十一


我のみに非ず




 桜花城の中はいつになく静まり返っている。
 もともと城の中で歓談するなど、武家の嗜みとしてはしてはならないことのひとつだが、神宮の人にとってはそんなもの関わりのないことで、彼らの賑やかな声が聞こえてこないことは珍しい。国境が緊迫した状況にあるのも理由のひとつだが、何より彼らは、傷ついた少女を気遣って口を閉ざしている。
 父親の元を訪れた紅巴は、いつもと変わらない穏やかな物腰で言った。
「こんな時期に不謹慎かもしれませんが、少し城を空けさせてもらっても良いですか?」
 四季の鮮やかな桜花の木々は、すでに葉の色を染め替えている。開け放した襖の向こうに見える庭木に目をやっていた神宮当主は、脇息に頬杖をついていた顔を息子の方へ向けた。
「どうした。珍しいな」
「少し城を離れて気分転換でもと思って」
「お前、まだ具合が悪いのだろうが」
「どうせいつものことですから」
 不信そうに息子を見て、返ってきた言葉に、神宮当主は大仰にため息をついた。いつものことだと割り切れることでもないだろうに。半ば呆れ、半ば落胆し、そういった息子の態度にもはや怒ることもない父親は、混ぜっ返すようなことを口にするかわりに、気だるそうな態度のまま言う。
「お前はいつもの事かも知れないが、確かに、姫君は神宮の城にいるのも辛いだろう。少しゆっくりしてくるといい。行き先は言っていけよ」
 紅巴がそんなことを言い出した意図などお見通しだった。
 出来が良く聞き分けのいい上の息子は、自分のための我がままを、ほとんど口にすることがない。彼が何かをしたいというときは自分のためではなく、いつも神宮のためで、そうでないときは他の誰かのためだ。
「お前は、何も言わないな」
 政略結婚を決めた時も、その成婚を半年で無駄にしたことも。彼の妻たる少女のために、誰も何もしないことも。
「わたしが口を出すような事ではありませんから」
「やっぱりお前は、可愛げがない」
 少しぶすくれた顔で、神宮当主は息子を見る。自分の子供よりも子供っぽい表情をして、つまらなそうにしている父親に、紅巴は笑いながら言った。
「駄々をこねたって聞いてくれないくせに」
「わしが結果的に言い分を聞いてやらないのと、文句すら言わないのでは話が違うだろうが。聞き分けが良すぎるもの可愛げがない。最初から何もかも諦めるな。子供のくせに」
 それで本当にわがままを言ったら、面倒くさがったり、流紅に対するように始終からかってくるくせに、神宮当主は彼の方こそ子供のようなわがままを言った。神宮の人間らしく陽気で明るいけれど、結局最後には今回の事のように、情では決して動かない。甘やかしてなどくれないくせに。そんなことで拗ねられても、困ってしまうのだが。
 自分を心配するものでもある言葉に、紅巴は「大丈夫ですよ」とにこりと笑って応える。
「わたしは、聞き分けはいいけど、諦めは悪いんですよ」


 桜花の城内も、城から見下ろす城下の風景も紅に染まり、桜紅葉は十二分に鮮やかだったが、城から出て見る景色は様々な色彩に満ちていた。紅く、または黄色く色づく木々の元、女郎花の黄色い花、藤袴のかわいらしい紫の花が咲き乱れている。
 山吹姫を輿に乗せ、自分は馬に乗って、数人の供を連れて城を出た紅巴は、彼が幼少の頃に世話になったことのある寺へ向かっていた。桜花からは遠く、輿を使っての移動ではほとんど一日かかってしまう。
 輿に押し込められた少女はそれでも、桜花城にいる時よりもずっと、伸びやかな表情をしていた。紅巴や、神宮の侍女の前で意識を張り詰め、これ以上惨めな姿をさらさない様にと気を張り続けているのが傍目にも分かって、いつか再び倒れてしまうのではないかと誰もが心配していた。無邪気で優しい彼女のそんな姿は、あまりにも痛々しかったから。外に出て、素直に秋の光景に目を輝かせている姿は、見ている人をほっとさせた。
 目的の場所が近くなると、紅巴は少女を馬に乗せ、自身がその馬鍬を引いて歩きながら、周辺を案内して回った。武家の子息は七歳になると、近くの寺に寝泊りしたり通ったりして、勉学を始める。さすがに神宮家の子息が二人とも城を出て何かあっては困るので、寺に長く滞在したことはなかったが、流紅と走り回って遊んだ記憶のある場所だった。道端の木を、通りかかる橋を指しては思い出話を語る紅巴の言葉を、山吹姫は大人しく聞いている。
 目的の場所にたどり着いたのは、夕刻になってからだった。寺の境内では、山茶花がつぼみを付けはじめていた。もうすぐ、赤い花が鮮やかに咲き誇るのだろう。秋の光景は、ますます赤く、燃えるような色に満ちていく。そうして燃えた草花は、冬枯れの風の中で色をなくして息を潜めてしまう。再び萌える春が来るまで。
 前もって知らせを送っていた寺で手厚い歓迎を受け、一晩明けた日。朝霧に包まれた静かな白い朝、山吹姫は山茶花の生垣に包まれた庭に立ち尽くしていた。庭先に佇んでぼんやりと陽を見上げている。
 普段なら人に手伝ってもらって衣服を整える身分にある彼女だったが、そこに立つ少女は不器用ながらも自分で身支度をちゃんと整えたようだった。手持ち無沙汰のあまりにもそうしたのか、自分のことをきちんと自分でこなして誰にも迷惑をかけまいという――実家のことや、身近な侍女を手放したことによる決意の表れなのか、どちらにしても悲しい。何事もないときにそうした姿を見たのなら、ただ微笑ましいだけなのに。


「よく眠れませんでしたか」
 紅巴が庭に降りて声をかけると、彼の妻はゆっくりと振り返った。
「外に泊まるなんて、本当に久しぶりで、緊張して目が覚めてしまいました」
 穏やかに笑みすら浮かべて少女は言う。
「とても疲れていたでしょうに、大丈夫ですか?」
「これくらい、平気ですわ。わたくしこう見えて頑丈にできているようですから」
「それは安心しました」
 やわらかく微笑を返す。そして紅巴は手元に用意していた包みを彼女に差し出した。唐突に差し出されたものに、受け取るためになんとなく手を伸ばしながら、山吹姫は首を傾げて彼を見る。無言の問いかけに対し、紅巴はゆっくりと言った。
「数日旅をするのに必要なものを用意してあります。手ぶらで行かれては道中困るでしょうから、これを持って行ってください」
「紅巴様?」
 言葉の真意が分からなくて少女が声を上げる。その不安そうな声に対して、紅巴は続けた。
「こんなことしか出来なくてすみません。鷲頭を助けることの出来なかった神宮には、あなたを無理に引き止める権などありませんから」
 山吹姫は受け取ったものを抱きしめるようにしながら、驚きを込めて紅巴を見上げた。
 ――家に帰りたいと泣いた。
 あの時、彼に無理を言って困らせた。子供の我がままでしかなかった。とても見苦しいものだったろうと思う。それなのに。
 見上げる先で、紅巴が少女の後ろへ目を遣ったので、それを追って振り返る。彼らの遠出の為に供をしてついてきた従者が二人、そこにいた。
「ぼくは、彼らに鷲頭の様子を見てくるように頼んでいます。その途中で君を助けて、守ったとしても、問題はないでしょう」
 もともと遠出に来ていたのだから、纏っていたものは旅装だった。旅立つのに、不便なことも不自然なこともない。
 だけど問題なんて、ないわけがない。こんな勝手なことをして、問題にならないわけがない。実家が滅んだとは言え、山吹姫自身に、神宮にとっての利用価値がまったくないわけでもないのだから。進んで他国に攻め入ることをしない神宮家は、多分それをしないだろうというだけで。
 無言の瞳に対し、紅巴は山吹姫の思いなど見通しているくせに、少女の困惑すら流してしまうような小さく笑みを浮かべて言った。
「ぼくが流紅のように丈夫だったら、一緒についていって君を守れたのだけど。ぼくがいたのでは、逆に足手まといになりかねない」
 紅巴の言葉を聞いて、少女はくちびるにやわらかな笑みを浮かべた。静かな目で、相手を見る。
 ――いいえ。
 ただ心の内で、密かに否定する。
 ――例えそうでも、あなたは決してこの国を離れたりはなさらない。
 誠実で優しい嘘だ。気がついてしまう。それが分かるくらいには、側にいた。
 彼にとって何が大事であるか、そしてそれを守るためであるなら、彼が何であっても犠牲にするだろうことくらいは、分かってしまう。桔梗の方に言われたことを思い出すまでもなく。
 紅巴は神宮の不利になることは決してしない。その彼が、恋して結ばれたわけでもない、政略の道具として嫁いできた妻にここまでしてくれたのだから。
 ――嘘ではあっても、そうしたいと思ってくれたのだと、願いたい。
「仕方がありませんわ。あなたは神宮のお人で、神宮のために生きていらっしゃるのですもの。わたくしは、こうして気を割いていただいただけで、十分に幸せ者です」
 鷲頭の聡明な姫君は、気がついてしまっても、決して責めるではなく穏やかに言った。
 山吹姫は受け取った荷を抱えなおし、彼の思いを、行動を受け入れて笑った。
 本当にいいのか、などと陳腐なことは聞かない。
「家に帰りたいだなんて、わたくしのわがままなのですもの。ここまで手を配っていただいたことだけで、どれだけ感謝しても足りないくらいです」
「本当に、そうだろうか」
 苦笑して紅巴が言う。少女の言葉を否定するような、自分の不誠実さを悔やむようなその表情は、彼女の考えを裏付けていた。それは少女の言う通りに、たとえ自分が丈夫な体に生まれついていても、彼女の為には決して駆けて行かないだろうことを、認めているようなものだった。
「できれば言わずにすませたかったのだけど、ぼくも未熟だから、どうしても言わずにいられない」
 言葉を切る。煮え切らないような姿は、彼には珍しいものだった。感情を持て余すような困惑した表情で、彼は続けた。
「多分ぼくは、あなたを行かせたことを後悔する」
 偽善に包まれたどんな言葉よりも、それで十分だと思えた。
 手放せばどうなるか分かっていて、それでも彼女の願いに応えて手放して――その結末を悔いてくれるのなら。自分自身ですら簡単に切り捨てられるこの人が、捨てたものに対して嘆いてくれるのなら。
「わたくし、本当はとんでもない悪女なのかも知れませんわ」
 桜花の城から連れ出してくれただけでも、気持ちは少し晴れやかだった。朝霧に包まれた赤い風景は美しく、それだけでも少し明るくなれた。そのおかげで、紅巴と向き合うのに気持ちが暗くならずに済んだ。
 くすくすと笑いをこぼしながら、少女は続けて言う。
「神宮の方にお会いできて、楽しかった。こんな世の中だというのに、神宮の方々には本当に良くしていただきました。わたくしは、神宮の皆様が大好きです」
「ありがとう。大丈夫、みんな分かっていると思う。みんな、あなたが好きだよ」
 お互いに、相手への言葉を封じている。
 皆という言葉で逃げている。
 あえてそれに触れないのは、誠実なことなのかもしれない。
 ――言い切るには、少し弱い。でも、切り捨てるには、あまりにも強くて。けれども、恋と言うには渇望がなく、あまりにも儚い感情。
 嘘をつき通すことも、騙すこともうまくできないのなら、口に出さないしかない。
「無事に家に帰り着いて、出戻り娘など家に置けないと追い出されたら、こちらに帰ってきてもいいかしら?」
「もちろん。待ってるよ」
 にじむような笑みと共に、優しい大きな手が伸ばされる。痩躯からは想像できないような力強い腕は、少女を抱きしめて言った。
「気をつけて」
 耳元で囁く優しい声が、耳朶に名残を残して消える。
 朝日の赤が、色づいた木々の赤が、神宮の領内の鮮やかな景色が、いつまでも瞳に鮮やかだった。



 その後数日寺で滞在し、城に一人で戻った紅巴は、旗印にもなる彼女を――神宮が嵩地を攻める口実にもなる彼女を手放したことを責められ、当主にはしばらくの謹慎を申しつけられた。
 妻に逃げられた、もしくはこの大事に役に立たない者として、臣の間では大分口さがなく言われたようだが、紅巴にとって大した問題ではない。多分、父は紅巴の行動を予想していたのだろうし、もしかしたら彼も一緒に行くかもしれないと、考えていたかもしれない。――紅巴の性格などよくわかっているだろうから、それだけはないだろうと踏んで、許可したのかもしれないが。どちらにしろ分かっていたから、あえて何も言わなかったのだろう。
 紅巴が母と住まっていた城内の住居は、季節が一巡りする間もなく、また二人きりの場所になってしまった。決して賑やかではなかったけれども、花を添えてくれた人がいなくなり、もとの空気が戻ってただ静けさが満ちている。
 元の生活に戻っただけのはずなのに、彼の周りは以前よりもいっそう静かになってしまった。流紅も桃巳も心配そうではあったけれども、紅巴が謹慎と名のついた静養中とあって、軽々しく出入りできないでいたせいかもしれない。だが、それだけでないことなど、分かりきっている。
 笑顔の優しい鷲頭の姫が捕らえられ、討たれたという報が届いたのは、彼女と別れてから十日も経たない日のことだった。


 月日は巡り、冬を越えて、またやわらかな春が来る。
 共に迎える人はいなくとも。










おわり



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ちょとあとがき。

なんというか、予定よりも長くなってしまいました。
「番外編競作 禁じられた言葉」という企画あてに送る予定で書いていたもので、そもそも結構長くなるだろうとは予想していたんですが、いやはやほんとに結構な枚数になってしまいまして(原稿用紙120ちょい)、そのくせもっと枚数使ってじっくりいくべきだったかもしれませんが、駆け抜けました。ここのところ小説を書くのに色々苦悩があったりして、書いてなかったりして、文章をつなげるのが結構大変だったのです。淡々と物事をつなげたようなものになってしまっていないか、大変に心配です。ああでも楽しかった。久々にがっつり取り組んで、楽しかったです。もっともりもりやりたい!
……つーか、テーマに添えてますか? 大丈夫ですか? いろんな意味での「禁じられた言葉」になるように、いろんなシーンで盛り込んだつもりなんですけど(メインテーマにはなって……ない気がしないでもない)。

ええと、タイトル本当は「君と過ごした季節」とかにしようかなあと思ったんで、ありきたりすぎると思って変えたんですが、変えたら多少意味合いが違っちゃいました。だからがんばって季節感が出るように書いたつもり。

それから、企画に宛てるつもりなので、本編未読の方にもお楽しみいただけるよう書いたつもりです。
外部から入ってきた子を主役にすれば分かりやすいかなあと思って。いずれにしてもこの頃の話はおまけで書けたらなあと思っていたし、ついでに、どうしても「戦国恋話」は少年主人公になりがちなので、女の子視点から書きたいなあと思って。
本編を先に読んでくださった方は、顛末がお分かりでしょうから、こんな感じだったのか〜としみじみ読んでいただければ……うれしいなあ〜。
ちなみにこの頃の紅巴は、本編から2年ほど前のことになりますので(正確にはこの話の翌年の冬が、冒頭の戦のシーンですが)、まだちょっと幼くなるように〜と思って書きましたです。それにしても女の子の目から書いていたのですが、紅巴兄さんはちょっと薄情者な感じかなあと思っちゃいました。……書いている途中でそう思ってしまったので、そう見えないように、と思ってがんばったのですが。
それから、ものすごく余談なんですが、この「戦国恋話」からみの作品のキャラの名前には、色の名前が含まれてます。山吹姫は、山吹色ですね。こうして考えてみると、植物の名前が色の名前になっていることが多いんですよねえ……。女性は、気がついたらみんな植物の色になってました(ちなみに私は幼い頃、やまぶきいろを「やまぶ 黄色」だと思ってた。やまぶってなんだよ)。
……あーなんだか、どうでも良いつまらないあとがきになってしまいましたね;

長くなっちゃったから、企画に送るかどうかはまだ検討。とりあえず先にアップしちゃう。

最後までお読みいただきありがとうございました。