水の中のさなぎの中の水
塩
重い硝子扉を押しひらくと、緑の匂いがどっとあふれて胸へ飛び込んだ
私はマフラーを解き、コートと耳当てを外して、大きく深呼吸した。急激に温められた体は汗ばむほどで、それでも上着を脱ぐと少しだけ肌が粟立った。でもそれが心地よい。
植物園にあるこの古びた硝子張りの温室は、私のひそかな隠れ家だった。硝子は埃や砂で白く汚れ、真鍮と木で出来た枠もところどころがたついて、人気のない植物園の中でもさらに人がいない。ここへくると、ようやく息が出来る気がする。
雪を雲の瀬戸際でかろうじてとどめている空は重たく、押しつぶされそうなほど凍てついている。それでもかすかに覗く、宝物のような日差しを硝子窓は大切に包み込んで、温室は宝石箱のようにきらめいて明るい。青々とした緑の梢にはさまざまな鳥がさえずり、循環する青い泉は水を求めて飛ぶ蝶や鳥の鮮やかさを映して極彩色に輝いている。
私は木漏れ日を受け止めるように、そっと手を広げた。ずっと握りしめているから指はいつも強ばって、ぎしぎしと軋む。手のひらには爪が食い込んだ跡がいつもある。凍えた指先をほぐすように息を吐き、かじかむ手を光へかざす。血潮に赤く染まる指を、ゆっくりと広げる。
指のあいだでたたまれていた黒く薄い膜が、羽化したての蝶のようにしわしわと開く。まるで蛙の水かきのようなそれは、俗にアンフラマンスと呼ばれている。
「下、下方の」を意味する接頭辞と「薄い」を意味する形容詞から成るマルセル・デュシャンの残した造語で、元は美術用語だったと聞く。物質界にいながら可能な限り非物質界に近いその寸前に留まることを指した言葉。限りなく人でありながら人ではない一部を持つ奇形を、古い文献からこの言葉を拾い上げて呼び顕したのは、自身もアンフラマンスを持っていた学者だったそうだ。ごくごく薄く自身すら見なければ認識できないほどのはかなさを持つこの器官は、けれど間違いなく自身の一部であったのだと彼は語った。
この不思議な奇形にこの一見して無関係の言葉が当てられ、それでも広く受け入れられたのは、まずアンフラマンスがえてして翅やヒレのような薄いもので顕れるからだ。そして当事者以外にはそれがあまりに現実味がなく、虚構のように感じられるから。アンフラマンスはまず他人に触らせないいので、当事者でなければ本当に存在するのかどうかさえわからない、幻のような現象に見えるのだろう。
広げた指のあいだで、つぼみが咲くように翅(はね)が開ききる。それは青緑の艶をもった濡れ羽色で、光を浴びて鈍くかがやく。ほんの少しだけ青とオレンジの部分があって、黒く囲まれているからステンドグラスのようにも見える。重なり合った二枚の翅は、ひるがえせばかすかに羽ばたいた。私の意識とは無関係に小さな風を起こす、このアンフラマンスはカラスアゲハの翅に似ている。
物心ついたときから私の手には翅があった。アンフラマンスの治療は本人の意志がなければしてはならない。そのため、私が医師(せんせい)に会ったのは十年前、五歳になってからだった。
医師はまず初めに「これはけっして珍しくはないものだ」とやわらかに語った。その口調は同情からくる優しさではなく理解からくる確信に満ちていて、私は、そうか珍しくないのかとただ当たり前に受け入れた。
「相変わらず綺麗な翅ね」
温室にいた先客が挨拶のような気軽さで言った。彼女とはこの温室でしか会ったことがない。名前も知らないし、住んでいる場所も知らない。ただ、彼女もまたアンフラマンスを持っていることは知っている。当たり障りのない趣味のことや、ちょっとした世間話をする仲だ。
「ねえ、ピアノはもう弾かないの?」
私は指先で自身の翅をなぞってみる。かさかさした、皮膚とは違う感触。たしかにそこにあるのに、剥がれ落ちそうな危うさがある。翅には触れられている感覚はない。
「弾けないわ。もうきっと指が動かない」
「そう、残念。鍵盤の上を飛んでいるの、見てみたかった」
彼女の手の甲にはやわらかくて無垢なものを集めてかたちにしたような、小さな翼がある。それは手首の付け根から始まって、指先を覆うように広がっている。翼を開くとまるで彼女の手に天使が降りてきたように見える。
医師の言葉通り、アンフラマンスは今やそれほど珍しくはない。少し前までは隠すことが当然とされ、持っていても口をつぐむものであった。しかし今はそれを売りにしたアイドルもいるし、スポーツ選手や著名人も隠さない。むしろひとつの優れた特徴として受け入れられさえしている。