まがことのは




第十章







「お姉ちゃん、ごめんね」
 都雅の怪我を見て弟は、他の何よりもその一言を口にした。
 ――生きている。大丈夫、無事だ。
 無意識にほっとしながら、都雅は冷たく返した。
「お前には関係ない」
 ――雅牙には関係ない。自分の意志で、自分の都合で来てこうなったんだから。
「……うん。ごめんなさい」
 けれど都雅の言った通りに、最初から関わらなければ。後悔の言葉に、応える声はなかった。雅牙に気をとられた都雅へ魔族の反対の手が伸びていた。肩を掴んでいたほうの手を離し、再度突き出してくる。
 普段の彼女なら、攻撃を受け止めるよりも、先手必勝を選ぶ。むしろ新藤家のときとは違い、後ろにかばう者がいない以上、まずそうしていたのだが。ほんの少しひるんでしまった。
 やはり口でどう言おうと、どういう態度をとろうと、この期に及んでこの魔道士の少女は攻撃にためらいを覚えていた。雅牙が覚醒してしまっては。雅牙の声が、聞こえてしまっては……。
 都雅は無意識に腕で己をかばったが、その場から彼女を押しのける手があった。
「下がってろ」
 都雅を後ろに押しのけてから奏が割り込んで、爪を振りかざして襲いかかってくる魔族の攻撃を受け止めた。いつの間にか反対の手には、ぐったりとして気を失った少女を抱えている。
「協力してやるって言ったろ。引き剥がしてやるから、あんたはその後のことでも考えてろ」
 魔族に捕えられていたその少女を都雅に渡すと、彼は空いたほうの手を伸ばそうとした。そんな彼に対し、魔族は冷ややかに言う。
「そう簡単にいくと思うか」
 細い腕からは予想もつかないほどの力で、掴んだ奏の手を捻りあげる。文字通りこれでもかと言うほどに捻って、へし折った。
「奏!」
 奏自身が何か声をあげる前に蓮が彼を呼ぶ。怒りが込められた声に、奏は痛みにあげかけた声も飲み込んでしまった。思わず笑ってしまう。
 けれど雅牙は自分を助けようとしてくれた人が傷ついたのを見て、声をあげた。
「どうして……!」
 雅牙が、眉を顰めている。苦しそうな、もどかしそうな表情は、何かをしようとしてうまくいかないことに苛立っているように見えた。顔を動かそうとしているのが見えるが、身動きがとれないのだろう。
 魔族のまわりで何かが、動く。風ではない何かにあおられて、魔族自身の髪が、そして間近にいた奏の髪が揺れる。都雅の髪とスカートが、まとっていたマントがあおられる。
 魔族の力かと思い、奏は魔族の手を離した。至近距離で魔力での攻撃をされることだけは避けたい。先の攻撃はもう大分回復していたが、出来ることなら二度と喰らいたくないものだ。
 そんな彼の後ろから、声がする。
「雅牙やめろ」
 気配を感じて、都雅はきつく言っていた。何か尋常でない力が働く気配。それは唯人が起こすことの出来る現象ではない、この世ならざる者たちの引き起こすものに似ている。それゆえに、都雅自身が家を出ざるを得なくなった、その力が動こうとしている。
 実際都雅は家を出されたわけではなく、自分の意志で家を出たのだ。……正しくはそれも少し違い、都雅たちを見かねた祖母から、娘――都雅の親にではなく都雅自身へ、家を出て一緒に住まないかと言ってきた。それを受け、母親にも父親にも相談などせずに勝手に決めて家を出た。ずっとそれ以来、家の援助など一切受けずに生活している。始めは祖母や祖父の手を借りていたが、中学に入ってからは自分でお金を稼ぐようになった。
 あんな家に関わりたくないと、今でも堅く思う。母親はともかく、父親のことだって良く思っていない。昔からあまり家にいない人だった。各地を、世界を飛び回り、仕事ばかりをしていた。忙しいのは仕方がない、だがそもそも家のことに関わろうとしない仕事人間だった。だから、彼女が今どういう生活をしているかすら知らないだろうと思う。都雅が家にいた頃だって、母親が彼女につらく当たっているのを知っていたくせに、関わろうとしなかった、無責任な父。
 家族は嫌いだ。
 幼い頃は都雅だって懸命に母親の気を引こうとがんばっていた。どうやらこの力が良くないらしいと分かって、絶対にそれを使わないようにしようと、幼いながらに心に決めていた。それでも母親は向いてくれない。母親が疎むから、まわりの誰も向いてくれない。
「でも……」
 雅牙が、抗議の声をあげかける。都雅はそれをも聞き流すことが出来なかった。
 ――雅牙は嫌いだ。
 嫌いだ、そんなの今更認識することでもないじゃないか。
 雅牙がいなければ、いずれはあたしの努力も実っていたかもしれない。もう少し今より、何とかなっていたかもしれない。でも、雅牙が生まれたことで、まわりの誰もの目があの子の方へ向いてしまった。もう誰も彼もが。雅牙が生まれて、まわりの目がすべて彼に移った時の孤独。それが、すべてのはじまりだった。
「手を出すなって、言ってるだろうがっ」
 怒鳴った声には、やはり容赦がなかった。
 ――なんでだ? 自分で彼女は思う。どうして雅牙が何かをしようとするのを、ここまで必死に止めなければならないと言うのだろう。どうして? 雅牙を巻き込めば、また嫌な思いをすることになるから?
 それは納得するに足る理由だったが、彼女は違うなと、否定した。
 血の中に眠る力があるのだと、彼女の祖母は言っていた。母親にあり都雅にあるその力が、雅牙にないとは言い切れないのだ。むしろあると考える方が正しいのではないだろうか。そして気にかかっていたことがあった。
 魔族は長い間封じられていたのだから、始めから力を失っていたはずだ。人間である都雅から見て、魔族の力が尋常でなくても、実際には蝕まれてはいたはずだ。そこを、都雅との衝突でさらに消耗したはず。ここ数日間、十数人ばかしの人間が妙な死に方をしたのだという話は菊に聞いていたが、長い時間をかけて奪われ続けたものを、そんな程度で急激な回復が出来たとは思えない。無理な話だ。けれどそれが出来たのは、雅牙が居たからだった。内に大きな力を秘めた雅牙を取り込んで、そこから魔力を引き出して自分のものとして使っていた。
 始めに衝突したとき、魔族が雅牙を襲うことが出来なかったのは、これだった。少年は無意識に力を使い、ほんのわずかでも抵抗した。それが魔族には予想外で、原因も分からず攻撃をためらったのだ。
 もう手遅れかもしれない。だが、巻き込みたくないというのは、彼女自身の思い。
 優しい雅牙まで、こんな馬鹿げたことに巻き込みたくはない。嫌いだったはずなのに。憎んでいたはずなのに。でも。いくら嫌いでも。それでも願ってしまうのは違うことだった。
 ――だって、弟じゃないか。
 何だかんだと言いながらも、ここまで追いかけたんだから。嫌いだからって、殺したいほど憎んでいるわけじゃないんだから。雅牙だけは。あの優しい弟だけは、自分みたいになってほしくない。こんなつらさを味わってほしくない。
 幸せにくるまっていられるのなら、そのままでいられるのなら、その方がいいに決まっている。
 だから絶対に何があっても、手出しはさせたくなかった。


「でも、お姉ちゃん。ぼくは」
 けれど雅牙は、強く言葉を口にした。
「他のことなら従うよ。でもぼくは知ってる」
 懸命に戦う姉の姿を知っている。彼女がいつも、ぶっきらぼうでも決して自分を邪険にしたりしないことを知っている。そして、彼がさらわれた時だって、傷だらけになりながら守ってくれた。今だってあんなに傷ついて、それでも助けてくれようとしていることくらい、分かる。
 嬉しかった。
「ぼくは、お姉ちゃんが好きだから。ぼくのために戦ってくれるお姉ちゃんの、力になりたいんだ」
 どうして自分だけのうのうと助けを待っていることが出来るだろう?
「何よりぼくがぼくのために、ぼくが生きるために戦うんだ。お姉ちゃんに止める権利はないよ」
 彼は無意識に自分の中の力のことを悟っていた。確たる形のないものではあったけれど、自分の内にあるもののことは分かる。それをどうすれば表にあらわすことが出来るのか、その方法は知らなかったし、姉のようにうまく使うことが出来るとは思えなかったが、それはきっと彼の強い意志に答えてくれるだろう。





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