「禍言の葉」番外








 街中での戦闘が簡単でないのは、都雅にも言ったように、周りの被害を考えなければならないからだ。市街地を踏み潰して戦う怪獣映画のようにはいかない。画面的な爽快さや派手さのために、あちらこちらを爆発させる映画とは話が違う。
 もちろん、状況が切羽詰ってきたらそんなことも言っていられないが、人命優先だ。通行人を巻き込むことがないよう、周りをなるべく破壊しないようにしなければならない。榊は、あまり小回りのきく技が得意ではなかった。だから余計に、この人員に不満があったのだが。
 それでも、戦えないわけではない。狭い路地のこと、ぶつけた技のせいで、左右のビルに多少の焦げ目と亀裂はあるものの、その程度だ。塵になって消えていく巨体を、大きく息を吐いて見送り、榊はすぐさま後ろを振り返った。
 「下賤の鬼」は、夜の街の光を背に、黒く凝らした影になっている。迫り来る巨体が、手をふりあげたところだった。
 少女は、自分に向かって降りてくる鋭い爪を、立ち尽くして見ている。
 ――これだから。
 なじるように思うと同時、動いていた。都雅には守りの術をかけていたにもかかわらず、ほとんど咄嗟の動きで、榊が都雅を抱きかかえるようにして倒れこむ。だが完全には避け切れず、魔族の爪が榊を引っ掛けていた。
 ほんの少し引っ掛けた程度、とはいえ、それは『下賤の鬼』の方の話。榊は、自分自身には、力を節約して完全な防護をしていない。鋭利な刃と変わらない凶器は、見えない防御の壁を破り、榊の太ももを裂いていた。流れ出す血にスカートが染まり、地面に落ちていく。
「いっ……たいわねぇっ!」
 そして榊は、悲鳴を上げるでも泣くでもなく、怒りの声を上げた。
 地面に倒れこんでいた都雅は、身を起こすと、そんな彼女をちらりと見て、顔を背ける。根拠はなかったし、あまり想像出来ることではなかったが、笑われてるような気がして、榊はさらに憤慨した。そんな場合でもないのに、文句を言おうとしたところ。
 都雅が顔を前に向けて、しっかりと目の前の化け物を睨み据えていた。繰り広げられた破壊行為にも、視界を染める血の色にも動揺を見せず。
「失せろ」
 ただ一言、つぶやく。
 たったそれだけで、化け物の肩が弾けとんだ。



 榊は座りこんだまま、何もいなくなった場所で、痛みも忘れてぽかんとしていた。都雅がつぶやいた途端、『下賤の鬼』の肩が弾け飛んだ。その痛みにか、驚きにか、『下賤の鬼』が逃げ去った方向を眺めながら、呆然としている。
 榊が都雅のお守りを嫌がったのは偏に、都雅くらいの年頃の子どもが実際役立たずであることは分かり来たことだったからだ。どれだけ見栄を張ったところで、実際こういった事態に遭遇してしまえば役立たずになる。怯えて何も出来ないか、逃げ出すか。もしくは、判断を間違えるか。経験が無い者には仕方の無いこと。責められることでもないが、事実だ。
 しかしとっさに身を守ることができたのは、立派なものだと思う。無意識の保身の力は強いものだし、窮地に追い詰められると、思わぬ力が出るのが人間でもあるが、大抵の場合はすくんで、その瞬間を待ちうけるしかできなくなる。
 けれども彼女の場合、立ち尽くしているように見えたのは、もしかしたらただ、相手の動きを読んで、行動を選んでいただけなのかもしれない。そう言えば、呆然としているように見えた都雅は、今のどこか面倒くさそうなたたずまいと、まったく違いがない。
 それは十分に、榊が都雅に対して抱いていた不審感をぬぐうものだったが。
 驚いたのは、まったく違うことだった。
「何あの力。あんた一体何の能力者なのよ」
「さあ」
 立ち上がって応答する都雅は、まったく気のない声だった。
「さあって……。どう考えてもアレは魔道じゃないの。祝詞も呪文も精霊の助けも用意もなしに、あんなことができるなんて!」
 大声を上げて、その反動で傷口が痛んで、榊は顔をしかめる。田川にちゃんと少女の事を聞いていたはずだった。聞き流したわけではないが、田川の話だけでは、都雅がどういった能力を使ったのか分からなかった。
 魔道士。名前はポピュラーで、使い手も多いが、有象無象も多い。
 だが本人に自覚がないとなると問題だった。凶器を持っているのに、使い方も加減の仕方も知らないなんて。
「呪文は使えるの?」
「知らない」
 即答で返る言葉に、内心まさかと思いながらも、どこかで納得していた。もし知っていれば、あんな気力を使う方法を好んでとりはしないだろう。
「参ったわ、あんた本当にド素人なのね」
 バス停での険を含んだ調子とは違って、どこか呆れたような声で榊が言った。
「悪かったな」
「拗ねないでよ。仕方ないわね。手短に説明してあげるから、大人しく聞きなさい」
「拗ねてない」
 ようやく少し、ムキになって言い返してきた都雅に、榊はふいに笑ってしまった。それに対して少女は、不機嫌そうに続ける。
「あんた怪我してるくせに呑気だな。うだうだ言ってる間に、助けを呼ぶか、あれをあたしが追いかけたほうがいいだろ」
「怪我の方は何とかするから大丈夫よ。追いかける方も、相手の気配を掴んでるから平気。当然急ぐべきだけど、あんたに教えるほうが重要よ。そうでないと、追いかけて行ったって、すぐに返り討ちにあう。痛いんだから口挟まないで」
 断言されて、都雅は反論をやめた。余計に拗ねたり怒ったりしたわけではなく。
 自分が十分な知識を持っていないことを重々分かっていたし、今の状況を見て、榊の言う通りになることもあり得るのを、分かっていたからだ。
「この際だから難しい事は省くけど、あなた、自分がどうやってこんな現象起こしてるか分かってる?」
「一応うちはそれなりの家系らしいんで、お蔵入りになってた書物とか探してきて調べてみた。読めない字が多かったが、「精霊に祈らずとも、神に願わずとも、奇異な物事を起こす輩がおり、彼らは万物を従え主が如く命ずる」ってな感じの事が書いてあったから、なんとなく」
「それだけ分かってれば十分よ。要するにあんたは、血筋のせいか、ある程度魔力じみたものがある。この場合の魔力ってのは、自然に働きかけ、形のないものや、言葉を解さないものにですら干渉できる能力の事よ。でも魔力だけ持ってても、それは何の意味にもならない。霊感、と言ってもいいわ。それがあるだけなら、霊が見えたり、意識が高ぶった時に、妙な事が起こる程度よ。問題は、干渉することが出来る万物に対して、自分がどれだけのことを命じる事が出来るか、よ」
「命じる?」
「魔力を持って、相手に語りかける。たとえば、何もないところに火を熾そうとしたり、そよ風を豪風にしたりということを、「そうするよう」相手に命じるの。命じるには相手をねじ伏せないといけないし、多少魔力があった所で、相手が当人に従いたくなるようなものがないといけない。要するに、意志の力なんだけど。でもそれをするのはひどく疲れるのよ」
「ずっと気をはりつめてないといけないからな」
「そうよ。だから相手を簡単に従わせるキーワードとして、呪文が編み出されたの。呪文だって、ただ唱えればいいのもでもないんだけど……。命令する相手を理解して、言葉の本質を理解して、それで始めて意味があるのよ。だけどこの際仕方ないわ。唱えてみて。多分、あなたならなんとかなると思うわ」
 そう言うと、彼女は短い言葉を都雅に伝えた。
 大人しく聞いていた都雅は、たった一言きりの短い言葉に、それだけか、というような顔をした。さしても重要だと受け止めている様子ではない。すぐさま走って行ってしまいそうな気配に、慌てて榊が呼び止める。
「ちょっと待ちなさい。この場合あたしに責任が出てくるから聞いておくわ。おせっかいだったら悪いけど、どうしてあなたみたいな年頃の子が、お金稼ぎに『協会』へからんできたの?」
 都雅は、不可解を隠しもせずに、眉を寄せる。
「なんでそんなことを聞く?」
「今の状況で分かってないはずないと思うけど、命懸けになることもある仕事よ。あたしはあんたの監査員としてここに来てる。あんたに合格を出した場合、あたしもあんたの命への責任を背負うことになるのよ」
「別に、あんたに責任を押し付けたりしない」
「でも、あたしはそう考えるし、事実よ。あたしは、自分の仕事と責任を自覚してるつもりだし、放棄しない。だからあんたの能力や行動に疑問を感じたら異を唱えるし、無理だと思ったら今すぐにでもやめてもらうわ。やっかみでも不平でも不満でもなくね」
 命を危険にさらすわけであり、協会の人間も所詮雇われ人である以上、いくら能力があっても都雅のような子どもはほとんどいない。昼間被害にあった術者たちや榊のように怪我など当然つきものだし、この件での今までの被害者のように、殺されることだってあり得る。
 今から都雅を一人で追わせることは、その危険が高くなると言うことだ。そして『協会』としても、都雅一人に、この件の責任を負わせると言うことだ。決して、巻き込まれる被害者を出すことのないように、と。
 それが分かっているのかどうなのか、都雅は榊に向き直ると、憮然と答える。
「……その御堂ってやつはなんでだ?」
「ご両親を早くに亡くしてるから、色々たいへんみたいよ」
「そうか」
 少女は相槌とも言えないような、気のない返事を返してから、続けた。
「あんたは?」
 逆に問い返され、意志を図りかねて、榊は都雅を見返した。
「あんただって、こんな仕事する必要はないように見える」
 息を詰め、華奢なくせに図々しい少女を見ていた目に力がこもる。睨んだわけではない。
 本当に、この子には、驚かされてばかりだ。
 傍若無人にしか見えないのに。周りのことになんて、興味があるようには見えないのに。
 ――若い女で、外見だけに興味があるチャラチャラした若者のようで、何の覚悟があるようにも見えない彼女を批判する声がないわけでないのが、事実だった。彼女の性格が招く敵でもあったが、特殊能力が秀でているというだけで、若い女が現場にしゃしゃり出るのを好まない連中もいるにはいた。
「責務よ」
 榊は短く言葉を落とした。
「他にない力がある。あなたのような魔道とも違うわ。わたしは術者の中では唯一、大地の精霊に願って術を使える。世界でたった一人、大地の神とも呼ばれる者に通じることを許された力よ。遊ばせているわけに行かないじゃない」
 おとなしく聞いていた都雅は、唇を横に引くようにして笑う。皮肉のこめられたような笑い方は、腹を立ててもいいものかもしれなかったが、榊には、単純にこれがこの少女のクセなのだと何となく分かってきた。
 都雅は、律儀だな、とつぶやいた。そして続ける。
「人にはそれぞれ事情があるって事だろ」
 ひねくれきった返答に、榊は面食らった顔をした。
「生意気ね」
 怒るよりも呆れた声で、榊が言う。けれどもすぐに笑いながら続けた。
「でもまあ、おもしろいから許すわ」
 そう、彼女の知る御堂少年だって、ただ見れば元気な中学生でしかない。生い立ちを知って驚くのは、彼の明るさとその背景のギャップが大きいからだ。
「それはどうも」
「今更だけど、あんたの名前聞いてなかったわね。あたしは、榊維斗巴(いとは)よ」
「どーも。神舞都雅だ」
「お互い様だけど、変な名前ね。あたしは一応、地相士なの。ただ地面の情報を読んだりする普通の地相師とはちょっと違うの。さっきも言ったけど、大地の精霊に願って術を使えるのよ」
「それってすごいのか」
 榊の術を目の前で見て、少し興味を持ったようだった。ほんの少しの短い時間しか少女といなかったが、めずらしいわね、と榊は思っている。
「すごいのよ。あたししかできないんだから。どこがどうすごいかってのは、機会があれば延々と説明してあげるわよ」
 そして榊は、彼女自身の血に濡れた地面に掌をおいて、何ごとかをつぶやいた。すると地面に、糸を落としたかのような細い光が淡くともる。
「間違いなく追っていけるように、さっきの鬼が置いてった気配が見えるようにしておいてあげる。田川さんに連絡とって、この足何とかしたらすぐ追いかけるから、無茶せずに足止めだけでもしておいて。悪意の塊でしかない『下賤の鬼』が、自分を傷つけた相手を前にして逃げるなんて、普通じゃない。気をつけなさい」
 逃げている相手は闇に棲むものだと言うのに、地面を走る線は、金色に見える。なぜか優しいぬくもりのある光に見える。本当は、もっと都雅が修練を積んで、化け物が逃げた後を自分の目でたどろうとしたなら、黒く歪んだものが見えるのかもしれないが。
「ただし、殺すんじゃないわよ」
 踵を返そうとした都雅に、釘を刺すように榊が言い募る。
 都雅は、また不可解な目で榊を見た。
 あの化け物を殺すなと言うのだろうか、自分だって今、鮮やかに消し飛ばしたくせに? それとも、事件の背景にもう予想がついているのだろうか。
 だが、都雅は文句を言わない。とりあえずうなづくと、地面の印をたどって走り出した。






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