冷たい指と神隠し

作楽シン

 気がつくと自分がいる場所が分からなくなって、ぼくはぶるりと震えた。どんどんあたりが暗くなって、木の陰が濃くなっていった。風も冷たい。気づいた途端に寒くなって、ぼくは手を握りしめた。
 夕日どころか、星も月も見えない。
 神社の裏の山にいたはずだった。家の近くで、みんなよく初詣とかにくる神社だ。かくれんぼをしていて、気がつくと誰の声も聞こえなくなっていた。みんなぼくを置いて帰ってしまったんだろうか。まだつかまってないのに。
 一生懸命歩くけど、元の場所に帰れない。神社の建物も、町の明かりも見えてこない。ここは山だから、参道の階段はすごく見晴らしが良くて、町を見下ろせるのに。どこまで行っても暗い大きな木が覆いかぶさってくるようだった。
「みんなどこ!?」
 気がつくと走り出していた。
 ひどい、とか、どうしようとか、考えると泣きたくなった。寒いし暗い。ざわざわと木の揺れる音が響く。木の影がどんどん暗くなって、闇が迫ってくるようだった。
 押しつぶされそうで、気がつくと涙がこぼれていた。
「お父さん! お母さん! ここどこなの!?」
 叫んだ声も暗闇に吸い込まれていく。


「皆がざわついておると思ったら、人間か」
 ふいに声が聞こえて、ぼくはびっくりして、足をもつれさせた。肩から地面に転がった。痛い。でも泣きじゃくりながら、あわてて立ち上がる。
 道の先で、中学生くらいのお姉さんが、ぼくを見ていた。白い顔が暗い中にやけにはっきり見える。赤い着物が、濃い緑の草木の中で、唐突なくらいに明るかった。
「ねえ、ここどこなの」
 心細い中で聞こえた声に、また涙がこぼれた。
 ぼろぼろと泣くぼくに、お姉さんは淡々と言う。
「ここは禁足地のはずだが、知らないのか」
「きんそくち……」
「人は入ってはいけないという場所だ。境があっただろう」
「わかんない」
 立ち入り禁止の看板も、黄色と黒の工事中のようなロープも見なかった。何かの縄をくぐった気がはするけど。
「近寄るなと言われなかったか」
「鬼が出るから来ちゃいけないって言われたけど、鬼なんかいない。そんなの、ずるい嘘だ」
 そう言ったら子供が恐がると思ってる。ぼくたちに言うことを聞かせたいだけの、大人の嘘だ。
「どうして山に入ったらいけないんだ」
「夜になると時折、我々の世界と重なるからだ」
「我々の世界ってなに。ここどこなんだよ」
「ここはお前の住まうところからすれば、異界だ。人の来るところではない。お前など生きてはいけない」
「そんなの、嘘だ。ほんとうはどこなんだよ! 神社の裏山のはずだろ!」
 ぼくが叫ぶと、お姉さんは大きくため息をついた。音もなくゆっくりと歩いてくる。
「泣いてくれるな、めんどうだな」
 しゃくりあげるぼくを、お姉さんは見下ろす。
 どうすればいいのかわからない、というような声は、叱るような声でもなくて。
「そうだな。鬼は出ないかもしれん」
 少しだけ困ったように言った。ため息をつく小さな赤い唇がやけに気になった。
「うるさい奴だ。いいから、ついてこい」
「本当はお前が鬼なんだろう。ぼくを食べるんだろう!」
「お前のようなうるさい奴がここにいると、皆の気が休まらぬ。帰してやるからついてこい」
 お姉さんはくるりと背中を向けた。一つに結んだ長い髪が、背中をはねた。
 途端に、ゾッとして体が震えた。またひとりぼっちになってしまう。
 知らない人について行っちゃいけないとか、そんなの散々言われてる。でも、こんな真っ暗で、寒くて恐いところに、ひとりじゃいられない。ぼくとこの人の他に誰も居ないような場所で、やっと会えた人において行かれたくなかった。
「待って」
 慌てて走り出す。こんなに真っ暗なのに。ちょっとでも離れたら、分からなくなる。
「置いてかないで」
 袖から見える指先に、掴まりたくなった。白い指を掴まえようとしたら、お姉さんが慌てたように手をどかした。
 振り返って、恐い顔でぼくを見る。
「触るな」
 強く、はっきりと言った。
 あからさまな拒絶に、ぼくはビクリと肩をふるわせた。
「わたしに触れるな」
 もう一度、言葉をなぞるようにお姉さんは言った。
「でも」
 ぼくの声が震える。
 ――でも、もし、万が一、はぐれたら。
 離れたらもう誰にも会えない気がした。お母さんにもお父さんにも、友達にも、誰にも。真っ暗で不安なのに、手を繋いだらダメだと言われると、お前なんかうざいって友達と喧嘩したときよりも、ずっとずっと心細かった。悲しかった。
「どうして、触ったらいけないんだよ」
「異界の者に触れると帰れなくなるぞ」