第四章 火の島の巫女



 花焔と赫奪は閉じ込められた暗い小屋の中で一晩をすごしていた。花焔は目張りをされた窓の隙間から、朝の陽の光がさしこむのを見ていた。都では祭り準備にかかる頃だろう。本来なら今頃は、神々の祝賀を受けているところだ。花焔は本当に寂しいと思う。何より、新年の祭りに賑わっているはずのこの郷が、これだけ沈黙と恐怖に支配されているのが。
 そこに兵が突然やって来て、ふたりを連れ出した。
 連れて行かれたのは、焼け残ったうち一番立派な館だった。門番のように兵が二人ひかえた簡素な門を通り、冬枯れてひっそりと静まった庭の中を進んでいく。それは何故かまた花焔を蕭然しょうぜんとした気持ちにさせた。それはきっと、花々を持たない冬の庭のせいだけではない。郷に満ちた異界のような空気が、ここだけに浸食していなかった。門でへだてられたこちらには、日常そのままの光景が残っている。ここだけ取り残されている。
 庭を横切り、建物へ入り、彼らは更に奥へと連れていかれた。首長が会合などに使っていたのであろうと思われる、広い部屋だ。
「巫女姫、連れてきました」
 入り口で兵は膝をつき、頭を下げる。決して中には入ろうとしなかった。
「ご苦労。二人をこれへ。お主は下がって良いぞ」
 そう言った勝ち気な声は若かった。部屋の奥、窓からわずかな陽の光のさす中に、胡座する少女がいた。香図音と同じ年頃のように見受けられる。日に焼けた健康そうな肌も相まって、華美な印象をあたえる顔立ちをしていた。白い衣に、青銀と群青の染色をほどこされた清楚な衣をまとって、首には赤珊瑚の勾玉と真珠の玉を連ねた御統みすまるをさげている。
 立ちつくしていた花焔たちは、兵に背を押された勢いで前に進み出て、そのまま歩き出した。赫奪がムッとした顔で兵を振り返ったが、それだけだったので花焔は少しほっとした。花焔が何度か止めたので、抑えてくれているようだ。兵はふたりの後ろで深く頭を下げ、踵を返して去って行く。いくら花焔たちが子供に見えるとは言え、貴人らしき少女のみ残していくには、無防備に思えた。
「巫女か」
 少女の前に足を止め、立ったまま花焔が問うと、巫女姫は頓着せずに応えた。
「いかにも」
「戦の長が、将軍ではなく、巫女なのか」
「なぜわたしが長だと?」
「ここは、首長おびとの館か何かだろう。このようなところに、堂々と座っているのならば、そう思うしかない」
 そうでもなければ、兵があのように命令に従う理由もわからない。
 昨日から出会った武張った男たちに比べても、少女はひときわ強い気配を放っているように思える。瑞々みずみずしい、力強い生気と屈することのない意志が感じられる。宮の巫女の血筋にも勝るとも劣らない霊力も感じる。清々しい風の子である香図音とはまるで気質が違うのに、似通って感じられた。
 巫女姫は、応えるかわりに、あっけらかんと笑った。
「お前たちは、水の宮の使者か。妖魔討伐要請の報をこの郷が出していたとはな」
 片膝を立てたところに肘を乗せ、頬杖を突いたその態度は、まるで気にしていない様子だった。明らかな余裕がある。
「どうして俺たちが都の者だと?」
 花焔の問いに、巫女姫は簡単に手の内を見せる。
「我らの兵が、水の宮の使者と名乗る者に会うて、誠に情けないことに、木に縛り付けられているのを今朝方見つけてね」
 ということは、流はやはり無事なのだ。
「お前たちはなにゆえ、力を使って逃げようとしない。妖魔討伐に派遣されるほどであれば、我らを追い払うのもお手のものであろうが」
「残念ながら、俺たちはただの見習いで従者だ」
「自分たちがここにいるのはまったくの偶然だというのか。都はどこまで嗅ぎつけている。我らのことを、都は知っているのか」
 巫女姫が彼らを呼びだしたのは、これか。赫奪が面倒くさそうに応える。
「そんなの知るか。オレたちは妖魔討伐に来たんだとお前が言ったんじゃねえか」
「それに乗じて調査の者を送り込むくらい、造作もないことだろう」
 彼女の問う内容が意外にも鋭くて、花焔は少しばかり驚いた。彼女の言うことは確実に花焔たちの立場を示してる。だが、花焔は嘘をつき通した。
「だから、そんなこと知らない。都が知っているかどうかも知らなけりゃ、あんたたちがこんなとこにいるのも知らなかった。下っ端にそんなこと知らされるわけないだろう。そんなことで疑われるのは迷惑というものだ」
 ――それよりも。
「俺たちがここに来た理由を知っていながら、よくもそんなに平然としていられるな」
「妖魔か? 我らが妖魔を恐れる程度で、このようなことを引き起こすと思うか。我々には御加護がある」
 薄く笑みを顔にはいて、巫女姫は見下したように問う。それは確かに、彼女の言う通りだった。妖魔がこの頃頻繁に出るのは皆が知るところだ。最初に兵たちがやって来た時も、妖魔の騒ぎの最中だったと言っていた。それを恐れていては、このようなところに侵略など出来ない。
「では、土地神は?」
「土地神の消滅も存じ上げなかったのか、都は」
 思わせぶりな巫女姫の言葉に花焔は戦慄した。これには、赫奪も抑えられなかったようだ。抑えようとも思わなかっただろう。
「消滅って――お前ら、まさか!」
 赫奪のまわりの空気がぞわりと動いた。空気が熱を持ったような妙な感覚。同じようにたがを外しそうになった花焔は、隣から伝わる熱に、自分より一拍早く理性を吹き飛ばしてしまった赫奪に、はっとした。赫奪を抑えるように彼女の手首をつかみ、巫女に言う。
「殺したというのか」
 巫女が、神殺しを平然と口にするとは。
 ――どうやって。巫女とは言え人間が、神に対抗できるとは思えない。それも、土地神というのはそれぞれの土地にいるもの。新たな土地に侵入するたびにその土地の神に対抗しなければならないのだから、相当なものだ。
 しかしそれよりも、そんなことよりも。誰よりも神を、神の力を、それが国や自然に与える力を理解しているはずの者が、神殺しを口にするとは。それをしようとするとは。
 ――そういうことなのか。
 神が死に、土地が死に、そして妖魔が蹂躙している。人の害意の塊のような、あの醜いものが。西から国を侵食している。 生命の善なるものの象徴たる清生が、日々頼りなく悲しげに見えるのはそのせいなのか。
「土地神の死んだ土地は、痩せてしまう。分かっていてやったのか」
「分かっているとも。だが邪魔などされては面倒だ」
「何をやっているか、本当に分かっているのか。お前の仕える神を、殺せるのか」
 頼りにし、願い、心の支えと祈ってきた神を。
「考えたこともない」
 平然と巫女姫はいう。――それを、他の者が頼りにしてきた相手を奪っておきながら。
「おい、花焔。帰るぞ」
 赫奪は突然言い出した。そのまま踵を返してしまいそうな勢いだった。この場から姿を消して都へ帰ってしまいそうな。
「いや待て、まだ早い」
「どうして!」
 掴んだままだった手首を強く握って止めた花焔に、赫奪は噛みつくように言う。汚れていても美しい少女の目は、相手が人ならば睨み殺してしまいそうだった。
 やはり、と花焔は思う。短気すぎないか。これだけのことに怒るのは分かる。抑えろと言うのが無理なものだ。だが、あまりにもその怒りかたが尋常でない。握った手首から伝わる波動が、熱い。
 赫奪の性質は分かっている。奪う炎。怒りをもって破壊する炎を象徴する、火の魔物。太陽による災害をも表す。彼女は矜持の高い魔物たちの中でも特に、烈火な性格だった。
 けれど、いくらなんでもこんなに簡単に、それも尋常でない怒り方を見境なしにはしなかった。
 これも異変の産物だと、認めざるを得なかった。花焔が吐き気を覚えたように。この恨みの土地に、けぶる様に満ちた強い憎悪にあてられて、調子を崩したように。赫奪もまた影響を受けていたのだ。同じものを受けて花焔が調子を乱すなら、赫奪は気を荒くしてしまう。大気に満ちた怒りに誘われてしまうのだ。
 いちいち揺さぶられる自分たちが悲しい。
 ――どうして、こんなことをしたがる。
 こんなに気持ちのいいものではないのに。わざわざそれを好んで引き起こそうとする人間が、分からなかった。どうしてこの大気の怒りを、淀みを感じられない。
 この地に住まう一員なのに。こんなにも……悲しいのに。
 花焔は巫女姫を見て、低く抑えた声で言う。
「お前たちは、どこから来た。目的はなんだ。何故、同胞を侵略するんだ」
 巫女姫はどこか誇らしげに笑みを浮かべ、御統をさげた胸をそらし、強い瞳で花焔たちを見上げた。


 突然どこかで大きな音がして、花焔も赫奪もハッとして音の方を見る。巫女の話に気を取られていて、分からなかった。壁を睨むように見るが、何が起きているのか人の身では分からない。
「――妖魔か!?」
 赫奪の声にかぶさって、叫び声が聞こえた。悲鳴とは違う、鬨の声のようだ。それを聞きながら巫女姫は悠然としていた。目の前の彼らの動揺を楽しげに見ている。あふれる自信は挫ける様子がない。
「お前のとこの兵が襲われているんじゃないのか、助けに行かなくていいのか」
 赫奪は花焔の手を振りほどき、笑みがひきつってしまったような顔で巫女姫を見る。
「おや、気にかけてくださるのか? お優しいことだな」
 巫女の明らかな皮肉に、花焔の唇がゆがんだ。こうしている間にも、遠くかすかに血の臭いが強まっていくのを感じる。そして怒りと、恐慌――――?
 遠く聞こえていた声が、戦めいたものからただの悲鳴に変わる。泰然としていた巫女すらも不審の表情になった。聞こえていた声も、悲鳴と言えるようなものではなくなっている。心の底からの、身を引きちぎるような恐怖。
「なんだ、一体どうした」
 怒りを含めた赫奪の声に、花焔は悲鳴のする方を睨みつける。何が見えるというわけではないのに、思わずそうしてしまう。随分人間くさいことだ。力を使えば見えるのに、この期に及んで霊力を隠す必要があるのかと悩んで、そうしているうちに騒ぎが近づいてくるのを感じていた。
「どうした、何が起こった!」
 巫女姫が立ち上がり、外に向けて声を上げる。叱りつけるような声に、文字通り転げるようにして兵が駆け込んできた。報告に来たと言うよりは、助けを求めて転がり込んだという方が正しいような慌てようだった。
「大変です、妖魔が……!」
「それは分かっている。なにゆえ、早く倒さない!」
「授かった太刀が効かないのですっ!」
 責める声に、駄々をこねる子どものような調子でその男は言った。怒られたところでどうしようもないのだと。
 何かが彼らの間で、行き違っているようだった。兵の困惑は大きく、兵の様子に、言葉に、堂々としていた巫女姫も狼狽を見せた。神殺しですら平然と口にした少女が。
 眉をひそめて彼らを見た花焔は、再び顔を壁の方へ向ける。きつい、潮の香りを感じた。この海辺の郷は、くすぶる煙の臭いに満ちていた。到着した時ならばともかく、今更、潮の香りなどするわけがない。
「どうか早くお逃げください、こちらに向かって――!」
 巫女に向かって必死に叫んだ兵の言葉は、最後までつむがれなかった。兵の真横の壁が弾け飛び、轟音で声がかき消された。破壊された壁の、木の破片が宙を舞う。
 蜥蜴トカゲのような足が館に踏み込んだ。鱗に覆われてぬめぬめと光って、後ろ脚で立ちあがり、歩いていた。手がもう一度壁を破壊する。長い爪を持ち、異様に大きな手だ。穴のあいた壁から姿を表したそれは、全身を鱗で覆われていた。人の二倍はあろうかというほど大きく、顔が唐突なほどに人の顔の容貌をしている。しかし目があるべきところには、真っ黒な穴があるだけだった。その顔を半分に割る口には牙がずらりと並んでおり、人の腕をくわえていた。腕の断面から、おびただしい血が地面にしたたっている。まさに、この世ならざるもの――
「なんだ、これは」
 赫奪が驚愕と言うよりも怒りの強い声で言った。
「これが妖魔だっていうのか? これは……生き物なのか」
 彼女の言葉は、どこかこの場にふさわしくないようだった。問いの焦点が、微妙にずれている。だが、花焔には言いたいことが分かっていた。
 命あるものかと問われれば、彼ら精霊も魔物も、そうではないと答えなければならないだろう。だがこれは、彼らと同義ではない。ただの悪意の塊だ。人を害す、悪意の。
「なんてことだ……」
 花焔のつぶやいた言葉は、赫奪への応えであり、同時に少し違った。それは妖魔が口からんで呑み込んでしまった腕のこと、全身にあびている人間の血のこと。
 妖魔は、彼らが何かをする間もなく、間近にいた兵が絶叫する間もなく――そうしようとただ口を開けた瞬間、その声ごと頭から口の中におさめていた。その一口で上半身がもぎ取られ、残された身体が血を吹き出しながら倒れる。びちびちと血がはねて、辺りに音をたてて落ちた。花焔は思わず顔を覆う。
 満ちているのは潮の臭いではなく、海の底にとどこおっている淀みの悪臭だと気づく。どこか酸っぱくて血の臭いの混じった、この上のない悪臭だ。
 目の前で起きた殺戮に、圧倒的に無残な力に、巫女姫はただ声もなく妖魔を凝視していた。恐怖はその顔には見えない。彼女は首に下げた御統に触れると、何事かを唱えた。祝詞だろうか。
 しかし何も起きなかった。何かの気配すら彼女の御統から感じられなかった。
「そんな……」
 うめくようにもれた声には、驚愕だけがあった。妖魔など忘れたように、自らの御統を見る。白珠と赤珊瑚の勾玉が連ねられたもの。
「何故、この時になってあれには効かない……」
 ただただ凝然と立ちつくしている。
「バカバカしい。なんだか知らねえが、使いすぎて効力が薄れでもしたんじゃないのか!」
 皮肉とも嘲笑ともつかない声で赫奪が怒鳴る。
 その間にも妖魔は、彼らの方へと歩を進めていた。凶悪な腕を振り上げる。
 だがその妖魔の真上まうえみたちの屋根に何かとてつもなく重いものがぶつかる音がして――それは屋根をいとも簡単に粉にし、妖魔に降ってきた。
 降ってきたのは水の塊だった。清々しい飛沫を撒き散らし、滝のように降り注ぎ、大きな妖魔を地面に押しつぶした。水は、妖魔のどす黒い色の液体をまき散らしてから、妖魔ともども跡形もなく消えた。死した妖魔は、その跡形をのこさない。はじめからいなかったもののように。

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