男は、上半身を吹き飛ばされた魔族の横で、膝をついて呆然としていた。 驚いたのは、都雅も同じだ。あまりに派手な光と音と榊の攻撃に――と言うよりは、予備知識と違う行動をされて。 「攻撃は苦手とか言ってなかったか」 「それは町中での話。あたし大技しかつかえないから、こういう開けた場所なら、むしろ大歓迎よ。さっきはすごく気を遣ったんだから」 榊はこともなげに答える。それから、男を抑えるつもりなのか、魔族にとどめを刺すつもりなのか、歩き出そうとした。 けれども。 「ぼくの血と肉で、甦ってあいつらを血祭りにあげてくれ。世界を混沌に染めるんだ、君の手で」 うつむいていた男は、うっとりと浸りきった顔で、隠し持っていたナイフを取り出した。 考えるまでもなく、彼が何をしようとしているのか、分かる。化け物は、血と肉を好むもの。それは、魔道に明るくない者だって、ほとんど無意識に知っていることだ。そもそも男は、そのためだけに、虐殺を続けていたのだから。最後の対象が自分に向かっただけだろう。 馬鹿の境地だ、と都雅は思う。 両手でナイフをささげ持つようにして、暗い夜空を見上げた男は、今にもその切っ先を自分の胸につきたてようとしていた。 「ったく、ふざけたことしてんじゃないわよっ」 憤慨しきった声で、榊がつぶやく。すぐに田川の方を見た。結界でどうにかするよう言うつもりだったのだろう。 けれども、榊より、他の誰より、都雅の方が早かった。 「砕けて消えよ」 高く幼さの残る声を低く抑えて、つぶやかれた呪文。 物憂げながら容赦なく、吐き出された破壊の言葉。 今夜すでに幾度目か。轟音を響かせて、空間が爆発した。 正確には、男がささげ持ったナイフが。 爆風のあおりを食って少しよろけた三人だったが、もちろん爆発地点の至近距離にいた魔族がそれだけですむわけはなかった。もともと砕けかけていた体が、あとかたもなく吹き飛んだ。 そして当然ながら、ナイフを持っていた男も、無事ですむはずがない。 「ちょっと……」 ようやく吐き出した、というような弱々しい声が、緊張と共に気まずく降りていた沈黙を破る。 榊が向ける目線の先、風にあおられる木の葉のように吹き飛ばされて、背中から着地した男がいた。河原に転がる石の上だ、それだけでもさぞ痛いだろう、と田川は自分が痛いような顔をしている。当然、男が受けた被害はそれだけではない。腕は焼けただれたようになっていたし、外傷は見えなくても、体中の骨がどうにかなっていて不思議ではない。運が悪ければ内蔵破裂などもあり得る。夜目に見ても、どろどろに汚れているのは、何も魔族の血をかぶったからだけではないはずだ。ぐったりとして動かなかった。 あれだけ憤慨していた榊も、都雅の思いもよらない行動に唖然として、男の生死を確かめに行く気になれないらしいので、慌てて田川が駆け寄って様子を見に行く。しゃがみこむと、恐る恐る男の口元に手をかざし、首筋に手をあてて脈をはかる。それからほっとしたように声を上げた。 「榊さん、早く治してあげてくださいよ。これはちょっとあんまりですよ。放っておいたら間違いなく死んでしまいます」 止まってしまっていた榊だったが、田川に声をかけられたことで、そのことに気がついたようだった。呆けている場合ではない。 「治すですって?」 だが、彼女の口から出た声と言葉は、険を帯びているどころか、敵意丸出しで棘だらけだった。ハッとしたついでに、苛立ちも思い出したようだ。 「冗談じゃないわよ、あたしだって、怪我させられたんだから。女性の脚をなんだと思ってるのよ。だいたい癒しってのは、半端じゃなく力を使うっていうのに、どうしてそんなやつにしてやんなきゃなんないの」 心底嫌そうに言い返すと、榊は都雅が倒しかけた木の方を見る。 「ったく、かわいそうなことしてるわね。戻してあげて」 榊の声に応えて、地面が動き出した。危うい姿勢を保っていた木を押し戻すと、するすると土が根を取り巻き、元のように自分たちの中に迎え入れた。木を直してあげる気は起きても、犯人の重症を手当てしてやる気にはならないらしい。 幾分か地面をえぐれられてしまった河原も、ようやく夜の色だけは取り戻すことができたようだった。静寂は、まだ帰ってこない。これから警察が駆けつけるから、しばらくは無理だろう。 田川も、遠慮がちに静寂を破りながら、懸命に榊に訴え続けている。 「でも榊さん、神舞さんは多分、力加減とかコントロールとかきかなくてやっちゃんたんでしょうけど、このままじゃ、人殺しになってしまいますよ。一応、ぼくたちは監督官なんですし」 「なに言ってんのよ、人殺しはそいつでしょ」 「いやでも、だからって……」 「あのね、そいつは、いったいどれだけの人間死なせたと思ってるの。子どもまで死んでるのよ。被害者の親はきっと、犯人を殺してやりたいとか思ってるわよ。いい気味じゃないの」 「さ、榊さん。あの……」 焦るというよりは怯えだした田川に、榊は大げさにため息をついた。 「冗談よ。本当に見殺しにするわけないでしょ。警察が来たら、とりあえず取調べが受けられる程度には癒してあげるわよ。それまでは、自分のしたことをじっくり反省しながら、そこに倒れてればいいでしょ。自業自得だわ。あたしだって、痛い思いさせられたんだからね」 それでも、ちゃんと癒してやるつもりはないようだった。どんな怪我だって完治させられる能力があるくせに。 冗談か、本気か、分からないが。 女の人って、恐い。 「何よ」 怯えて田川が口をつぐむと、何かを察したかのように、榊が目を向けてくる。慌てて、なんでもありません、と早口に応えた田川だったが、榊はため息混じりにつぶやいた。 「あたしより、あの子の方が問題よ」 彼らの近くで、はじめバス停で会ったばかりの頃のように、無表情で立ち尽くしている、都雅の方を見て。 「あんた。わざとあそこ狙ったわね」 しかも榊が教えた呪文を、わざとあのときに使うなんて。 声をかけられた少女は、気だるげに榊の方へ首を向けた。疲れているのかと一瞬思い、それも当然だろうとも思ったが、すぐに榊は自分でそれを打ち消した。多分あの面倒くさそうな動きは、少女の普段の動作なのだろう。 その証拠に、少女は今までと何ら変わらない調子でつぶやいた。自分が引き起こした事態に対しての動揺も見られない。 「さあな」 「末恐ろしい子だわ」 どこかげんなりとした顔でつぶやく。榊は肩をすくめてから都雅を後ろに残して、倒れている男の方へ歩き出した。パトカーのサイレンが聞こえだしたからだろう。 「たったあれだけの情報で、呪文を使いこなすなんて、とんでもないわ。あたしは合格点出してあげる。まあせいぜいがんばりなさいよ」 捨て台詞のように背中ごしに言ってくる。 だがそんな彼女に、再び慌てた田川の声が大きくあがる。 「あ、榊さん、神舞さんも癒してあげてくださいよっ。あーもうどうして神舞さん自分で言わないんですか」 「忘れてた」 「忘れてたって……そんなわけないでしょう、痛くないんですか?」 「さあ」 夜風に吹かれながら少女は、つまらなそうにつぶやく。それはまるで自分のことに無頓着なように見えた。だからこそ、得体の知れない相手を一人で追う事ができたのだろうし、田川と出会った昼の出来事だって、平然と化け物を追い返すことができたのだろう。だが、無謀なだけの心では、世界は彼女には従ってくれない。桁外れの強い意志がなければ。 半ば呆れ、半ば感心して田川が黙り込むと、もう話は終わったものと決めつけ、少女は完全に彼を自分の世界から遮断したようだった。 無愛想で、どこかなげやりな少女は、ポケットに両手をつっこんで、気だるそうに立っている。ガードレールの向こうの道路が赤い光にあふれていくのを見ながら、始めに、田川と出会ったときと同じように。たった一人きりで。 これ以上話す気などないのが表れた少女の態度に、田川は、大きく息を吐いた。都雅の怪我のことが後で榊にばれたら、自分も都雅もたいそう怒られるだろうと思うと気が重い。 やれやれ、とつぶやきながら、田川は警察を迎えるために立ち上がる。ブレーキの音と慌しい声が聞こえだして、ふたたび河原は慌しい空気に包まれ始めた。男の方は榊にまかせて、田川は道の方に向かって歩き出した。 後ろで、立ち尽くしたままの少女は、こっそりと吐息を吐く。腕は痛むし、ひどく疲れている。けれど都雅は、唇をつりあげて笑う。 やはりやってみないと分からない。 自分の力の使い所、うまい使い方、御し方。今まで誰も教えてくれなかったことだった。この短い時間で得たことは多い。そして使うための場所、生きていくための糧を得る場所を、何とか、とりあえず手に入れた。十分に通用する。渡り合っていける。 大丈夫だ、やっていける。 ひっそりと満足げに笑う。 その表情は、榊が見れば仰天するに間違いはない、小生意気な少女を無邪気に見せるには十分な笑顔だった。 おわり
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まえ。 |
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最後までおつきあいいただきありがとうございました! 本当は、榊が大学生の間に都雅が高校2年生くらいでなければならなかったりするので、年齢設定がちょっと本当は榊も今作だと高校生のはずなんですが、間違って、このころ20歳くらいの感じで書いてしまいました。……まあいいや。 「口に出さないけど都雅がひそかに尊敬している一人リスト」の中に入っているひとりです。榊さん。 ほうっておけない性格なので、この後も、色々と面倒見てくれたことでしょうね。 |