないと言ったらない醜態なのだが。彼女はきっと『協会』の思惑は分かっているのだろう。
「でも、食われたわけじゃないのよねぇ。相手が「下賤の鬼」だって言うのに。食われてたら、とてもじゃないけどこんなに気楽にあなたと話してられないわよ」
「ええ、本当に、二人には申し訳なくて……」
「そうじゃないわ。本当に「下賤の鬼」だったんでしょうね? 動転して見間違えたんじゃないの? 「鬼」だったりしないわよね」
「普通の方ならともかく、動転してたら、逆に見えると思いますよ?」
「まあ、そうだろうけど……」
 榊が疑問に思うのも、もっともだった。これが「人外」の仕業とすぐに特定されなかったのは、どうみても「食われた」ようではなかったからだ。大抵の人外の存在は、人を食らおうとするものだ。そうでない被害は、正真正銘人間が原因の怪奇事件や、心霊関係、もっと別の次元の力を持つ存在である場合が多い。
 現場を見て少し考え込んでいた榊だったが、興味は再び都雅の方へ戻ったらしい。
「鬼に追いかけられてた田川さんを、通りすがりに助けたんですって?」
 榊と同じように、何かが見えるとでも言うのか、地面に目をこらしていた都雅は、どうやら自分に声がかかったらしいと気がついて顔を上げる。それから面倒くさそうにつぶやいた。
「でっかいのがいて通行の邪魔だったから、どかせただけだ」
 相変わらずの態度と口調と、何よりその言葉に、榊は一瞬気勢を削がれたような顔をした。すぐに怒りの表情に変わったが、その口から勢い良く文句が出て来る前に、時期を見計らったかのように田川が何やら慌てた声をあげた。
 出鼻をくじかれた榊が恨みがましそうな目線を向ける中、居心地が悪そうにして耳に手を当てる。正確には、耳にはめたイヤホンに。
「あ、はい、もしもし? 聞こえます。はい」
 骨伝導マイクに向かって話しかけている。どうやら、警察からの連絡のようだった。
「分かりました、すぐ向かいます。はい、では」
「何?」
 話が終わったのを見て、すかさず榊が声をかける。幾分かまだ苛立ちも残った声だったが、緊張の色の方が濃かった。
「ちょっとバス停まで戻ります」
「なに、出たの? 気配感じないけど」
「いえ、なんだか変な物見たって騒いでる酔っ払いがいるらしくて。とりあえず来てくれってだけなんですけど」
「なんだ」
 拍子抜けした様子で榊が興味なさそうに地面に目を落とした。彼女はついて行く気がないようだ。田川は、隣に居る少女に声をかける。
「神舞さん、どうしましょうか。一緒に戻りますか? 一応僕がお目付け役ってことで言いつかってるんですけど」
「わざわざ、頭の固い親父どもに会いに行く気にはならない」
 誰に対しても態度の変わらない少女がむっつりと応えると、榊がため息混じりに手をひらひらとさせながら言った。
「いいわ。それを言うなら、あたしも監査員ってことで言い付かってるのよ。あたしがついてるから、どうぞ田川さん行ってきてよ。もうちょっと現場見てるわ」
 そうですか、と苦笑して、田川がうなづく。
「それじゃあ、よろしくお願いします。何かあったら電話をください。榊さんがついていれば大丈夫だと思いますけど、一応」
 どこまでもへりくだって田川が言うのに榊が生返事を返す。都雅はもともと彼らの動きに興味を示していない。それでも彼女たちに頭を下げると、田川はくるりと踵を返した。





「事の始め」トップへ

「禍言の葉」トップへ