追いかけるうちに、にぎやかな街はすぐにとぎれ、都雅は静かな住宅街へと進んでいた。そして地面の印は、その住宅街をもとぎれた場所へと彼女を導いた。ここは、確か高校生がバラバラになって転がっていたと言う場所ではなかっただろうか。 ゆるやかな傾斜を描く河原には、雑草が茂っている。その先に丸い石がごろごろと転がり、さらに暗い色の水が、月の光を照らしてひそかに流れていた。 雑草の中に、大きな木があった。木陰にうずくまる大きな影を見つけて、少女はガードレールを乗り越え、河原へ侵入して行く。静かな空間に、草を踏みしめる乾いた音が、やけに大きく響く。傾斜を降りていくと、『下賤の鬼』の影に、人の姿があった。 「現れたか」 都雅が自分に気づいたのを見てとって、相手が歌うように言った。ひそめる気のない場違いに楽しげな声が、足音などとは比べものにならないくらいに、川面に響いて返ってくる。低い男の声だった。 都雅は、かけられた声などまったく気にした様子もなく、草を踏みしめてさらに近づいていく。相手の様子をうかがえる程度に近づき、足を止めて見てみると、男は肩を壊された『下賤の鬼』をいたわるように、なだめるように撫でていた。 暗い夜の闇に潜んで、明らかに今人を襲い、自らも痛手を受けた醜い生き物は奇妙にどこか悲しげで、うなだれた犬のようだった。見た目は明らかに人間の男である相手に、素直にされるままになっているのは、奇妙な光景だと考えていいのだろうか。こういう状況は、普通の術者ならどう捕えるのだろうか。それに榊の言っていたことが、引っかかるには引っかかる。魔族は力が強いほど人に似るという。あれは人の姿に見えるが、化け物のたぐいなのだろうか。人なのだろうか、 少し悩みはしたが、この事件に関しても、術者としても、基本的なところでの情報が明らかに足りないので、都雅はすぐに考えるのを放棄した。自分の直感でやるしかない。 どう見たって、そこにいる生き物ふたつは、敵だ。それだけ分かればいい。 「なんだ、子どもじゃないか。すっかり、術者が来るものと思ったのに。騒ぎを聞いて追いかけてきたのかな。好奇心は命取りだねえ」 少し残念そうに、けれども最後にはおかしそうに男が言っている。少しムッとしたが都雅はとりあわなかった。無言で様子をうかがっている。 普通の野次馬ならここで騒ぎ立てるところを、ただ黙って彼らを見ている彼女を興味深げに眺めながら、男は何かが聞こえたような仕草をして、『下賤の鬼』の方へ顔を向け、それから感心したような声を出した。 「おや、あれが昼間理子を怪我させた子どもなのかい? この傷も、あれが犯人か」 まるで誰かと会話をしているかのようだった。まるで、化け物と話が通じているかのようだ。これが術者として見てどういう光景なのか、通常良くあることなのか、それとも異常な光景なのか、やはり都雅には分からない。彼女からみれば奇妙だ、それだけでいい。 「わざわざこの場所に殺されに来てくれるとはね。里美もよくやった。あと少しだったんだ。どうせ血と肉で空気を汚すなら現場がいいにこした事はないし、術者なら尚更大歓迎だからね」 「ぐちゃぐちゃうるせーな」 滔々と語る男に、都雅は小さくつぶやく。何やら自慢げにご口舌だが、聞いてやる気はまったくなかった。 両手は脇にたらして無防備な格好のまま、不機嫌に眉をしかめ、追って来た『下賤の鬼』を睨みつける。 ただ強く息を吸って、気を溜めるように一瞬、止める。 途端、何かを察したらしい『下賤の鬼』が起き上がった。 都雅の方へ突き進んでくる。おぞましく、大人よりも余程大きな姿かたちは間違いなく異形の姿で、それが迫り来る光景は、十分に恐ろしく禍々しいものだったが。 「来るな」 都雅はひるむことなく、相手を真っ向から視界に捕えながら、つぶやいた。だが、相手が止まる気配はない。 『万物に命ずる』とは言え、やはり、意志あるものには通用しにくい。意志の力で競り勝たなくてはならない。多分それは、熟練した術者でも難しいに違いない。 考えている間にも、化け物は彼女の方へ突進して来る。そもそも、十分な距離はなかった。都雅の足で十歩ほど、あの鬼の勢いなら、その半分もかからないだろう。草が鳴る。風が唸っている。 だが、都雅は慌てなかった。 目前に大きな影が迫り、攻撃のために拳を振り上げても、その威力を知っていても、恐れなかった。 動揺したら終わりだと分かっている。自分の技は意志の力だ。少しでもひるんだら終わりだ。慌てない。方法はある。 下す相手を変えて、叫ぶ。 「止めろ!」 眼前で、『下賤の鬼』が振り上げた拳が止まった。鬼が突進して来た勢いで、風がふわりと少女の前髪を浮かせる。 一つ一つが鋭い刃のような爪の生えた手が、焦点もあわないくらい間近にあった。 都雅はそれを睨みつけ、続けて命じる。 「持っていけ」 その言葉は、目に見えない相手に。――風に。 一瞬の間を置いて、彼女の目の前から化け物がさがった。ほんの少し地面から浮いたそれは、まっすぐそのまま、勢いよく男の方へ戻って行く。男の横をすり抜けて、そこへあった木にぶつかった。大きな音が辺りに響く。 「押さえてろ」 そのまま相手を押さえつけておくよう、さらに命じる。容赦なくのしかかる力に、『下賤の鬼』は抵抗して逃れようと身動きしようとしているようだったが、木が大きく揺れるだけで、それは徒労に終わっていた。 小さく、息を吐く。 相手に意志がないとは言え、命じることはそれなりに気力を使う。そもそも命じられる立場にないものへ命じるのだから。 自分の力がある程度融通がきくらしいことは分かったが、これではあまり多用はできない。 「お前」 そんな都雅に、自分のそばでもがく化け物に目を向けず、いぶかしげに男がうなった。 「今、力試しをしなかったか?」 信じられないとでも言いたげに、少女をうかがい見た。 都雅の様子はまるで、相手の出方を見ようとするようだった。けれどもそれより、自分の力がどの程度通用するのか、どの程度の結果を起こすことができるのか、測ったように見えたのだろう。 不審そうだった。けれどもそれ以上に、気に入らない、という態度がありありと表れていた。当然だ。あなどられたようなものだったから。 そんな相手にも、都雅はまったくひるむ様子がない。 「さあ?」 少女は、任務について始めて、笑った。作ったような笑顔で、そのくせ楽しげに。 ――問われるまでもない。 測ったのだ。 |
まえ。 つぎ。 |