まがことのは




第十章











 光と暴風がおさまった空間を見ながら、今度こそ都雅はしばし呆けていた。
 さえぎるものが無い場所で、月明かりは満天の星の光とともに静かに地上へ降り注いでいる。冬の空気は刺すようだったが、あたりまえにある自然の美しさの一つだと思えば、さほどの痛みにもならない。何者にも阻まれず流れて行く風が心地良かった。
「癒せる?」
 そんな彼女に、駆けつけてきて、声をかけたのは崇子だった。そっと気遣わしげに言う。
 その声に都雅は彼女の方を振り返った。遠慮していると言うよりは少し怯えているように見える崇子だが、都雅は彼女に言ったきついことを謝るつもりなど毛頭なかった。自分の意志を曲げるつもりがない以上、謝る必要などないと思っているし、正しいことなのだからやはり謝る理由などないと思っている。そのあたりが彼女の人付き合いが下手な原因でもあったが。
 振り返ったついでにまわりの人たちを見まわした。猫に戻った菊は、隣りに同級生を横たえた美佐子の膝に抱かれて頭をなでてもらっている。何となく憎らしくなって蹴り飛ばしたい衝動にかられたが、とりあえず抑えることにした。
「あたしは回復魔法って得意じゃないんだ。こんなものそのうち自己治癒能力とやらでどうにかなる」
 いつものことだという態度の都雅に、崇子は心底呆れた顔をした。
「それでよく、あれだけ無謀な戦い方が出来るものね。あきれた。もう少し自分を大切にしなさい」
「している」
「言われなくても知ってるだろうけど、魔道の得手不得手は本人の気質に関係あるのよ。癒しが得意でないってことは、自棄な人間ってことでしょ。攻撃魔法が大得意なんだから、遠慮も呵責もない自暴自棄な攻撃型の人間ね。破壊魔って言われても仕方ないわ」
 都雅のかわりに癒しの技を使いながら、崇子は言った。普通の攻撃魔法よりも癒しの力は、生きているものに働きかけるのだから、簡単な技ではない。それでも都雅の場合はあれだけ強い魔法が連続で使えるのだから、やはり一概にそのせいとは言えない。
「うるさいな」
「でもあなた、信じられないけどお人好しよね」
「……阿呆言うな」
 崇子がまだ何か言いたそうだったが、少し離れたところから脳天気な声が聞こえた。
「あーっ。いいなー、若い子の膝枕」
 都雅は呆れたような声を返す。
「爺臭い奴だな」
「うーわあ、蓮ちゃん以外の人に久しぶりに言われましたよ」
 人の姿に戻っていた奏は多少ぎこちない動きではあるものの、雅牙を抱えてすたすたと歩いて来ていた。それに気づいて崇子が不安げに言う。
「大丈夫なんですか?」
「だから俺、頑丈なんだって。怪我の治りもちょっと個性的なくらいに早いんだ」
 雅牙をおろすと、折れていたはずの腕の手をひらひらと振って見せた。個性で終わらせられる早さではないが、彼は大らかすぎる性格で、簡単に片づけてしまった。
 その頃には崇子も都雅の怪我を癒し終えていた。添え木をあてていた腕も完全に治ったようで、都雅は腕を動かしながら密かに少しだけ感動している。さすがにこれには礼を言うと、崇子は嬉しそうに笑った。
「わしは猫じゃ。猫には人の膝に乗る特権があるのじゃ。残念ながら鬼にはないがのう」
 美佐子の膝の上で菊は得意げに言う。
「なんだよケチー。ハゲー」
「ハゲ言うな」
 牙をむき出すようにして菊は抗議する。どうやら「イーッ」とやりたかったようだ。
「だいたい何、最初っから思ってたけど、随分爺クサイ奴だな。かわいくなーい」
 蓮が高飛車に言う。その言葉にと言うより声の調子に腹がたったようで、菊はムキになって言った。
「長寿で何が悪い。わしは、天保の生まれじゃ。年寄りはいたわるべきじゃ」
「へえ、百歳越えてるじゃねーか。見かけに寄らず年寄りだなあ。お前さんも随分若作りしちゃって」
 ぷぷぷ、とおかしそうに奏は言う。さらに気を悪くしたようで、菊は問い返した。
「そう言うお主はいつの生まれじゃ」
「俺? ……いつだっけ?」
 ふざけている、のではない。奏は真剣に考えてから蓮を振り返るが、無視をされて、少し傷ついた顔をして再び考え出した。会話の成りゆきを見守っていた崇子も、この話題には少し興味があったので聞き入っている。美佐子は始めから口をはさむ余地をなくしているし、都雅はどうでもいいという顔ですたすたと雅牙の方に行ってしまった。
 そして年を答えるにはあまりに長すぎる間を開けてから、奏はやっと答える。
「ああ、確か今で言う「応仁の乱」とかいう奴が起きてた頃が鬼になった年だから、うん、その頃だと思ってくれ。それで、蓮ちゃんに会ったのがその五十年ばかし後だったな」
「…………応仁の乱?」
 美佐子が珍しく素っ頓狂な声をあげる。
「そうそう。だから、協会には戸籍のこととかでちょっと世話になってて」
 協力者として彼らが協会からの頼みを断りきれない理由。だけど、本当に嫌ならそんなもの簡単に蹴飛ばせるものだろう。彼らは、ただそれを好まないというだけで。崇子は奏の言う歴史が、「昔のこと」ということは分かったものの、正確にどれくらいか分からなかったので不思議そうな顔で聞いた。
「正確には、いつくらい?」
「はい、学生さん。答えてみよう」
 奏が突然振ったので、美佐子は戸惑った。動転して答えが出てこない。
「一四六七年、応仁の乱勃発。軽く五百歳超えてるな」
 遠くから都雅が、しらっと答える。それを受けて菊は、翠の目を細めて半眼で奏を見上げた。
「お主に若作りとか言われたくないぞ」
「それは何、つまりこのぼくが、ジジクサイっていうわけ? ――ったく、人の年までバラしやがってっ」
 最後は奏に向かっての悪態だったが、蓮は偉そうに腰に手をあてて猫に詰め寄った。
「清く正しく美しいぼくのどこがジジイに見えるって?」
「蓮ちゃん、美しいとはともかく、清く正しいとはあんまり思えないなあ。奏君びっくり」
「何言ってんの。ぼくが正しくなくてこの世の何が正しいのさ。この世で一番正しいのはこのぼく。分かってる?」
「ああ、はいはい。分かってますよ蓮ちゃん」
 都雅はまだ何か言い合っている彼ら無視をして雅牙の脇にしゃがみ込むと、表情を動かしもせずに聞いた。
「大丈夫か」
 どこか呆然として座り込んでいた雅牙は、目の前の姉に問われて、かくんとうなずく。
 どう見たって平気ではないのだが。魔族に力を搾り取られていて、平気なわけがない。だけど、彼は言わなかった。そんな雅牙を見て、ため息をつきながら都雅は言う。
「家の前まで送って行ってやる。何か聞かれたら、何にも覚えてないって言えよ」
「でも、お姉ちゃんが助けてくれたのに。お母さんに言えば、もしかしたら」
「お前の力のことまでばれるかも知れない。それだけは何がなんでも隠し通せ。だから、関係あるようなことは黙っている方がいい」
「でも……」
 納得行かない様子で雅牙が言い返そうとするのを封じて、都雅は続ける。
「いいから。言うことを聞いておけば間違いない。もしまだあたしに会いたいんだったら、たまには遊びに来ればいいから。母さんに文句は言わせないし」
「本当っ?」
 あまりに嬉しそうに雅牙が目を輝かせて言うので、都雅は面食らってしまった。少し驚いて目を見開いたところで、唇が笑みの形をとろうと懸命になる。彼女は少し照れながらも、困ったような顔で言った。
「家の方には……まあ、あたしもたまには、行ってやるし」
 その言葉には、雅牙は先刻のように飛びつくような反応は見せなかった。少し驚いて。それから、笑みを浮かべる。彼も都雅がそれを言うのにどれだけ勇気が要ったか、多少なりとも分かっているから。
「うん、その時にはぼくがお姉ちゃんを守るから」
 しっかりと言った。新藤家で母親と鉢合わせたときのように、都雅があんなに萎縮しないでいられるように、守るからと。あまりに自信たっぷりに雅牙が言うので、都雅は今度こそちゃんと笑った。
「ああ、そうだな」
 守られてばかりだと思っていた弟に言われて、少し驚いた。優しいばかりの子じゃなかったなと思うと、もしかしたらあたしに似てきてるんじゃないかと思って少しあせった。
 それはやっぱり、男の子でも勧められるコトじゃないと、自分で思う。思ってから少し自嘲してしまった。それから都雅は立ち上がって、顔をあげる。
 魔族にとりつかれていた少女を抱えあげた奏と、隣りに仁王立ちする蓮と、まだぎゃあぎゃあと言い合っている菊をおいて、都雅たちの方に美佐子が歩いて来ている。
「雅牙くん?」
 彼女はいつもとかわらない笑みで、問いかけてきた。あれだけの攻防を目前にしていながら、自身も命を狙われる危険に冒されたにも関わらず、いつも通りでいられる彼女を見て、これはある意味図太いのかもしれないと都雅は思ってしまう。いい意味での図太さなんてものもあるのだったら、美佐子の場合は間違いなくそれだ。
「弟だ。小学五年……だったよな」
「うん。――はじめまして。神舞雅牙です。姉がいつもお世話になっています」
 都雅の横に並んで立った雅牙はきちんと姿勢を正して、綺麗な角度でお辞儀をして見せた。子供らしからぬその言葉に思わず美佐子は笑い、都雅は片眉だけ上げて困ったような顔をしてしまう。
 雅牙と話し始めた美佐子を見て、都雅は声をかけるのにためらってしまった。目をそらして、ぼろぼろになってしまったマントを残念そうに見てから、気を取り直して再び顔をあげる。
 ――月の光は、変わらず降り注いでいる。あの日と同じように。冷たい風も、凪いでいる。
「あのさあ……」
「うん?」
 美佐子は振り返って笑う。自然な笑みで笑う。事件にあう数日前となんら変わらない笑顔で。それがなんだか、都雅には不思議だった。
 冒険譚ではないのだ、行く手を阻んでいた敵を倒したからと言って突然何かが変わる事はない。急激に世界が変わるわけではない。帰れば母親は相変わらずだろうし、祖母だって相変わらずに人をこき使ってくれるに違いない。そして革新的に、自分自身が変われるわけでもない。やはり先を見通すことは恐いし、自信が無い。けれども。
 笑いかけてくれる人がいる。
 けなして突き放す人がいれば、笑って受け止めてくれる人がいる。――そんなものだろう、人生なんて。
 例えこんな力を持っていなくたって、誰だってそんなものなのだろう。力を持っていたから、少しだけそれが強調されていたと言うだけのこと。卑屈になる理由には、あまりならない。
 美佐子の笑みを見て、それから気がつけば何だか自分も笑ってみたりなどしていた。言い難そうに、少し照れた様子で都雅は言う。
「高校行くとか言ってた話だけど」
 美佐子はそれを聞いて、笑みを深めた。けれどそっと、先刻と同じように応える。
「うん」
 先をうながすような声に、都雅は深呼吸のように息を飲み込む。
 そして、空気と一緒に言葉を吐き出すために、唇を開いた。












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